山に越して

日々の生活の記録

疑似短編集冬の霧 二の②(疑似凝縮社会)

2019-11-06 09:32:12 | 短編集

冬の霧二の②(擬似凝縮社会) 

 

 全国で盲養護老人ホーム、及び盲特別養護老人ホームの数は七十七を数える。両施設合わせた収容人員は五千六百名に達しているが盲養護老人ホームは入所定数五十名の施設が多く、施設の数では盲特別養護老人ホームの倍以上ある。盲老人福祉施設の入所者のうち全盲が五五㌫、光覚弁、手動弁併せて二〇㌫、弱視が二三㌫残りの二、三㌫が普通に見える人が入所している。要するに夫婦で入所する場合、どちらかに視覚障害がある場合入所出来たので、普通に見える人も視覚障害者施設の入所者になっている。

 病気やいざこざもなく単調な生活が続いていた。フミは一日の流れや入所している人たちの名前も覚えたが、元来、人と接することが苦手だったフミは食堂やトイレに行く以外は居室にいた。

「あんた生まれは何処かいな?」

 同室の飯田とも乃が話し掛けてきた。とも乃は幼い頃に失明して七十歳になるまで光と言うものを知らなかった。炬燵や日向と同じような身体が暖まってくる感覚を光だと思っていた。

「埼玉県の川越で生まれました。主人と結婚して彼方此方と転々としましたが最後は蒲田の羽田空港の近くに住んでいました」

「飛行機が五月蠅くなかったですか?」

「耳が遠くなるかと心配していましたが、目が悪くなってしまいました」

「ハハハ」

 と、とも乃は大声を出して笑った。なかなか話し掛けて来ないフミを不審に思っていたが安心出来る人だと思った。

「面白い人だね、子供さんは?」

「娘が二人いますが嫁に行きました」

「この間来た人が長女さんですか?」

「ええ、上が圭子で下の子が静子と言います」

「良いね、二人も子供がいて。私は結婚出来なかったから子供どころか身寄りもいない。遠い親戚はいますが今では便りもない」

「何時も独りで居なさるのですか?」

「ここに入るまでマッサージ師をしていました。六十歳で来て、もう十年になります」

「十年ですか、長いですね」

「老人ホームが出来て二十五年になると聞いています。隣の林キミさんが一番長くて二十四年でしょう。自分のことが出来れば何時までも居られますが年と共に体力は衰えてくる。それに、何時身体の具合が悪くなるか分からない。そうなると別の施設に送られる。入院したまま帰って来なくなった人が大勢います。元気に過ごさなくてはなりません」

「そう言うことですか、福祉事務所の先生が三ヶ月間入院すると退所になると言っていました。所で飯田さん入院したことは?」

「いいや、一回有ります。胃の手術をしました。でも一ヶ月もしない内に戻りました」

「良かったですね」

 場馴れした人たちの間で生活することはなかなか大変である。自分の意志や行動を抑制している人も少なくない。集団生活を円滑にする為に自分を押し殺すことで静かな生活を望んでいる。

 フミにとって、自分が生まれ育ってきた環境は決して豊かではなかった。それに比べると施設の生活は安逸だった。自立した老人は施設の生活に迎合するのではなく自らの生活の自立を図ろうとする。しかし迎合する人間は狭隘な施設で如何に有利に生活するか、職員を味方に付け生活の利便さを得ようとする。これから先、安逸に暮らす為には当然と言えば当然のことである。地域社会のもっとも狭隘な場所、一人当たり三畳足らずの居住空間、娯楽室、寮母室、事務室、医務室、トイレ、その場所で生涯の生活が続くのである。家も財産も処分して他に行く当てなど有りはしない。処遇をより良くして行くには、入所者の必要に応じて職員が情報の提供を行う。しかし集団での外出、行事等のみに追われ、取り残された人たちは何時でも部屋の中で過ごしている。その分職員が話し相手なり面倒をみれば良いのだが、日頃の忙しさに追われなかなか相手が出来ない。都合よく振る舞う人がいる陰でジーッと耐えている人たちがいることを忘れてはならない。日常の豊かさを施設内外行事の多さと錯覚してはならない。

 狭隘な福祉施設、人事は同族会社と同じように自分の協力者、乃至言うところの服従者、または能なしが占めている。企業であれば利益を追求していく限り優秀な人材が求められる。公的資金で運営される施設は年度末に赤字を出さない限り、職員の人件費を抑えるか、修繕費や雑費を抑えることで成り立つ。引当金の多さを見れば実際問題施設の経営は黒字で終始する。人件費引当金、修繕費引当金、備品等購入引当金などに繰り入れられる。法人で組織している老人ホームは、理事長、理事会は架空に近いもので手続き上の組織と言っても良い。人事は当然のように施設長や取り巻き連の勝手になり、地縁、血縁、服従関係など内部的な繋がりのみで決定される。また、民間の福祉法人の不正については枚挙に暇がない。工事の不正支出、個人的流用、関係同族会社への支出など新聞沙汰になる。半日程度の監査で見抜くことはなかなか出来ないことで、見積もり等も複数取ることになっているが例に漏れず業者が揃える。

