山に越して

日々の生活の記録

山に越して エンルム岬 12-5

2015-03-06 14:46:45 | 中編小説

 五

 家々の軒先には春まで融けない雪が残り朝から粉雪の舞う芯から冷え込む日だった。この時期、周辺の別荘は五、六軒に一軒の割合で灯が点っていたが余計寒々しさを与えていた。昭生は早い夕食を摂ろうと思いレストハウスに上っていった。前年の夏、雪江と向かい合っていた同じテーブルだった。一人で摂る夕食は侘びしく、暮れかかる高原の先に遠く町の明かりが滲んでいた。

(乾杯!)

 と、言って雪江はワイングラスを重ねてきた。

(素敵な所ね)

(気に入った?)

(とっても、私、様似と東京しか知らないんだもの)

(来年も来るとしよう!)

(いいえ、来年は北海道に行く。様似に帰ってアポイの火祭りを見るの、水中花火がとっても素敵よ)

(何方でも!)

(貴方って優しいのね)

(何も出ないよ)

(ワイン、もう少し如何?)

(でも、飲み過ぎたようだ)

(一緒だもの、大丈夫)

(雪江に出会うことがなければ一生独りで居たのかも知れない)

(嘘、付いている!)

(結婚することなど考えたこともなかった。毎日仕事に追われ、一日一日の大切なことを忘れていた)

(そう言うことにして置きましょう)

(必然と思う?)

(いいえ、偶然だった)

(そうだね)

(ねえ貴方、明日は富士五湖を廻って帰りたい)

(良いよ)

(私の言うこと、何でも聞いてくれるのね・・・)

「お客様、如何なされました。フォークを落とされています」

 と、ボーイに声を掛けられ我に返った。

「少し酔ってしまった」

「新しい物にお取り替え致します」

「もう帰るから・・・有り難う」

 昭生は支払いを済ませると、すっかり暗くなった道を別荘に戻って行った。

 

 大泉の別荘に来て既に三ヶ月が過ぎていた。朝夕の冷え込みは相変わらず厳しかったが、日中の温かさに木陰の雪も融け始め、夜になると唐松林に霧が立ち込める日もあった。寒さを感じることは無かったが、開け放した窓から霧が流れ込み、昭生の髪や身体に纏わり付いていた。深夜、静寂と反響のない暗闇に雪江の姿を求めていた。

(貴方、少し痩せたかしら?)

(そうかな?)

(しっかり食べないと駄目よ。そして、元気を出さないと!)

(ホテルで食べて、時々は町で買い物をしている)

(貴方のことが心配・・・)

(あの日、雪江を置き去りにして地球の果てに行く夢を見ていた。『行かないで』と叫んでいたのに、俺は機材と共に船に乗り込んでいた)

(いいえ、貴方は私の許に帰ってきた。貴方に抱かれ、その腕の中で仕合わせを感じていた)

(間違いに気付いたとき、船は桟橋を離れていた)

(もう良いの、貴方・・・言わないで!)

(雪江が居なければ・・・)

(貴方は、私にとって永遠の愛であり夢だった。でも、愛することは過去を越えなくてはならない)

(越える?・・・)

(そうしなければ生きることは出来ない)

(過去を越えることは出来ないだろう)

(いいえ、越えなくてはならない)

(此処で過ごした三ヶ月間は何の意味も持っていない。確かに今の仕事をやり遂げる大切さを知っている。一生懸命働くことで展望を切り開く必要がある。しかし、日常が意味をなさない)

(貴方の言う通りかも知れない。でも、私は貴方を失いたくない)

(暫くこのままで居たいと思う)

(貴方を信じています)

(一度、様似に行きたい・・・)

(本当?嬉しい!)

(一緒に行こう)

(様似は素敵な所よ。アポイ岳がまだ真っ白な雪に覆われている四月の終わり、大凧や連凧が大空に舞い上がる。五月の連休が終わる頃、アポイ岳の雪も消えかかり、ヒダカソウ、アポイアズマギク、サマニオトギリなど色とりどりの高山植物が春、夏、秋と咲き乱れる。八月はアポイ山麓で採火式が行われ、エンルム岬の火文字から夏の火祭りが始まる。そして、秋の終わりに冷たい雨が降り始め北風と雪の季節を迎える。私の命を育んだ様似の町は、自然の優しさと厳しさが四季折々に同居する。私は、来る日も来る日も自然と対話していた)

