山に越して

日々の生活の記録

疑似短編集冬の霧 二の①(西伊豆)

2019-08-09 11:40:31 | 短編集

冬の霧・二の①(西伊豆)

 

 東京の府中市を離れ西伊豆は海岸線の町、松崎町に移り住んでから既に三年が過ぎた。暖簾を下ろし、機田美代は一日が無事終わったことに安堵したかのように煙草の火を付けた。人前では滅多に吸うことは無かったが、一日の仕事が終わりほっとした瞬間自然と手が伸びている。初めの一年は働き尽くめで身体を壊したこともあったが、今では週一回の休みも取れるようになった。一人娘の響子も六歳になり、一人で居ても手が掛からなく仕事に集中できた。

 食事処【美代】を開業して二年目、益子の実家に預けておいた響子を引き取った。馴染んだ祖父母と離れることに、親の辛さも響子の辛さもあったが矢張り一緒に住むことを願った。

 深夜蒲団に入ると、響子の為にもう一度生きてみようと願ったことが昨日のように思い出された。客はそれ程多くなかったが、町の中心に位置していたことで馴染みの客も増えある程度の採算も取れるようになった。また観光地でもあり昼食時は流れの客も多い日があった。昼は十一半時から定食を、夕方は五時から九時まで酒と食事を拵えた。出店した頃は借金に苦しんだが、今では銀行への返済も順調に消化して後二年ほどで完済する予定である。今月分の返済も明日入金すれば良かった。

 松崎町は伊豆半島南西部に位置する遠洋漁業の要港であり、桜餅用の大島桜の葉を生産する他、マーガレット栽培が盛んであり、戦前は早場繭の市場として知られ、古く明治時代は畳表の製造で知られた世帯数三千戸、人口九千人余りの町である。西伊豆の代表的な観光地であり、年間この地を訪れる観光客は三十八万人、また宿泊観光客は三十一万人に達している。漁業も現在は遠洋漁業から近海漁業に変わり、旅館や民宿で消費され、農業は畳表や繭の出荷量は無く僅かに葉桜を出荷する程度に過ぎなかった。

 美代がこの町に出店したきっかけは、陽入りの美しさと、石部との出会い、そして響子と静かに生きたいと思ってのことだった。毎朝の市場への買い出しに始まり、一休みしたあとは昼の準備に取り掛かる。そして、夕方は四時に厨房に入り酒の肴の準備に追われる。昼は近くの銀行や役場関係の来客が、夜は漁業関係者や地元の単身者が訪れる店だった。

「機田さん景気は如何かね」

 と、地元銀行の笹本が声を掛けてきた。笹本は時々昼飯を食べに寄ることがあった。居抜きの店を買うとき笹本の勤める銀行から借り入れていた。

「ええ、どうにかやっています」

「採算が取れるか心配だったが順調そうだね」

「三年目になりましたので後二年の辛抱です。其処を乗り越えれば銀行さんへの借金もなくなりますし、実家にも少しずつ返すことが出来そうです」

「三年ですか、昔はこの辺りも景気が良かったらしいのですが、何せ伊豆も奥に入ったところで、これ以上人口が少なくならなければ良いのですが」

「ええ、儲からなくても親子二人食べることが出来れば、それに越したことはありません」

「確か、娘さんでしたね?」

「来年、小学校の一年になります」

「そんなに大きなお子さんがおありでしたか」

「益々年を取ってしまいます」

「ところで、店の器だが益子焼きだね」

「ええ、そうですけれど」

「ほほう」

 と、意味ありげな声を出した。

「実家が益子なものですから、送って貰っています」

「そう言う訳か、趣味が良いので特別な陶工がいるのではないかと思っていました」

「とんでも有りません」

「器が良いと食べ物も旨い」

「いいえ、腕が良いのです」

「機田さんもやっと口を利くようになったね」

「申し訳有りません」

「いやいや、安くて旨くてご馳走さま」

「有り難うございました」

 

