たろ,はな&もみじの散歩道

たろはなもみじの愛犬日記。プリザーブドフラワー!旅グルメ、オータカラヅカ!アロマ!我が街湯島界隈!

PD(パニック障害)と共に生きて20年

2005年05月10日 | PDパニック障害の克服
現代病とも言われるPD=パニックディスオーダー(パニック障害)
で苦しむ人達がブログを通して大勢いることを知り、
驚くほど、沢山の人がPDに苦しみ、それぞれが
PDと向き合い、一生懸命生きている事を知った。
今はこうして仲間と堂々と話をすることが出来る。
時代は変わったなと言うのが実感だ。

私が発作を起こした20年前は、日本では病名さへもわからず、
一人で、ドクターショッピングをし、心無い医者と出会ったり、
この医者は真剣になってくれているのか、自分の医者としての
無知を棚に上げ、結婚したら治るなどと、何の根拠も無いことを
言う医者共にどんなにか苦しまされたことか。

発病から3年後、ようやく辿り着いた心療内科で、「今だったら、
治療法も良い薬もあるから、すぐに良くなったのにね、ほんとに
辛かっただろうね。ちょっとこじらせちゃってね、」と。
つまりいつの間にか、私の病気は慢性化してしまったらしい。

満員の地下鉄でパニック発作を起こしてからは、通勤はタクシーを
使っていました。何故なら、降りたい時に降りられるからです。
閉じ込められるのが怖い、狭いところ、天井の低い所が苦手になり、
乗り物恐怖に陥いっていきました。PDで乗り物に乗るのが怖いと
言う人が多いが、その気持ちはホントに良くわかる。

試験に開放され、一流企業に入社し2年目、これから海外旅行に
スポーツにと、楽しもうとしていた青春の真っ只中だったから
PDを恨み、とにかくあの苦しい発作のから逃れられるなら、
死んでしまった方が余程楽だ。。。
手術して、薬を飲んで、それで治る病気の方が数倍楽だ。。。
そんな日々が続いたのだった。

私の青春はPDと共にあった。でも生きていくには、普通の
日常の生活を続けるなら、PDから逃げてはいられない。

人に言っても理解されないこの病気。親にも友人にも告げず
一人で闘った私だった。
山手線から地下鉄と何度途中の駅で降りたことか。

それが、新幹線にも乗れるようになり、飛行機に乗れたのは発作を
起こしてから5年経っていた。

今PDで苦しんでいる人にこれだけは言っておきたい。
決して逃げなければ、必ずPDを受け入れて努力すれば、
必ず普通に生きられる時がやってくる。普通に生きる事の
ありがたさを知り、自分を取り戻す時が、いつか必ずやってくる。

これからもPDについて語っていきたい思う。。。



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そんな~。。。獅童様。。。突然すぎますよ~。。。

2005年05月10日 | 観劇日記、宝塚、ミュージカル、芝居
青嵐の季節・・・。只管に闇夜を走り続けて来た獅子、

獅童からのメッセージを受け止めて下さい。


一瞬先は何が起こるか、予想できない昨今、

改めて生きることの意味を考えざるを得ません。

誰かを幸せにする事によって、

自分に与えられた人生を実感したい__と考えるようになったのは、

つい先頃の「いま、会いにゆきます」の巧を演じてからです。

澪こと竹内結子さんが、巧役の僕の為に摘んできてくれた“四葉のクローバー”

恥ずかしいけれど、心は少年時代。

この人を一生大切にしたい、と思い始めました。

まだ考えなければならないこと、

役者としての成長に手を貸し、

灯を点してくださった方々へのご報告・・・。時間が足りません。


まづ、一歩を踏み出しました。

どうかお許し頂き、優しくそして厳しく御見守り下さい。

心よりのお願いを申し上げます。



                         中村 獅童




朝のyahooニュースで記事を見て、慌ててホームページを見たら
しっかり師童様のメッセージが出ていました
朝からちょっとショックなニュース
でも師童様も32才ですものね

竹内結子さん素敵ですものね。。。。
しのはらともえとは全然違うタイプですね
でもとてもステキなメッセージでした

どうぞお幸せに

Yahoo!ニュース - 共同通信 - 獅童さんと竹内さんが交際 歌舞伎俳優と女優


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