ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

パリの灯は遠く

2022年05月14日 | なつかシネマ篇


第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領下にあったフランス・ヴィシー政権時代の1942年7月16日~17日に行われたフランス最大のユダヤ人大量検挙事件が題材。そのヴェル・ディヴ事件前夜、ゲシュタポ本部に自爆テロを仕掛けたユダヤ人活動家と同姓同名のフランス人がたどる皮肉な運命を描いている。

ロベール・クライン(アラン・ドロン)は、フランス脱出をはかるユダヤ人から美術品を安く仕入れて転売する悪徳美術商。当然のごとく自分はフランス人であると信じていたロベールだが、同姓同名の男に送られてきた“ユダヤ通信”が自宅に転送され、自分の出自に疑いを抱きはじめるのだ。誰かの悪戯かそれとも.....一向に姿を現そうとしない別人クラークという男に魅せられ、警察も主人公をユダヤ人だと疑いはじめるのである。

私がこの映画を見てふと思い出したのは、ロベルト・ロッセリーニが1959年に発表した『ロベレ将軍』。女を騙しては金を巻き上げていたちんけな詐欺師が、ひょんなことからパルチザンの英雄にまちがわれ、次第に愛国精神に目覚めていく。そして最後にはすっかり将軍に成りきって、イタリア万歳を叫びながらナチスドイツ兵に銃殺される反戦映画である。本作はそのホロコースト版といってもよいだろう。

別人クラークをドロンが捜索するシークエンスはサスペンス風だが、そのクラークと愛人関係にある貴族の女(ジャンヌ・モロー)宅に人違いを承知で招かれるあたりから、本作真のテーマが明らかになっていく。それは、ナチス占領下にあったパリでユダヤ人が実際受けた迫害を、生粋のフランス人であるドロンに追体験させることにあったのではないか。けっして後戻りできないフランスが犯した過ちを後悔させながら。

当初本作の監督には社会派の巨匠コスタ・ガブラスが予定されていたという。ジョゼフ・ロージーの監督起用は『エヴァの匂い』の時と全く同じ、リリーフ登板だったというわけである。この辺はアメリカ人監督に対する偏見が、ヨーロッパ映画界では依然として根強かったことが窺える。別人ロベールの姿を最後まで(後姿だけで)スクリーンに登場させずじまいだったのは、もしかしたら“第二の男“ロージーの映画監督としての矜持がそう演出させたのかもしれない。

パリの灯は遠く
監督 ジョゼフ・ロージー(1976年)
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