歯科医物語

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チャールズ国王の戴冠式

2023-05-03 23:42:50 | 医療・歯科(口腔外科)医療について
5月6日(土)、英国の首都ロンドンにあるウェストミンスター寺院にてチャールズ国王の戴冠式(たいかんしき)が行われます。戴冠式は新しい国王が王冠をかぶる伝統的な儀式であり、エリザベス女王の戴冠式以来約70年ぶりとなる今回の式典には多くの参列者が予定されています。日本からは秋篠宮ご夫妻が出席予定です。



ホントにこの人が国王になるの?????

この人 ダイアナ産の死と関係があるんじゃないの????









それぞれの失敗談トークになると、大下アナは新人時代のエピソード

2023-05-03 23:19:32 | メディア
 それぞれの失敗談トークになると、大下アナは新人時代のエピソードを披露した。「新人のころに超高級ワインを紹介する時に、親から残しちゃいけないとしつけられていたので…」。グラス1杯で30万円ほどの超高級酒だったというが、「私がしゃべるところだったので、(しゃべるために)グビグビグビって飲んだんです、照明も当たってふわーってなって。ろれつが回らなくなってしまって、その後」と打ち明けた。







手足なくとも光あり…ヘレン・ケラーが「私より偉大」と称えた中村久子の生涯【1】

2023-05-03 23:05:51 | メディア
手足なくとも光あり…ヘレン・ケラーが「私より偉大」と称えた中村久子の生涯【1】





手足なくとも光あり・中村久子#第1回

ハルメク365
中村久子さん(1968年死去)をご存じでしょうか。3歳で病気のために両手足を失うも、すさまじい努力と強い精神で、家事も仕事も自分で切り開いて生き抜いた人です。苦しみを引き受け「人間としてどう生きるか」を求め続けた久子さんの生涯を紹介します。

没後約50年。生まれ育った街、岐阜・高山を訪ねて

〈来日したヘレン・ケラー女史が「私より偉大な人」とたたえた女性・中村久子さんを、多くの方に知ってほしいのです。〉読者の鎌宮百余(かまみや・ももよ)さんから届いた手紙をきっかけに、編集部は一路、岐阜・高山市へ向かいました。 飛騨の小京都と呼ばれる高山市。この街で120年余り前に生まれた中村久子さんは、幼くして両手足を失うという過酷な運命を背負いながら、72年の生涯を全うした女性です。

「料理も、裁縫も、掃除も、何でも見事にする人でした」

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編集部に手紙をくださった鎌宮百余さん
「明るくて、曲がったことが大嫌いな人でした」と振り返るのは、手紙をくれた読者の鎌宮さん。久子さんが幼少期に暮らした家と、鎌宮さんの実家が近所で親戚のような付き合いをしていたことから、「久子おばさんは、私を孫のようにかわいがってくださいました」と話します。 「あれは小学3年の夏休み。久子おばさんが家に来て、短い腕でスイカをきれいに召し上がる様子をじっと見ていた私は、思わず『おばちゃん、どうしてスイカの汁がこぼれんの?』と聞いたんです。すると『最初に果汁を吸うのよ』と優しく教えてくれました。きっと、どうしたらきれいに食べられるのか、研究に研究を重ねられたのだと思います。料理でも、裁縫でも、掃除でも、手足のないことをこちらが忘れてしまうほど、何でも見事にする人でした」 久子さんは食事をするとき、短い右腕に巻いた包帯にお箸を差し、茶碗を左腕に乗せて、人の手を借りずにきれいに食べました。裁縫をするときは、縫い針を口にし、短い両腕で布を持ち、一針ずつ前へ縫い進めてゆきます。字を書くときは、太い字は筆を口に含んで、細い字は筆を右腕と右頬に挟んで書きました。 「久子おばさんは筆まめでした。私が20歳の頃、いただいた手紙にすぐ返事を書かずにいたら、『手のある人は筆不精ね』と言われ、何も言い返せませんでした」と鎌宮さんは回想します。


