ある出会い
これは、友達の、歯科医の、K君から、
聞いた大学病院内での話である。
K君は、歯科大学を、卒業して「口腔外科」を、専攻した。
口腔外科とは、口の中の、虫歯・歯周病以外の
(正確には、「虫歯・歯周病」で、抜歯する場合はこれに入る)
疾患や、外科的処置をする診療科である。
歯の抜歯から始まり、
口腔のガンの治療まで、
さまざまである。
Kは、卒業して、しばらく研修後、
その入院「患者」の担当になった。
担当と言っても、新米だから、
本当の担当はもっと、上の先生で、
その「助手」という方が、正しかった。
その入院患者は「上顎ガン」で、
つまり、「上あご」の骨の中にガンがあった。
Kは、担当になる前から、
その患者のことは、知っていた。
同じ、医局のなかであるから、
当然といえば、当然であるが。
その患者は、入院したときから、
ガンは、かなり進んでいた。
リンパ節転移が、もはや、あった。
しかし、治療も、ことごとく、失敗した。
まず、抗ガン剤の、局所動脈内の
挿管から、失敗・・・・・。
結局、1年以上、入院して、昇天した。
その患者は、50歳後半、男性で、
寡黙で、ガンコそうで、いつも、黙っており、
どんな処置をされようが、
悲鳴ひとつ上げず、必死に、我慢していた。
いつも、付き添っていた、奥さんは、
反対に、おしゃべりで、愛嬌があり、
真っ黒で、働き者そうで、
あまりしゃべりの得意でない
Kも、楽しくしゃべることができた。
Kには、なぜか、理想的な、夫婦にみえた。
「男は度胸、女は愛嬌」
いまや、死語になったこのことばを、
絵に描いたような、夫婦であった。
その、奥さんの話によると、
子供さんは、なんと、5人とも、女性で、
つまり、5人姉妹ということであった。
上の3人は、既婚で、子供もあり、
その患者の世話は、主に、
奥さんと、下の2人の娘さんが、していた。
「四女」と「五女」の2人の女性のうち、
下の女性は、お父さんが生きているうちに、
「花嫁姿」を、見せたいと、見合いして、結婚した。
結婚式の写真を、Kは、見せてもらったが、
きれいに着飾った、花嫁の横に
もはや、顔に、ガンが、あらわれた、その患者が
いつものように、ガンコそうな顔で、笑みも
浮かべず、写っていた。
上の(上から4番目)の女性は、
お父さんが、亡くなるまで、面倒をみたいと、
結婚をしなかった。
結局、その患者の最後の方は、
奥さんと、その女性が、交代で、
その患者の面倒を看ていた。
奥さんによると、やはり
その、ガンコで、寡黙な、患者は、
男の子が、欲しくてたまらなかったという。
その、下から2番目の子を、
産んだときは、怒られ、かわいがりもせず、
名前は、届け期限の、14日目に、
つけられたというから、かわいそうである。
そして、もう1人女の子。
末っ子が、生まれたときも、
その想像に、容易い。
Kは、もはや、助からないその患者の
処置や、世話をした。
主治医のひとりとはいえ、
新米であった。
そういう、雑用は、まかされた。
毎日毎日、処置をした。
ある日、夜、処置に、Kが、その患者の部屋へ
入ると、奥さんが、
「アンタ、夕飯食べたの・・・・
そう、たいへんね
じゃ、これ残りモンだから悪いけど、食べていきな」
という。Kは、とまどった。
そんな、病室で、患者ととに、ものを食べるなどということは、
聞いたこと、どころか、考えたこともない。
とりあえず、遠慮しているKに
あの、ガンコな患者が、
「筆談」しだした。
もはや、しゃべることもできなかった。
「なにを、えんりょしている。
わたしの、こどものくせに」
震えるその字に、
奥さんは、
「まあ、やだわ、このひとったら、
あんたを、男の子がいなかったから、
自分の子供にしているわ。
ゴメンね~。」
もはや、Kは、食べるしかなかった。
Kは、味がわかるような、余裕は、なかったが、
なにか、その患者に、
死んだ、彼の父親を重ねていた。
結局、その患者は、脳死の状態にまでなり、
最後、何人かの、ドクターの見守るなかで、
K君が、処置をしているとき、
心臓が、止まった。
そのそばでは、「父親」の面倒をみるために
結婚しなかった下から2番目の娘さんが、
静かに、じっと、見ていた・・・・・・。
・・・・・時が経ち、その、数年後、
K君と、その「娘」さんは結婚した。