カウンセリング「エデン」のふんわりエッセイ

心理カウンセラーの目で世の中を鋭くとらえながら、ものごとの真実を探ります。

指導力不足って?

2015年10月05日 | 教育
 お若い先生の中には「自分は指導力がない。」と感じていらっしゃる方も多いと思います。教師の指導力って、どんな力でしょう。私は、若い頃、指導という言葉に教師が生徒を自分サイドにぐいぐいと引っ張るようなイメージを持っていました。まさに、教師が上で生徒が下だというようなイメージです。
 
 でも、本来の意味は、「ある目的・方向に向かって、教え導くこと」なのです。
 
 教育に限定すれば、「対話によって相手の自己実現や目標達成を支援すること」です。それは、 コーチングの意味する「相手の話をよく聴き(傾聴)、感じたことを伝えて承認し、質問することで、自発的な行動を促すとするコミュニケーション技法である。」とよく似ています。私は、このコーチング理論を、空手道の指導者講習で学びました。スポーツの世界でも、この概念が用いられているのです。
 
反対に言い換えると、指導力不足の状態とは、
「生徒と対話ができていない。」
「自己実現や目標達成が支援できていない。」
ということになります。
 
 しかし、どうでしょう。この2つを突きつけられると、いささか苦しくはないですか。私も現職の時に、この2つが常にきちんとできていたかどうかは疑わしいものです。休み時間や給食の時間にも採点をし子どもの話をまともに聞けなかったことも多々ありますし、ましてやすべての子どもに目標達成をさせ、自己実現を図ることができたとは到底言えません。
 
 学校に出勤しない、正規の授業を行わない等の教師ならば別ですが、皆さんはできる限り、子どもたちに語り掛け、活動を支援し、日夜残業もいとわずに働いていらっしゃることでしょう。
 
 もし、それでも指導力不足と感じるのであれば、指導経験の少なさやうまくいかないことに対して、責任を感じすぎているのではないでしょうか。若い先生ならば、指導経験は浅くても、子どもの年齢に近い、若さという最大の魅力があります。それだけで、子どもは近くに寄ってくるものです。また、夜遅くまで、ノートに目を通したり、授業の準備をしたりの毎日でしょう。これらは、まさに子どもには見えないところでの支援ですよね。
 
 本当の意味で、「あの先生は指導力不足だ。」なんて、だれも断言できないのです。もしも、自分自身が指導力不足だと感じている先生方がいたら、下のお釈迦様の手をイメージするとよいと思います。肩の上の「責任感」という重しを外して、読んでみてください。
 
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お釈迦様が天上から人間の世界を見ていました。ふとみると、男の荷車が、ぬかるみにはまって動かなくなっています。周りには、誰もいません。男は、自分でやるしかないと思い、渾身の力を込めて荷車を引きました。そのとき、お釈迦様は見えない手でポンと押して助けてあげました。すると、荷車はぐわっとぬかるみを抜け、男はふうっと一息ついて、また自分一人で荷車を引いていきました。
お釈迦様は「私が押したのですよ」とは言いません。男が自分の力で成し遂げたという達成感を持てませんし、困ったときにまた助けてもらえると思うといけないからです。
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 指導も同じです。先生が教えたから子どもは伸びたと思わせるのではなく、見えない手で子どもを支え、自分の力で成長したと思わせるのが本当の指導だと思うのです。上の荷車の男のように、子どもは感謝の気持ちをもちません。自分でできたと思っているからです。でも、それでいいのです。これは、普段、皆さんが子どもたちが見えないところでやっていることなのです。 
 実は、カウンセリングもこのような考え方に基づいて行われます。皆さんの心の中のこのお釈迦様の手を再認識してみましょう。
 


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