信楽タヌキにみる自由の世界

信楽タヌキを研究する、けいおうタヌキ研究所です。ブログでは信楽タヌキの楽しみ方や生態に焦点を当てたいと思います。

信楽タヌキ非実在論

2020-06-04 00:37:01 | 日記
ちくわとハマグリを眺めては「これがシチリアの香りかぁ!」と喜びの声を挙げている皆さま。

お忙しいところこんにちは。
けいおうタヌキ研究所です。

ところで皆様、
信楽タヌキは存在しますか?

皆様が街で見かけた信楽タヌキは、
本当に信楽タヌキでしたか?

もはや、それがわからない。


新型コロナの影響で遠出ができない昨今。
それ以前の日常から大きく変わったのは、
散歩の機会が増えたこと。

地元の街って案外歩かないもので、
通勤ルートとは真逆の道を、ひたすら1時間歩き続きけるとか、
なんとなく橋を渡ってみたくなるとか、河川敷を散歩してみたくなるとか。
そういったことは、たぶんこんなご時世でなければ考えもしなかったことだと思う。

ただ、何度も散歩をしている中で思うこともあって。
どういうわけか、信楽タヌキが見つからない。

全く見つからないわけではない。
1時間も歩いていれば、1体や2体見かけることはできる。
ただ、それだけじゃ心が満たされない。

信楽タヌキは居酒屋や蕎麦屋の入口に置いてあることが多い。
小さいタヌキは民家の玄関前に置かれていることもある。

だから、目的のない散歩とはいえ、
「この通りはタヌキがいそうだな」
「あの商店街のお店はタヌキが置かれているかもな」
そんな風に、あたりをつけながら街を歩いている。

にも関わらず。
一向にタヌキが見つからない。

「こんなに愛が強いのに、どうしてタヌキは応えてくれないんだ」

初恋にして片思いに苦しむ少年がとる独り相撲のごとく
苛立ちにも近い想いを抱いていたそんな時、ひとつの考えが脳裏を掠めた。


この写真を見てほしい。

信楽タヌキがどこにいるかわかるだろうか。



答えは、いません!
そう、この写真にタヌキは不在。

でも、なんとなく感じたのではないだろうか。
タヌキがいそうな気配を。

そう、今回私が提唱したいのは、
信楽タヌキ非実在論

信楽タヌキとは空想の産物。
それらしい情景を前に、我々がタヌキをイメージしているのであって、
物体としてそこにタヌキは存在していないのだ。

そう考えると、すべてに合点がいってしまう。

Q.信楽タヌキがいそうな場所を歩いても見つからないのはなんで?
 ⇒ 信楽タヌキは存在しないからです!

Q.じゃあお店の前に置かれているタヌキは?
 ⇒ 我々がお店の景観に合ったタヌキを思い浮かべ、補完しているからです!

長年の疑問は、ついに終止符が打たれてしまった。

つまり、私がタヌキを見つけられなかった理由は、
タヌキが存在しないから。

人がタヌキを意識するとき、そこにタヌキは現れない。
タヌキへの意識が外れる、その時タヌキは我々の前に現れる。

それこそが、信楽タヌキの正体だったのである。



そんなわけはなく。
地元の街を駆け回ってもタヌキが見つからない悔しさを
どうにか吐き出したいこの頃でした。


タヌキに出会えなかった散歩の帰り道。
いつもこんな顔をしながら帰路につきます。

信楽タヌキの生息地にあたりをつける手法を編み出した方、
ぜひけいおうタヌキ研究所へ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