(雪江の自然に対する思いを知っていた)

(いいえ、貴方の優しさに触れたとき、その優しさに吸収されてしまうと思った。そして、何時しか貴方を様似の自然と置き換えていた。逞しく生きている貴方が好きだった。そして、貴方の、翳りのある眼差しの中に未来に対峙する姿を見ていた・・・そう、東京での生活は貴方に出会う為のプロローグに過ぎなかった。それまでの私は、曖昧模糊とした目的のない日常を送っていた。美容師の免許は取れたけれど、毎日毎日基本的なことの繰り返しに夢は消えかかり、腕を上げなければと思いながらも少しずつ心は蝕まれていた。そんなとき貴方に出会うことが出来た。私は弱虫で、何時も貴方に甘えたかった)

(一緒に海釣りに行きカレイを釣った。襟裳岬で海風に飛ばされそうになった。日高山脈から吹き下ろす風を日高しも風と教えてくれた。それが仕合わせだったのだろう)

(ねえ貴方、知っている?アポイ岳にはナキウサギや高山蝶のヒメチャマダラセセリもいるの。昭和四十八年に発見されたセセリ蝶の一種で、中国東北部やシベリアに分布する小さな蝶よ。カンラン岩と言う特殊な土壌条件に咲く、食草キンロウバイに産み付けられた卵が、幼虫となり、主食としながら成長する。セセリ蝶は日本にも四〇種類いるって聞いたけれど、この蝶はアポイ岳しかいない)

(見たことはあるの?)

(標本では見たけれど、幻の蝶を一度は見たかった)

(帰ったときアポイ岳に登ろう!)

(早く夏になれば嬉しい)

(もう直ぐやって来る)

(エンルム岬から沈む夕陽を眺めてみたい。岬に居ると、海の中に一人取り残されたような錯覚を覚える。拡がる海原が真っ赤に染まり、始め光の中に吸収され、やがて闇の中に拡散する。高校生の頃何時も眺めていた・・・夏の観光シーズンが終わる秋口から様似はまた蘇る。紅葉した様似山道を歩くと小鳥の囀りに誘われる。山道は現在から二百年も前に造られた様似への道で、冬島から幌満まで七キロの道程を言う。明治三十四年に海岸道路が出来て廃道になったけれど、それから八十年近く経って整備された・・・そう、太平洋は夏の軽やかな青から紺碧に色を変え、海辺から人影が消える。様似の海を見ることが出来れば、私は蘇ることが出来るのかも知れない。貴方と一緒に暮らせるようになりたい。連れて行って、様似に帰りたい)

 昭生は寒さに震え目を醒ました。そして、闇に目を凝らして暫くの間じっとしていた。夢を見ていたのだろうか、部屋はしっとりと濡れ雪江は霧に捲かれ消えていた。雪江の頬には涙が伝わり落ちていた。生きることを奪われた悲しみの涙なのだろう。雪江の生まれ育った様似に行くことで、生きる方向が見えてくるかも知れなかった。途中で投げ出した工事のことや、心配してくれる友人の為にも仕事をしなければと思った。しかし、行き着く先に雪江の姿は消えていた。

 矢崎伸吾に会ったが結局会社には退職届を送った。十一年間働いた会社だった。将来を嘱望され地道に積み上げてきた仕事だったが戻る気力は失われていた。生活が苦しくなることも、将来のことも、昭生にとって何方でも良いことだった。それは厭世観でも逃避でもなく、大切な人を失ったときに起こり得る神経耗弱のような状態だった。自分が何故居るのか、何をしてきたのか判断出来ず、周囲の情況や家族や係累も関係がなかった。

 意識的であれ無意識的であれ、人は自分の生きてきた環境、教育、思考過程、知識の集約として考え行動する。しかし現在の昭生にとって、それらは何の意味もなさず、飲食と、呼吸と、睡眠が生きていることの支えに過ぎなかった。昭生にとって、意識できる意識を取り戻すには、『直ぐ手術をしていれば助かったかも知れない。それに、お腹の中には幼い命が芽生えていた』と言った、医者の言葉を越えなくてはならなかった。

 昭生は帰り支度を済ませそのまま朝を迎えた。考えることがあるように思ったが分からなかった。未だ小鳥の囀りも聞こえない薄暗い朝靄の中、高原を下りて行った。