『なかよし会』のみなさんと楽しく過ごした『深山山麓少年の家』をあとにして、
山元町役場へ向かいました。
役場に入ると、1階の町民のみなさんがさまざまな手続きを行っているロビーの一角に
机二台、マイク2本のFMスタジオが!そして、懐かしい、私の東北放送時代のアナウンス部長、高橋厚さんのお姿がありました!!
厚さんにあうのは確か9年ぶり!髪は白くなられたけれど、全く変わらない低くステキな声で、『まぁまぁ、田添さん!!よくきたね!』と明るく呼びかけてくれました。
厚さんは、定年後、山元町に移住され、こちらで、被災したとのこと。
私が山元町に行くことは、一週間前に役場の方を通じてお電話でお話させていただくことができて、お伝えしていました。その時に近況もお話していたので、この日はまるで、久しぶりにお顔を拝見するにもかかわらず、先週会ったその続きから話をするかのように話せました。
お昼を済ませて、早速、ソプラノ歌手の半田さんや渡邉さんとりんごラジオの出演です。
りんごラジオは、災害後、 厚さんが中心となって立ち上げた山元町のコミュニティーFM。
行政の情報、安否情報などを今も流し続けています。
震災から一週間も経たないうちのスピード開局はこれまでに例がないそうで、
テレビ局、新聞社、全国から取材も受けていて、いくつかリンクを載せておきます。
河北新報(宮城の地元紙)の掲載記事
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1069/20110423_01.htm
NHKのラジオ
http://www.nhk.or.jp/nhkvnet/spots/report-ringo-01.html
災害時のラジオの大切さは、私自身、東北放送に入社してからそれこそ厚さんを始め、先輩たちからしっかりとたたきこまれたことでしたし、ラジオに接していくうちに実感してもいました。
報道局長を最後に東北放送を卒業された厚さんがこうして自分の住む山元町のために
災害ラジオを開局し、先頭に立ってアナウンスし続けている姿を、私は、
やはりさすが!と心から尊敬しますし、そんなスピリットをもつ方がたくさんいた東北放送という会社で働けたことに誇りも感じます。
アッチャマンという愛称で、ラジオDJとして活躍もし、長く夕方ニュースのキャスターとしても
視聴者の皆さんの信頼を得ていた厚さんの隣で、久しぶりに共にラジオに声を乗せることができるのは、大変幸せなことでした。
半田さんや渡邉さんからも朝に見た津波の被害の状況や午前中のコンサートの感想を話していただき、無事オンエア終了。
こうして、山元町を訪れた人たちにマイクを向けるのもりんごラジオのお仕事で、
傍らには、松雪泰子さんや森昌子さん、東国原元宮崎県知事など、大勢の方々が
りんごラジオに出演された写真が飾ってあります。
活躍中のソプラノ歌手のお二人を伴った!ということで、私も出演させていただいて、感謝です!
さて、午後はもう一つステージ。避難所の皆さんへ
歌のエールをお送りしました。
その様子をご報告して、山元町の旅のお話は最後になります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます