◆そよ風の彩(いろどり)・来生たかお様フアンの掲示板◆

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寛ぎを感じられる憩いの場所にできたら嬉しいです✤

週刊文春・来生たかお 

2024年06月20日 | 来生たかお

今日は、週刊文春の発売日です

早速買ってきましたよ〜

新【家の履歴書】54㌻〜57㌻まで

4ページにわたります (取材・構成 岸川 真)

ざっと一読しましたが、また ゆっくり読んでみたいと思います。

さて、昨日も母の事で忙しかったけど、

夜には、2回目を読む事ができました

ので、追記しました。

「ミュージシャンになろうなんて、

露ほども思ってませんでしたよ。」

この一行にドキッとしました。

中2の頃に、ベンチャーズにはまり、

エレキギターを買って貰い、

お仲間と「パイプライン」とかを

弾いていた。

そんな来生さんが17才の頃に、

姉のえつこさんの詞を見つけて、

曲をつけてみた。

これが後に♫サラリーマンという

曲になりましたね。

そして、高校を何となく😅卒業し、

この時点では、将来像は明確には

決まっていなかったんでしょうね?

二十歳になる頃に、ぼんやりと作曲家になりたいと思うようになった。

と書いてありますね。

この頃から、

ヒットメーカー・いずみたくさんに

弟子入りしようと思い立ち、

お宅まで伺いましたが、

弟子はとっていないと断られた。

来生さんて、思い立ったら実行に

うつすんですね。

ほんわかしているようにお見受けしますが、

やはり意思の強い御方なんですね💞

そのあと、音楽学院に通い…。

ポールマッカートニーの曲に感化され、

ピアノのレッスンにも通い、

紙鍵盤で、一所懸命に練習を

された、とありますが

これも、すごいですよね!

音も出ない紙鍵盤ですよ。

脳裏で音を想像し、確かめるしか

ないわけで、これって普通人には

出来ないと思うんですよね。

井上陽水さんのバックで、ピアノを弾いていた時に、

陽水さんを通じて、知り合った、

プロデューサーの多賀英典さんとの

出会いが、人生の分岐点になったのかも知れませんね?

曲づくりだけをしていたとしても、

作曲家という仕事で、

多くのミュージシャンを通して、

今も尚、御活躍されていらしたとは

思いますが、

そしたら、私は来生さんに出会って

居なかったと思う。

そしたら…大袈裟な言い方かも知れないけど、

私の人生も大きく変わっていたし、

日々の潤いや、楽しみ、希望さえも

感じず、

寂れたつまんない人生だったんだろうな…。と、しみじみ思ってしまいました😅

亀渕友香さんへの提供曲

🎵酔いどれ天使のポルカで、

作曲家デビュー。

その、

2年後に、歌手としてレコーディング…。

ミュージシャンになろうなんて、

露ほども思っていなかった のに、

レコーディングを…。

この時に、どんなお気持ちで、

されたのか?

宣伝で、メディアへ出ざるを得なくなったとありますが…

御自身で歌う選択肢は、

どうだったのかしら…。

まさか嫌嫌じゃなかったですよね😚?

どなたかに、歌ってもらう、

あくまでも、作曲家という事はせず、

御自身で歌われた。

ここで、未来を見据えて、相当な決断を

されたのでしょうか?されたんでしょうね。

この分岐点の御気持ちを、

お訊きしてみたいです。

と思うのは、私だけでしょうか?💦😅

そして、昨日は清瀬へ行って

来生さんが、中森明菜さんへ

提供された、

🎵セカンド・ラブ🎵駅ホームの発車メロディを聴いてきました😄

♫〜恋も二度目なら 少しは器用に〜 

もう少し長く聴きたいわ〜😆

動画のアップが出来たら、追記します

Xに、アップしてくださったかたに

お借りしました(ありがとうございます)

 

 

 

 

コメント (4)
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