当時日大病院は、現・日本心療内科学会理事長で心療内科の第一人者でもある
桂 戴作氏が教授を務め、心療内科医長でもあった。その桂教授のクリニックが神田に
できることになり、私は家も会社も近いので、そちらのクリニックに移ることにした。
そして一年あまりで、そのクリニックは原宿に移転した。
それが現在、心療内科で有名な「LCCストレス医学研究所・原宿駅前クリニック」だ。
私は十数年の間で池袋、神田、原宿、とすがる様な気持ちで先生を追いかけた。
私はそこで、内田栄一医師と出会った。私はこんな先生を待っていたのだとパニック発作を
起こしてから初めて私は心開ける信頼できる医師と出会った。
一人一人に時間などそっちのけで、熱心に関わってくれる、私には救いの神様、
お医者様だった。
ここで初めて、私は内田医師に「パニック障害」と診断された。そして「Nさんは現代病の
最先端をいっていたんだね。今だったら良い薬もあるし、すぐ良くなったのに、長い時間
かかってこじらせちゃったんだね。」と言われた。
私は病名を告げられた安心感と、今度こそ治るんだという先生の言葉に、
今迄の苦しみが込み上げて堰を切った様にまたまた涙を流したのだった。
私は内田先生には何でも話し、プライベートな事もすべてさらけ出していた。
結局8年通った日大病院でも「パニック障害」と言う事は一度も告げられず
この様な病名はまだ無かったのか知らなかったのか?どちらかというと
不安神経症と診られていたようにも思うが、色々な治療が効果無しだったのは
明らかだった。
この頃ようやく世間で「パニック障害」という言葉が聞かれ始めた。
私はこの頃読んでいた女性誌の「コスモポリタン」でアメリカでは1000万人の
患者がいる「パニック障害」と題して載せられているのを見て、これって私の
症状にピッタリ!と思い、内田医師に病名を告げられた時、改めて納得したのだった。
大きなイベントの前には必ず内田医師に相談に行った。特に海外旅行の前は、先生に
診察してもらうというより、会いに行くというほうが正しいかもしれない。
先生に勇気と励ましの言葉をもらうだけで、私は思い切って海外旅行に行くことも
可能になった。今では海外旅行大好き!飛行機大好き!ほんとに昔の自分が嘘の様だ。
しかし二年あまりで今度は内田医師も開業することになる。「大塚・栄一クリニック」と
言ってJR大塚駅のすぐ近くだった。少し不便ではあるが、もちろん私もそちらの
クリニックに移った。後でわかったことだが、年齢も私と同い年で、今から10年程前に
なるが、診察にすでにパソコンを使っていて、先端の精神医学を勉強されていた。
相変わらずの熱心な診察で、予約制ではあったが一人に一時間は普通だった。
内田医師の視野の広さにはいつも感心させられた。現代の大企業のサラリーマン
事情や会社体制のことなど、実に精通されていて先生の話には信憑性があり
素直に耳を傾けていた。で話し込んで気がつくと1時間は軽く過ぎていた。
しかし思いも掛けないショックな出来事が襲った。内田医師が過労で倒れたのだ。
詳しくは看護士の方も教えてはくれなかったが、病状は重い様で、長期の入院に
なるようだった。その時臨時の医者がきたが、とても問題外の医者で話にならなかった。
その年私は結婚と同時に夫の転勤が重なった。地方都市ではあったが知らない土地での
通院が不安だった。そこで看護師の方に内田先生の知っているいる先生がいたら
紹介してほしい旨お願いをした。
先生は親切にも病床から私の住む土地の先生を紹介して下さった。
2度ほど車を運転して1時間かかる紹介された総合病院に通ったが、やはり
医師との相性は大切だと感じた。私は駄目だと直感した。
私はインターネットで自分で探すことにした。
そして運良く貝谷医師のいるクリニックをみつけた。私は貝谷医師の書いた本を何冊か
読んでいたので、同じ土地に先生がいることを知り嬉しくなった。しかもパニック障害
専門のクリニックでもあった。その上、東京の赤坂にも先生のクリニックがあったのだ。
心療内科に詳しい人なら知っている人も多いと思うが「 医療法人和楽会・心療内科・神経科
貝谷クリニック」の元院長で現在は理事長だ。赤坂、横浜にも同じクリニックがある。
私はその「貝谷クリニック」に通い、東京に戻ってから赤坂クリニックに通い、
今日まで5年の月日が流れた。同病院はパニック障害の患者さんが多く、最近は
特に男性患者も増えてきている。研究も熱心にされていて、診察以外のケアにも
力を入れていて、講演会、行動療法やお香、季刊誌、PDを持っている人には辛い
歯科医の紹介などもしてくれる。
ここではSSRI(パキシルなど)が認可されると、すぐに処方されるようになった。
これは特効薬とも言われ、私もこの薬のおかげでずっと発作がおさまっている。
通院も月に一度行けば良いので、昔の自分を思うと今が嘘の様でもある。
今苦しんでいる人も必ず良くなるので、焦らずに病気と付き合って行って欲しいと思う。
現在は心身医療無認可の医師が心療内科の看板を掲げているところもある。
なぜなら、ストレス社会というだけに、心療内科というだけで患者が増えるという。
適当に話を聞いて、良く使われる安定剤を出すだけだ。つまり儲かるのだ。
特に年寄りがやっている、開業医は注意した方が良い。
医者選びだけは慎重に調べた方が良いと思う。病気の治癒に大きく影響してくるからだ。
そして今、私はまた内田医師に「大塚・栄一クリニック」に移ろうかと考えている。
やはり、自分と相性の良い医師に診てもらうのが、何よりも病気が良くなる最善の
方法だと思う。当時から、漢方の勉強もされていて、現在はアロマセラピストも常勤
として置いている。何事も先端をいく先生だ。
「大塚・栄一クリニック(内科、心療内科、口腔心療科」
大塚・栄一クリニック ホームページ
院長プロフィール
私はこうして20年に渡り、心療内科と付き合ってきた。
そして自分に最も適した医者を見つけることもできた。
うつの状態での決断は禁物と良く言われるが、学校、会社、就職、結婚など、大きな
問題が人生にはついてくるが、ホントに悪い状態での決断は、よく考えて、信頼の
できる心療内科の医師にまず、相談することが良いと思う。
私は結局20年間会社生活を続け、結婚を機に退職し今日に至っている。
心療内科歴20年でもある。
この病気は人にもよるが、完治したら何よりだが、完治しなくても、付き合い方しだいで
充分普通の生活ができる。PDになってしまったら、それを受け入れるしか仕方ない。
でも早く治す一番の方法は、良い医者をみつける事だと思う。10人い一人がPDと言われ,
アメリカでは1000万人を超えるという。ほんとに今は特効薬ももあるので、焦らずに
ゆっくり、この病気と付き合っていって欲しいと思う。
つづく。。。
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