ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

黒水仙

2024年06月03日 | なつかシネマ篇

黒い水仙はこの世には存在しない“幻の花”、そして水仙の花言葉は“うぬぼれ”だそうだ。デボラ・カーが布教のためヒマラヤの断崖に佇む元娼館に派遣されるシスター・クロードを演じている。しかしこの映画なにかけったいな印象を受ける一風変わった作品なのだ。シスターたちのバックに写っている山々は誰がどう観ても背景画だし、あんな格好でヒマラヤ高地の寒風に耐えられるはずがないと思えるほど、皆さん薄着なのである。

メイクバッチリのシスター・クローダは窓を開けっ放しにして寝ているし、現地コーディネーターMrディーン役デヴィッド・ファーラーにいたっては、なんと短パンに上半身裸というまるでインディ・ジョーンズのような姿?でロバに跨がって登場する。下女のアヤ(メイ・ホーラット)や娼婦のカンチ(ジーン・シモンズ)などは白人女優が演じているせいか非常に胡散臭く、現地人にはとても見えないのである。

皆さん口々に誉めちぎる、名カメラマン=ジャック・カーディフが撮った映像は、当時としては破格にテクニカラー映えしていて、鐘楼から谷底の村を見下ろす断崖カットなどは、どこからどこまでがセットなのか分からないほど良くできている。そんな人工的な演出や映像を通して、おそらく監督のマイケル・パウエルは“キリスト教布教の欺瞞”を暴こうとしたのではないだろうか。仏教が根付いているであろう村に、無理やりキリスト教を持ち込もうとした白人修道女たちの傲った考えが、ことごとく裏目にでるシナリオになっているからである。

この映画不思議なことに、Mr.ディーンが美声を披露している讃美歌歌唱シーンがあるだけで、神に祈りを捧げるシーンがほとんど出てこない。ヒッチコック初期の作品でスチールカメラマンとして関わったというパウエルだけに、Mr.ディーンとクローダの仲に嫉妬の炎を燃やすシスター・ルース(キャサスリーン・バイロン)が、おどろおどろしいホラー・タッチで描かれているのである。宗教映画というのは見かけだけで、シスターたちの“7つの大罪”が本作のメインディッシュではなかったのだろうか。

①傲慢 自分ならヒマラヤ支部をきちんとまとめられるというクローダの驕り
②嫉妬 クローダに対するルースのジェラシー
③憤怒 クローダの命令無視をするシスターたちへの怒り
④怠惰 村民の離反を恐れ病気の子供に何も処置しなかったブライオニー
⑤強欲 王の援助を得るために王子や娼婦を学校に受け入れたクローダ
⑥暴食 寺院の敷地に野菜など食物の種をフィリッパに植えさせようとしたクローダ
⑦欲情 昔の恋人との思い出にふけるクローダ

少々強引な根拠ではあるけれど、世俗的理由から修道女らしからぬ感情の揺れを見せるシスターを主人公にしたサスペンス、一種のジャンル映画ともいってもいいだろう。「雨季が来るまでもつかどうか」結局ディーンの予言通り、ルースの死によってシスターたちは志半ばにして村を後にするのである。低い雲に霞む寺院がまるで「お伽噺のよう」に視界から消え去っていくのだ。その時、帰途についたクローダたち一行を激しい雨が打ちつけるのであった。

黒水仙
監督 マイケル・パウエル
   エメリック・プレスバーガ
   (1946年)
オススメ度[]


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