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追試という文字は普通名詞だが塾では特別な意味を持った。
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大学や高校その他で成績が足らない学生諸氏の救済措置として行う追試では、全問正解でも得点は合格最低点の60点が当たり前だ。だが、塾の追試では何度受けても全部できれば100点とした。
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ちなみに、昔の職場に、「追試でも全問正解ならば100点にすべきだ。」と主張した先生がいた。呆れた。
単位がかかる正規の試験で「追試でも100点」は呆れる。
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ところが、「それはおかしい。」という反対意見に対し「なんでですか?」と、100点先生が反撃した。
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「いやぁ~、だって~、おかしいですよねぇ~。」と、反対派教員群は互いに顔を見やるが説得力をもって再反撃をするものはいなかった。これには更に呆れ、驚いた。
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100点先生の孤軍奮闘は力強く、危うく「追試でも100点可」で押し切られそうになったので、やむを得ず正義論から説き起こして説明した。
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「一回目がだめでも、二回目で頑張って全問正解ならば100点にしてもいいじゃないか。問題も違うのだから。」というのが100点先生の教育的配慮に基づく理由だった。
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しかし、それがなんとなく「違う」ということは誰でもわかるのだが100点先生を納得させる理屈を展開する人はいなかった。それは仲間内の遠慮だったのかもしれない。
だが、万一「追試でも100点」が通ったらこの大学の成績評価に対する社会的信用は失墜し、本試験で合格した学生諸氏の成績に疑念が持たれかねない。とんでもないことになるところだった。
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塾の追試では合格点は満点の100点だ。塾だから。
追試も本試験も試験問題はまったく同じ。この同じ試験問題を塾生は繰り返し、繰り返し、繰り返し解答する。
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提出された解答用紙を私が採点し返却する。これを合格するまで何度でも何度でも何度でも繰り返す。
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始めた当初は、「果たしてついてくるかな。」という不安もあった。
だが、実際に始めてみるとこれが塾生に大いに受けた。
日頃から成績の良い生徒だけでなく平均点以下でウロウロしていた生徒達にも大いに受けた。
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「10回で合格した。」
「俺は21回までねばったぜ!」
こういう会話が塾にあふれた。
ただし、学校では絶対に話題にするなと命じた。
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追試は通常の授業が始まる前の30分間で受験しなければならない。そうでないと通常の授業が遅れるからだ。
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はじめのうちは問題用紙を束ねて「問題用紙」と書かれた箱に入れていた。しかし、これが非常に使い難いことが分かった。
すると塾長が多段式の書類ケースを用意してくれた。これを使えば Lesson 1 から直近まで過去の問題用紙を順番に置くことができる。
塾生は自分が受験する問題をそのケースの引き出しから取り出して解答する。解答し終わった答案は「答案回収箱」に入れる。監督はいない。
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この仕組は意外な使われ方がされるようになるが、それは後ほど。
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答案回収箱は私の手作りである。そこらにあった段ボール箱を郵便ポスト状に加工して作った。
こちらも当初、若干不安があったので箱の上に「この箱を開けてはいけません。」と書いた。しかし、鍵なぞは掛けなかった。そもそも、鍵をかけられるような箱ではなかった。この答案回収箱も大いに受けた。10余年の勤務中、不都合な事態はただの一度も無かった。そして退職するまで同じものを使い続けた。
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子供たちはゲーム感覚で追試を受けた。なかには塾の無い日に筆記用具だけをもってふらっとやって来て追試を受けて帰って行くものもいた。
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私が出勤すると答案回収箱がいっぱいになっている。これを取り出して赤ペンで〇を付ける。間違っている箇所には大きく✕をつける。添削はしない。すでに正解は分かっているからだ。
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〇を付け終わった答案は通常の授業の中で返却した。返却するときは大きな声で「合格」または「不合格」と言って返した。
このやり方も、当初、「不合格」と言われた生徒が嫌がるかと危惧したがそれは無かった。
むしろ、日頃、低空飛行をしている生徒が「合格」と言われて答案を返されると拍手がわき起こり、本人はガッツポーズを見せた。時間はかかったが満点なのである。私には満点の経験が無いがさぞや嬉しかったのだろう。
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時おり答案回収箱にすでに合格した塾生の答案が入っていることがあった。他の答案と同じように添削して返却する。もし間違いがあれば再び全問正解となるまで受けることになる。もっとも、前の合格が取り消されるわけではない。
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「なぜ、一度合格した単元の追試を受けるのか」と、受験したものに尋ねたことがある。
「期末対策ですよ。けっこう忘れているんですよねぇ~。」
なるほど、そういうことか。うまい使い方だ。
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塾の勉強は学校より先に進む。その為、学校の定期試験の範囲を塾で学習するのが「ずいぶん前」ということが起きる。
しかし、学校の定期試験なぞ関係なく塾ではどんどん先へ進む。他の塾では学校の定期試験の時期に欠席する生徒がいると聞いたことがあるがこの塾ではそういう塾生はいなかった。
その代わりというわけではないだろうが、すでに合格した単元の追試を受けて試験対策としていたのである。賢い子はどこまでも賢い。
多段式の書類ケースのおかげで塾生は自分が弱い部分を自由に強化できるようになっていた。
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この追試にかかる本試験は各単元が終るごとに私が作成した。設問はすべて英作文だ。
この頃、中学生にとって最も苦手なのが英作文であった。そこで、英作文を攻略することで英文解釈やその他の問題についてもそれを解く自信がつくと考えた。
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若い脳みそは刺激さえ与えれば猛烈な勢いで知識を吸収するものだ。
本試験後の解説では英文を分解して説明した。そして、出来上がった英文と元の日本文を大きな声で読ませた。
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しばしば耳にする教師の言葉に、「後でよく見直して復習しておきなさい。」というものがある。
自分の経験からして復習はしない。このセリフは教員の責任逃れでしかない。「復習しておけと言ったのに復習していないから成績が悪いんだ(俺の責任ではない)。」ということだ。
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塾の講師だろうと学校の教員だろうと知的遺産を伝える立場に就いたならばその知識をキッチリ伝えるのが責務だ。
だから私はその場で覚えさせることにした。
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「覚えさせる」というよりは大声で10回以上読ませた。子供たちはこれも遊び感覚で大声を出した。ただし、一斉にそろって言わせるのではない。5分とか3分とか時間を区切り「10回以上できるだけたくさん読め。」と指示をする。早い子も遅い子もいる。隣の子の声に引き込まれないように大声を出す。耳をふさぐのは禁止だ。多くの場合、私も大声を出して一緒に読んだ。当時、私の声は大きく、20人程度の中学生の合唱より大きかった。「俺の声に負けてるぞ。」と言うと塾生はさらに大声を出した。愉快だった。
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中学生の脳みそはあっという間に英文を暗唱してしまった。これは3年生も変わらなかった。中学3年生ともなると、無邪気さが影をひそめ、照れも混じって大声を出したがらない。
しかし、こちらの持って行きようで火はつく。一度ついた火は簡単には消えない。関係代名詞が入る少し長めの英文も見事に暗記した。
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愉快ではないか。「できない子」とレッテルを張られた生徒が、もしクラス一番、学年一番になったら。記憶に残る珍しい例を紹介しておきたい。(つづく)
※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。