 北秋川会も福祉法人の名を借り関係の施設への移動が行われた。交流という名の下に実際は愛憎問題がある。寮母の笠原久子は今年も移動することなく養護老人ホームの職員として残ると思っていたが、施設長と肉体関係にある前田美樹は必要に移動を迫った。

「何時も虐められ耐えられない。お願いだから追い出して」

 と、ベッドの中で言った。

「そうは言っても直ぐには出来ないだろう」

「それじゃ厭」

 甘えた声を出しながら吉原喜一朗の局所を握った。

「俺も雇われ施設長だがその権限はあるか、お前の気の済むようにしてやるよ」

「大好き、ねえもう一回して。家の旦那馬鹿だから何にも気付いていない」

 と、言いながら絡み付いた。

 内部で移動の打ち合わせが終わった翌日だった。日頃から軽薄なところがある前田美樹の態度は脳天から奇声を発していた。

「今回異動あるわよ」

「そんなこと分からないわ」

 と、掛川由加が言った。

「だって、本当の事よ」

「何故そんなこと知っているの?」

「聞いたの」

「誰から」

「あの人よ」

 と、言って事務所の方に顎をしゃくった。

「そう言う関係か」

「知っていたでしょ?」

「何となく」

「自分の地位を確保する為には何だってやるわ」

「そう言うものかな?」

「この年では仕方がないことよ」

 こんな話が日中交わされている。人事は愛憎関係、欲得、服従、従属関係で決められている。これが税金で賄われている施設の実体と言って良く、公金を使いながら全てのことを私物化している。私物化している限り福祉制度を利用した商売をしているのに過ぎない。理事会があったとしても、直接施設運営に関わりのない雇われ理事では内部的な事情まで分からない。腐りきって悪臭を発散するようになっても実際上分からない。例えば年間四千万円の食事をしている。年間を通して十五年も同じ業者が、其れも個人の業者が食材を納入している。納入業者の入札なり他業者の見積もりなど例により揃えてある。売上高の二〇㌫が純利益になっても八百万円が転がり込んでくる。良い商売であると同時に施設の個人に還元される金額もまた見える。公費であることを忘れてはならない。常に公費を使っていることを忘れない限り不正は無いが、地位とは弱いもので何処かで寄り掛かろうとする。公的機関は単に措置費という形で支払い、施設に任せているのではなく、監査上指摘出来ることは十分にやるべきである。一時間や二時間で事を済まそうとする都の姿勢にも問題がある。所詮税金である。監査と言ってもその程度のことで終わっている限り現実まで見える筈がない。税金の使われ方を監視すること、及びオンブズマン制度の導入など、開かれた施設とならない限り入所している人々の生活の保障、そして運営の明瞭さは有り得ない。他人の目が入ることで日常的に見落とされている瑕疵を指摘していかなくてはならない。

 こんな風に社会福祉法人北秋川会も結果的に噂話に踊らされ人事は決まる。必要に応じて必要な人が仕事をするのではなく、個人的都合と好き嫌いで決まることは世の常である。法人組織は有って無いと同じで、法人の運営上問題にならない限り、適当にコネとお弁茶らで良く、調子よく振る舞うことが必要とされた。陰で言いたい放題を言い面と向かっては提灯持ちをしていることが立身出世だった。福祉施設を運営するのは働いている全員である。メルクマールをもって、考え行動して行くことが問われる。雇われ施設長である限り無理な話で、当ホームの施設長も自分の地位保全を忘れることはなく、常に自分の利益を考え、他を省みないことで施設に執着する。執着している限りそれなりの利益を得るのである。

 また施設に働く人間は、その人間の本質が問われる場面に直面する。施設は営利目的の企業ではなく成績も売上高も関係がない。要するに業績など無くても良く統計資料が有れば良い。また入所者に対して、食事は摂っているか、排便はあるか、居室内のトラブルは無いか、孤立していないか、家族との交流は良いか、衛生的で住み易い環境かなど十二分に注意する必要がある。そして職員は自らの行為、行動が適当か自問しなければならない。特定の人に偏ることなく接触しているか見落としはないか問われる。

 日々変わることのない六時の起床、七時の朝食、部屋の掃除、週二~三回の入浴、月一、二回の川柳会、詩吟、歌謡、俳句などの趣味会、掛け持ちで参加している人もいれば全く興味を示さない人もいる。フミも日課に沿い行事に参加していたが、施設の中にいれば日常生活の全てが事足りる状態で、ひとつの擬似凝縮化した人間社会、それが老人福祉施設である。

 

                                        了



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