 夏の観光シーズンも終わり、西伊豆も訪れる客足は少なくなっていた。

「響子、お昼ですから下りていらっしゃい」

 土曜日だったので昼前に保育園から帰っていたが、食事をさせる時間がなかった。美代は二階で一人遊びをしている響子を呼んだ。お昼の客が帰った後の二人の遅い昼食だった。

「明日の日曜日、仕事休んで出掛けようか」

「本当?」

「三津シーパラダイスに行ってみない。お母さん運転して行く」

「うん、お弁当持って行こう」

「勿論よ、響子の好きな物沢山作るわ」

「早く明日にならないかな!」

「ねえ響子、来年は一年生ね。頑張れる?」

「学校に行くのが楽しみ!」

「そう、嬉しいわ。今日は早くお店終わりにするからね」

「ねえ、お母さん結婚しないの?」

「え?」

「保育園のお友達が言っていた。響子ちゃんのお母さん何故結婚しないのかって!」

「お母さんはね、響子がいれば良いの」

「響子のこと一番好き?」

「そうよ、二人で頑張ろうね」

「うん」

「お買い物があるけれど一緒に行く?」

「お友達の所に行ってくる」

「早く帰って来るのよ」

 響子が出掛けてから美代は近くのスーパーに行った。響子は響子なりに寂しいのかも知れない。仕事中は二階で一人遊んでいる。眠くなっても蒲団を敷いて上げることも出来ないし、客が居ても居なくても下に降りて来ることはない。我慢していることは分かっていたが側に行って上げられないことが悲しかった。夕方友達の所から帰ってきても、そのまま二階に上がって邪魔をしないようにと考えていることがいじらしかった。

 買い物を済ませ夕方まで美代は二階で横になっていた。二階からは那賀川の流れが直ぐ真下に見え静かな時間を過ごすことが出来る。響子は夕方戻ってきた。日頃から余り自分のことは喋らなかったが両頬に涙の流れた跡が残っていた。

「どうしたの?」

「何も無かったよ」

「虐められたの?」

「早く明日にならないかな」

「今日は早仕舞で明日の支度をしなくってはね」

「二階で静かにしているね」

 美代は響子のことを思い胸が熱くなっていたが店に下り夜の準備に取り掛かった。土曜日で店は立て込み片付けが終わると十一時を過ぎていた。響子は二つ並べた蒲団の端で丸くなり眠っていた。借金を返す為に働かなければならなかった。しかし響子と過ごす時間が無いことが悲しかった。

 

 美代は栃木県芳賀群益子町で生まれで、小さい頃から陶器に囲まれ育ってきた。益子町は、窯業以外は米作、葉煙草の栽培を生業としている農業の町である。窯元は三〇〇以上を越え、生産品目は和飲食器が殆どで日用雑器が中心である。春、秋と年二回開かれる町上げての陶器市には多くの観光客が訪れ賑わいを見せる。

 美代は高校時代陶芸部に所属し自分なりの作品を仕上げていた。手の荒れるのも構わず、放課後遅くまで轆轤の前に座り集中して作品に取り組んでいた。

「機田さんよく練らないと気泡が抜けないわよ」

 陶芸の指導は担任の大原先生だった。

「今度の作品展に出品してみない?」

 秋の県芸術祭高校の部作品展示会への出品だった。

「はい」

「陶芸は技術だけではないと思っていたけれど、機田さんの作品は温かみが有って良いと思います」

「有り難うございます」

「所で機田さん、これからのことどう考えているの?」

「どうしようか迷っています。両親とも益子に残って欲しいと思っているのですが、窯業養成所に入ってやっていけるのか不安だし、でも、私のような融通が利かない人間は一つのことに集中していた方が良いのかも知れません」

「そうよねえ、実際問題誰だって躊躇ってしまう。でも来春には卒業になるし、機田さんの進路を決める上でも作品展は良い機会になると思います」

「もう少し考えてみます」

「確かに陶芸で身を立てることは難しいと思います。私の父も窯元の一人で毎日毎日陶器を作り続けている。でも、父の顔を見ていると納得していないことが分かる。私も見様見真似で、轆轤の前に座りだしたのが小学校に入って直ぐの頃だった。仕事場に居ても、父は何も言わず私の方を眺めていた」

「先生は何故陶芸を続けなかったのですか」

「生業として、立つか立たないか微妙なところだと思います。陶器の善し悪しは簡単に見分けられるものではないし、季節、天候、釉薬、火入れ、使い手に依っても変わる。それが分かって来なければ職業としても成り立たない。作るだけなら機械でも構わない。今では使い勝手の良いものが簡単に出来るようになり、でも、人間が作る物は其れなりに味が滲み出なければならない」

「分かるような、分からないような気がします」

「私も高校時代は何時間もこうして座っていた。形が出来上がり、素焼き、本焼きと進む。でも、自分のイメージと出来上がった物が微妙に違っていた。同じものを同じように作り続けても違う物が出来、釜から出す期待が直ぐ失望感に変わる。その度に作陶の厳しさ難しさを味わいました」

「ええ」

「確乎とした思いがあっても生まれてくる作品が違う。その時に、初めて父親の顔が歪んで見えた意味が分かりました」

「陶芸で生きて行く為には自分との闘いだと思います」

「しかし、生活して行く為には売れなければならない。自分が良いと思っても売れなければ価値がない。売れる品物が良いとは限りませんが、そう言う物を作らなければ生活が出来ない。陶芸を続けられなかったのは私の器量を越えていたからでしょう」

