あやしい気休め……。
石さん編みです。
以前にもはまったのですが、そのときは、必死の災難よけに、お数珠として編み始めたのが、きっかけでした。だんだん、デザインするのがたのしくなってき、これ以上石を買うと、お小遣いが持たないので、中断。
余った石で、ママ友に編むようになったのをきっかけに、また、ちょこちょこ、いまは、必死にはなっていず、気休めに編んでいます。
プラスチック、ガラスだと、癒し効果、半減。
なぜって、石さんは、どれも組成が違い、触れて温かかったり、冷たかったり、硬かったり、やわらかかったりするのです。
目に美しく、触れて個性豊か。
でもここまでは、自分で編まなくても、感じられること。
自分で編んでこそ、実感されるのは、法則性。
ひとそれぞれ、違う手首のサイズが勺になり、半径4ミリ、6ミリ、8ミリといった玉を並べ、最後に結わえます。
個数だと、3、1、1、1……
大きさと種類に分けての配列だと、AAABCBDADBCBAAA……
3、11、3、11、3、などという数字の並びになるときも。
決まった勺に、あたらしい数列を発見したときは、得もいわれぬ快感。
6と素数が好き。
6と素数で決まると、うまくいった気がします。
この話のどこが、あやしいかって、数字の並びに快感を覚えるのは、一種のフェティシズムだからでございます。
この快感は、算数で、答えを合わせるのとは、また違ったもので……。
数字の哲学と申しましょうか。
そういえば、古代のカバラ哲学や、その昔、流行した、アキストゼネコも、名前の母音を1~5の段に分けて占うのでした。
いつも思うことですが、物事がうまく運ぶときには、数列が美しい。
どの石に、どんなまじない効果が……ということを言い出すと、精神世界にはまってしまうので、それは、いまは、書きませんね。
正直、石言葉というのは、信じていないです。
写真の組み合わせだと、見たとおり、かわいらしさを増す感じ、ということで、ええとおもう。
しかし、石言葉は、迷信であるとしても、見た感じが柔和でも、組み合わせの難しい石というのもあって、まるで、石にも、人柄が、あるよう。
自分でデザインして、編んでみなければ、それも、わからないこと。
ちなみに、写真のは、アメジスト、ラベンダーアメジスト、インカローズ、水晶。
インカローズはやわらかい石。
入手先は、吉祥寺のユザワヤという、全然あやしくない場所でした。