現代病とも言われるPD=パニックディスオーダー(パニック障害)
で苦しむ人達がブログを通して大勢いることを知り、
驚くほど、沢山の人がPDに苦しみ、それぞれが
PDと向き合い、一生懸命生きている事を知った。
今はこうして仲間と堂々と話をすることが出来る。
時代は変わったなと言うのが実感だ。
私が発作を起こした20年前は、日本では病名さへもわからず、
一人で、ドクターショッピングをし、心無い医者と出会ったり、
この医者は真剣になってくれているのか、自分の医者としての
無知を棚に上げ、結婚したら治るなどと、何の根拠も無いことを
言う医者共にどんなにか苦しまされたことか。
発病から3年後、ようやく辿り着いた心療内科で、「今だったら、
治療法も良い薬もあるから、すぐに良くなったのにね、ほんとに
辛かっただろうね。ちょっとこじらせちゃってね、」と。
つまりいつの間にか、私の病気は慢性化してしまったらしい。
満員の地下鉄でパニック発作を起こしてからは、通勤はタクシーを
使っていました。何故なら、降りたい時に降りられるからです。
閉じ込められるのが怖い、狭いところ、天井の低い所が苦手になり、
乗り物恐怖に陥いっていきました。PDで乗り物に乗るのが怖いと
言う人が多いが、その気持ちはホントに良くわかる。
試験に開放され、一流企業に入社し2年目、これから海外旅行に
スポーツにと、楽しもうとしていた青春の真っ只中だったから
PDを恨み、とにかくあの苦しい発作のから逃れられるなら、
死んでしまった方が余程楽だ。。。
手術して、薬を飲んで、それで治る病気の方が数倍楽だ。。。
そんな日々が続いたのだった。
私の青春はPDと共にあった。でも生きていくには、普通の
日常の生活を続けるなら、PDから逃げてはいられない。
人に言っても理解されないこの病気。親にも友人にも告げず
一人で闘った私だった。
山手線から地下鉄と何度途中の駅で降りたことか。
それが、新幹線にも乗れるようになり、飛行機に乗れたのは発作を
起こしてから5年経っていた。
今PDで苦しんでいる人にこれだけは言っておきたい。
決して逃げなければ、必ずPDを受け入れて努力すれば、
必ず普通に生きられる時がやってくる。普通に生きる事の
ありがたさを知り、自分を取り戻す時が、いつか必ずやってくる。
これからもPDについて語っていきたい思う。。。
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で苦しむ人達がブログを通して大勢いることを知り、
驚くほど、沢山の人がPDに苦しみ、それぞれが
PDと向き合い、一生懸命生きている事を知った。
今はこうして仲間と堂々と話をすることが出来る。
時代は変わったなと言うのが実感だ。
私が発作を起こした20年前は、日本では病名さへもわからず、
一人で、ドクターショッピングをし、心無い医者と出会ったり、
この医者は真剣になってくれているのか、自分の医者としての
無知を棚に上げ、結婚したら治るなどと、何の根拠も無いことを
言う医者共にどんなにか苦しまされたことか。
発病から3年後、ようやく辿り着いた心療内科で、「今だったら、
治療法も良い薬もあるから、すぐに良くなったのにね、ほんとに
辛かっただろうね。ちょっとこじらせちゃってね、」と。
つまりいつの間にか、私の病気は慢性化してしまったらしい。
満員の地下鉄でパニック発作を起こしてからは、通勤はタクシーを
使っていました。何故なら、降りたい時に降りられるからです。
閉じ込められるのが怖い、狭いところ、天井の低い所が苦手になり、
乗り物恐怖に陥いっていきました。PDで乗り物に乗るのが怖いと
言う人が多いが、その気持ちはホントに良くわかる。
試験に開放され、一流企業に入社し2年目、これから海外旅行に
スポーツにと、楽しもうとしていた青春の真っ只中だったから
PDを恨み、とにかくあの苦しい発作のから逃れられるなら、
死んでしまった方が余程楽だ。。。
手術して、薬を飲んで、それで治る病気の方が数倍楽だ。。。
そんな日々が続いたのだった。
私の青春はPDと共にあった。でも生きていくには、普通の
日常の生活を続けるなら、PDから逃げてはいられない。
人に言っても理解されないこの病気。親にも友人にも告げず
一人で闘った私だった。
山手線から地下鉄と何度途中の駅で降りたことか。
それが、新幹線にも乗れるようになり、飛行機に乗れたのは発作を
起こしてから5年経っていた。
今PDで苦しんでいる人にこれだけは言っておきたい。
決して逃げなければ、必ずPDを受け入れて努力すれば、
必ず普通に生きられる時がやってくる。普通に生きる事の
ありがたさを知り、自分を取り戻す時が、いつか必ずやってくる。
これからもPDについて語っていきたい思う。。。
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