クロード・シャブロル円熟期にあたる第3期に撮られたスリラー。フリッツ・ラングやヒッチコックに傾倒していたシャブロルは、この時期“スリラー”というジャンルに自身の活路を見出したのだろうか。といってもいわゆる“謎解き”に主眼を置くのではなく、“悪意”にも例えられる冷徹な観察眼によって、人間の心理を深く洞察した作品が多いようだ。
戦地から12年ぶりにトレモラ村に帰郷した『肉屋』のポポール(ジャン・ヤンヌ)と、小学校の女校長をつとめるエレーヌ(ステファーヌ・オードラン)のラブストーリー。しかし、戦地で“肉”の塊と化した死体を見続けたポポールはPTSDで悩み苦しんでいた。エレーヌもまた、昔の恋人と別れた傷痕をいまだに引きずっていたのである。お互いひかれあっているのがわかっていながら、後一歩が踏み出せないもどかしさ。そんな時、平和な村で女子供を狙った連続殺人事件が起きるのである。
トリプルミーニングと言ってもよいタイトルが示す通り犯人はまさしく◯◯なのだが、人を殺さなければ生きていけない心理状況とは一体どのようなことなのだろう。そもそも◯◯という仕事自体が人が生きるために動物を殺して肉を切り刻んでいる職業なわけで、犯人は女子供を(強姦なしに)殺めることによって生きる道を見つけようとしたのだ。殺さなければ生き残れない、つまり戦争のメタファーにもなっているのである。
その悪しき連鎖を断ち切るべく、犯人は恋をするのである。クロマニヨン人が絵を描いて野蛮から解放されたように、恋を成就させればこの不毛な“戦争”の連鎖を断ち切るのことができるのではないか、と考えるのである。犯人の気持ちはもう自分では押さえられないほどのスピードで日に日に高まっていく。相手も同じ早さで自分のことを....ここで抜群の伏線効果を発揮するのが、犯人が子供時代に苦手だったという“旅人流水算”。つまり、相手の“失恋経験”という川のマイナススピードがまったく頭に入ってなかったのである。
自分のことをすんなり受け入れてくれるはずという犯人の思惑ははずれ、逆に閉め出しを食らってしまうのだ。あるべきポイントに相手がまだ到着していなかったのである。そして悲劇が...「キスしてくれ」時すでに遅し。相手が自分に心を開いた時には、すでに残された時間はごくわずか。人の心は変わり続ける、とどまることを知らない川の流れのように。彼岸へと旅立った男を、此岸の女は茫然と見送るのであった....
肉屋
監督 クロード・シャブロル(1970年)
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