 と、大原は溜め息を洩らした。

 その年、作品展に出品したものの結果的に入選することはなかった。入選しなかったことで就職しようと思った。美代は職業高校卒業後、東京の中小の証券会社に就職した。社員寮は小田急線の成城学園前から多摩川に向かって一〇分ほど歩いた、東名高速道路が多摩川橋に架かるところにあった。大手町の会社まで一時間ほどで通勤出来る距離である。また、寮は二人部屋で長野の高校を卒業した上江田百合と同室だった。

 百合と一緒に毎朝早めに寮を出た。都会生活に憧れ東京に出て来た訳ではなかったが無我夢中で一年が過ぎた。また、課が同じ佐川美津とも友人になることが出来た。美津は静岡県沼津市の出身で、美代は美津の利発な性格や屈託のないところが好きだった。会社と寮の往復だけの単調な生活だったが、東京での一年は美代を変えていた。精神的には未だ子供であっても表面的には大人の雰囲気が現れ、田舎から出てきた娘が東京での生活に慣れ、少しずつ磨かれ大人の女性に変わっていた。

 夕飯は殆ど寮で食べていたが、その日は、部屋の変わった百合と美津と三人で、渋谷で買い物をして夕飯を摂ることになっていた。

「ねえ、彼出来た?」

 と、百合は意味を含ませるように訊いた。

「仕事を覚えることで手一杯、とっても恋人なんて作れそうにない。美津さんは?」

 美代は心の中で思っている人はいたがそう答えた。

「高校の頃から付き合っている人が沼津にいて、月一回は会っているし、今のところ興味のある人もいない」

「そう、私だけね。営業の田所さん知っている?」

「知らない」

 二人とも声を揃えたように言った。

「恋人同士の関係になっている。結婚はしないと思うけれど毎日楽しいって感じ」

「だって、遊びだったら困るでしょ?」

「割り切って交際しないと誰も付き合ってくれないよ」

「大人の人と付き合わない方が良いと思う」

「同級生だと、ワイワイ言っているだけで直ぐ飽きてしまう」

「人を好きになるって難しいことだと思う。でも違うかな、美代さんはどう思う?」

 美代は話を聞いているだけで喋ろうとしなかった。どんな生き方が出来るのか分からないし、愛についても知らなかった。成長したのは外面的なことであり精神的には未熟だった。

「私、分からない」

「美代ちゃん、子供ね」

 と、百合が言った。

「百合は何処まで行っているの?」

 美津が訊いた。

「どこ迄って、行くところまでよ」

「凄い」

「だって、欲しいって言われた」

「先のこと考えなかったの?」

「とっても楽しんだもの、先のことまで考えたって仕方がない」

「そう言うものかな?」

 美代は二十一歳になっていた。同じ会社の川図穣二に出会ったことで、仕事に行くことも楽しく日々の生活も変化していた。会社が終わってから川図と毎日のように会い、当然帰寮も門限ぎりぎりになっていた。しかし自分の生活が乱れているとは思わなかった。有頂天になっていたのか、初めての恋では無かったが、親元を離れ、自分だけの生活を持ち、知らず知らずの内に変わっていたのかも知れない。

 美代は二年目も終わりになる頃寮を出てアパートを借りた。川図に進められたこともあったが、敷金や礼金、生活に必要な物品を買い入れ二年間貯めた預金も使い果たした。自分では贅沢をした積もりは無かったが、自炊する為に細々としたものまで買わざるを得なかった。アパートに越してからは、誰にも遠慮せず、遅い時間に帰ってきても好きな時間に出掛けても迷惑を掛けることはなく、始めて一人で生活することに一種の充足感を味わっていた。

 一DKのアパートに川図が訪ねてくるようになった。

「素敵な部屋になったね」

「有り難う、やっと一人暮らしが出来るようになってわくわくしている」

「会社には少し遠くなったけれど大丈夫?」

「帰りの時間を心配しなくて良いし、一人の部屋を持つことが夢だった。これからは日曜日の朝だってゆっくり眠っていられる」

「泊まりに来ても良い?」

「でも」

 美代は一瞬迷った。アパートで一人の生活になれば、川図がそう言うだろうと思っていた。しかし自立した生活、仕事、将来、それらをしっかりと確立して来たと言う自負心があった。それに、幼いながらも川図のことが好きだった。

「二人だけの時間を持ちたい」

「ええ」

 と、美代は承諾した。

 

                                        了