おはようございます。
皆さん、秋の3連休をいかがお過ごしでしょうか?
天気も良く、行楽日和ですね。
そろそろ紅葉もピークを迎えます。
紅葉スポットのおすすめは、やっぱり京都ですかねぇ。
清水寺もいいですが、東福寺もいいですよ。
私の一番のおすすめは、嵐山です。来週あたりが見ごろでしょうか?
さて、
ジム・アボットという人をご存知でしょうか?
数々の栄光を手に入れた元大リーガーです。投手(左投右打)です。
エンゼルス、ヤンキース、ホワイトソックス、ブルワーズでプレー(1989-1999)し、
生涯成績は、87勝108敗、防御率4.25。現在は、講演者として活躍されています。
彼は身体能力が非常に高く、アマチュア時代からその非凡さを発揮しています。
高校時代、2回の完全試合を含むノーヒット・ノーランを4回記録し、
大学時代、米国一のアマチュア選手に贈られるジェームスサリバン賞を受賞、
ソウルオリンピックではアメリカチームの金メダル獲得に貢献。
1993年には、インディアンス戦でノーヒットノーランを達成しています。
10年の選手生活で87勝、それほど大した数字ではないものの、
本当にすばらしい功績を残した大投手なのです。
彼のすばらしい功績以上に、注目されていたのが、
右手の手首から先がないという障害を持った投手だったという点であります。
アボットは、左投げですから、右利き用のグラブを右腕の先にひっかけてボールを投げ、
投げ終えると同時にグラブを左手につけて打球に備えるという技術を
幼い頃から、習得していました。
しかし、相手チームがその動作につけこむことも多々、あったようです。
8連続バントで攻略を試みたチームや、ホームスチールを仕掛けてくるチームもあった。
ただし、そのほとんどが失敗に終わったといいます。
彼は他の投手の比較にならないほどのフィールディングの技術を持っていたのです。
彼は生まれたときから、右手がなかったのですが、
彼を生んだのは、18歳で高校を卒業したばかりの両親でした。
障害を持ったアボットに、正面から向き合い、精一杯の愛情を注いだといいます。
アボットの凄さは、その並々ならぬ努力の結晶もあるでしょうが、
周囲の人たちの支援や、激励がなければ、その能力を発揮することはなかったでしょう。
アボットを、一野球人として向き合い、特別扱いをしなかったことが、
彼を一流選手に、育て上げたのだろうと感じました。
でなければ、ふつうは手加減をしたり、ましてや小癪なバント攻撃なんかは、
したくないですよね。相手を「障害者」と見たならば、ね。
彼自身も、特別扱いをされることが何よりも苦痛だったといっています。
引退当初、指名打者制のあるアメリカンリーグでのプレーが大半だったことを、
本当に残念がっていたようです。バッティングにも自信があったのでしょうね。
最近日本でも、甲子園で活躍していた義足の三塁手や、目の不自由な選手もいました。
でも、どうでしょうか?
私もそうなのですが、やっぱり「障害者」として、特別扱いをしてしまいます。
そういう目で、みてしまいます。
アメリカのように、特別視しないような風土がいいのかどうかわかりません。
しかし障害者の方たちが、自身に対して、特別扱いをされることを嫌うのであれば、
私たちも、彼ら以上の努力が必要な気がします。
皆さん、秋の3連休をいかがお過ごしでしょうか?
天気も良く、行楽日和ですね。
そろそろ紅葉もピークを迎えます。
紅葉スポットのおすすめは、やっぱり京都ですかねぇ。
清水寺もいいですが、東福寺もいいですよ。
私の一番のおすすめは、嵐山です。来週あたりが見ごろでしょうか?
さて、
ジム・アボットという人をご存知でしょうか?
数々の栄光を手に入れた元大リーガーです。投手(左投右打)です。
エンゼルス、ヤンキース、ホワイトソックス、ブルワーズでプレー(1989-1999)し、
生涯成績は、87勝108敗、防御率4.25。現在は、講演者として活躍されています。
彼は身体能力が非常に高く、アマチュア時代からその非凡さを発揮しています。
高校時代、2回の完全試合を含むノーヒット・ノーランを4回記録し、
大学時代、米国一のアマチュア選手に贈られるジェームスサリバン賞を受賞、
ソウルオリンピックではアメリカチームの金メダル獲得に貢献。
1993年には、インディアンス戦でノーヒットノーランを達成しています。
10年の選手生活で87勝、それほど大した数字ではないものの、
本当にすばらしい功績を残した大投手なのです。
彼のすばらしい功績以上に、注目されていたのが、
右手の手首から先がないという障害を持った投手だったという点であります。
アボットは、左投げですから、右利き用のグラブを右腕の先にひっかけてボールを投げ、
投げ終えると同時にグラブを左手につけて打球に備えるという技術を
幼い頃から、習得していました。
しかし、相手チームがその動作につけこむことも多々、あったようです。
8連続バントで攻略を試みたチームや、ホームスチールを仕掛けてくるチームもあった。
ただし、そのほとんどが失敗に終わったといいます。
彼は他の投手の比較にならないほどのフィールディングの技術を持っていたのです。
彼は生まれたときから、右手がなかったのですが、
彼を生んだのは、18歳で高校を卒業したばかりの両親でした。
障害を持ったアボットに、正面から向き合い、精一杯の愛情を注いだといいます。
アボットの凄さは、その並々ならぬ努力の結晶もあるでしょうが、
周囲の人たちの支援や、激励がなければ、その能力を発揮することはなかったでしょう。
アボットを、一野球人として向き合い、特別扱いをしなかったことが、
彼を一流選手に、育て上げたのだろうと感じました。
でなければ、ふつうは手加減をしたり、ましてや小癪なバント攻撃なんかは、
したくないですよね。相手を「障害者」と見たならば、ね。
彼自身も、特別扱いをされることが何よりも苦痛だったといっています。
引退当初、指名打者制のあるアメリカンリーグでのプレーが大半だったことを、
本当に残念がっていたようです。バッティングにも自信があったのでしょうね。
最近日本でも、甲子園で活躍していた義足の三塁手や、目の不自由な選手もいました。
でも、どうでしょうか?
私もそうなのですが、やっぱり「障害者」として、特別扱いをしてしまいます。
そういう目で、みてしまいます。
アメリカのように、特別視しないような風土がいいのかどうかわかりません。
しかし障害者の方たちが、自身に対して、特別扱いをされることを嫌うのであれば、
私たちも、彼ら以上の努力が必要な気がします。