ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ライアンの娘

2023年04月13日 | 誰も逆らえない巨匠篇

「ボヴァリー夫人は私だ」一応本作の原作となっているらしい『ボヴァリー夫人』の作者ギュスターヴ・フローベールの有名な言葉だ。が、第一次大戦後独立気運が高まるアイルランドを舞台にした不倫物語は、英国の巨匠デヴィッド・リーン監督と脚本家ロバート・ボルトが原型を留めないほどに脚色したまったくの別物語といってもよいだろう。原作者の発言に言及しているのかは定かではないのだが、鏡写しになった登場人物の2重設定が一つの魅力になっている。

①マイケルとドリアン少佐
右足を共に引きずっている。知的障害者とPTSD患者。ローズを精神的、または肉体的に愛している。
②ローズとライアン
イギリス人と不倫することにより、又はイギリス軍のスパイをすることにより、祖国アイルランドを裏切っている。
③チャールズとコリンズ神父
ローズとライアンの関係に感づいていながら見逃している中立的な存在=神?

真ん中にインターミッションが入る196分の超大作は興行的には大ゴケで、その後14年間ショックでリーンがメガフォンを握れなかったという逸話が残っている。『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバコ』に続く4匹目のドジョウをねらった目論見が見事に外れたというわけである。巷ではテレビが普及し、ちょうどハリウッドも本作のような大作路線を見直さなければならない時期にさしかかっていたのであろう。

今回この超大作のデジタルリマスター版を拝見したのだが、アイルランドの大自然をとらえたカメラは確かに美しく、アイルランド人妻ローズ(サラ・マイルズ)とイギリス軍少佐ドリアン(クリストファー・ジョーンズ)の禁じられた不倫愛を、アイルランドにおける統一独立派とイギリス帰属派の対立を背景に描き出した演出がものの見事にはまっている1本だ。一部の酷評で下げられているような凡作ではけっしてないだろう。

私は、アイルランド人女流作家が書いた『ミルクマン』という小説の中で、同一エリアに居住しながら対立し合っているアイルランド両派閥の複雑な関係を知ったのだが、晴れていたと思ったらあっという間に黒雲が立ち込め嵐に見舞われるこの国の急変しやすい天候が、一触即発の緊張状態にある国情を反映しているように思えたのである。しかし、独軍との戦いでPTSDに罹ったドリアンと、夫との結婚生活に肉体的にも精神的にも満足できないローズが、なぜあんなにもひかれ合ったのだろうか。

2人の関係を知りながら妻の不倫熱がひたすら冷めるの待っていたチャールズ(ロバート・ミッチャム)にその理由を尋ねられ、「自分でもよくわからない」と答えるローズ。密告の疑惑をかけられたローズは、『24時間の情事』のエマニュエル・リヴァのごとく、統一独立派の村人たちに服を剥ぎとられ頭を丸刈りされた挙げ句、チャールズとともに村を追い出されるのである。

この半島の“精霊”のごときマイケルに見守れながら愛を育んだ2人だったが、嵐に紛れて武闘派が半島に持ち込んだドイツ制の武器弾薬とともに決裂、急激に熱が冷め別れを決意するのである。お互いに憎み合いながらどこかでひかれ合っているイギリスとアイルランドの複雑きわまりない国家関係を、フランス古典写実文学ベースの不倫物語の中に落としこんだ演出はお見事だ。興行的に今作がふるわなかった理由は、ただ単にテーマがプロテスタントというかアングロサクソン好みではなかっただけ、なのかもしれない。

ライアンの娘
監督 デヴィッド・リーン(1970年)
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