死後、遺体は本人の希望で献体へ。医師が涙した理由
ハルメク365

久子さんが亡くなった当時、23歳だった鎌宮さんは「最期の3か月間、おそばで看護させていただきました」と話します。 「本人が献体を希望して、遺体は岐阜大学医学部で解剖されました。体中がボロボロで、先生方は『生前、どれだけ苦しかったか……この体でよく72年間生きられました。お見事としか言いようがありません』と泣きながらおっしゃったそうです」 その死から約50年。久子さんの生涯は、いったいどのようなものだったのでしょう。次回は、鎌宮さんの記憶やご本人が遺した記録をひも解いてゆきます。 参考文献:中村久子著『こころの手足』(春秋社刊) 取材・文=五十嵐香奈(ハルメク編集部) 撮影=安部まゆみ 写真提供=鎌宮百余 ※この記事は雑誌「ハルメク」2019年4月号に掲載された内容を再編集しています。


 
 

岐阜県東白川村の名物イベント「つちのこフェスタ」

2023-05-03 22:57:58 | メディア
岐阜県東白川村の名物イベント「つちのこフェスタ」が4年ぶりに帰ってきました! 幻の生物「つちのこ」を本気で捜索するイベントで、開催は4年ぶりです。 【写真を見る】幻の生物「つちのこ」を見つけたら131万円!4年ぶりにガチンコ捜索!村長も「本当にいると信じています」岐阜・東白川村で「つちのこフェスタ」 CBCテレビが2000年に東白川村を取材した際にも、「わらじのような形のつちのこを見た」という人がいました。 また、東白川村のホームページにも、以下のような目撃例が紹介されています。 ■東白川村でのつちのこ見聞録(主な目撃例) 平成2年8月 / U.Kさん / 河原で草刈り時。銀色にキラキラ光る、腕位の太さ。 平成2年5月 / Y.Fさん / 自宅近く。一升瓶が転がっていると思った。太短い。 平成2年頃 / J.Fさん / 桜峠の佐見側。頭は丸く、尾はほとんど無い。 昭和63年9月 / M.Iさん / 曲坂の桑園で。35cm、胴6cmくらい。 昭和63年5月 / N.Yさん / 自宅付近の茶畑。40cm、ビール瓶くらい。 昭和63年5月 / M.Yさん / 同上。灰色に光り、はいずるように動く。 昭和62年11月 / T.Iさん / 田の側溝。石を当てるとタイヤに当たった音。 昭和62年7月 / S.Fさん / 茶畑の草刈り中。黒っぽいビール瓶のよう。 昭和62年6月 / K.Yさん / 茶畑。ミカン袋のような網模様が光った。 昭和62年6月 / K.Yさん / 同上。 昭和58年6月 / F.Gさん / 自宅の車庫近く。鼠のような尾、灰色。 昭和57年 / S.Oさん / 桑畑。40cm、どたりと座ったよう。 昭和50年頃 / Y.Yさん / 自宅前。頭だけ見えた、口中が赤い。 昭和48年頃 / Y.Mさん / 曲坂にて。ずん胴、尾が細く灰色。 昭和24年7月 / A.Iさん / 前山の畑。灰色で、はいずるように動く。 昭和22年頃 / K.Yさん / 二本松近くの道端。木の株と思った。 昭和21年頃 / T.Yさん / 自宅で二度、桜峠で一度。灰色に光り30cmくらい。 昭和09年頃 / K.Yさん / 馬崩れ。笹を倒しながら逃げていった。 ? / Y.Nさん / 灰色、40cmくらい、光っていた。 ? / K.Iさん / ずん胴、ビール瓶くらい、鼠の尾に似ている。
イベント「つちのこフェスタ」は、東白川村で「つちのこ」目撃情報が相次いだ1989年から開催していて、前回の2019年には村の人口の2倍ほどに当たる約4000人が訪れました。 発見した人に贈られる賞金は当初100万円でしたが、発見されなければ原則毎年1万円ずつ上積みされるルールで、今回は131万円になりました。 捜索には全国から集まった231人が参加、「つちのこ」が大好きだという山の斜面の茶畑を中心に、約1時間半探し回りました。 そして今回の捜索は午後に終了。 4年ぶりの捜索でしたが発見には至りませんでした。


 



 
わっしの実家の近く。。。。。