山車の後に屋台が続いていた。 2008年10月20日 | Weblog 子供のころの静岡の思い出です。山車の後に屋台が続いていました。山車は男性、屋台は女性の様な、イメージが思い起こされます。川越で、昔の「屋台」が展示されていました。記憶のイメージとは多少違うようですが、、、 « 連雀町の山車 | トップ | 芹沢介デザインののれん »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 「先台」と「本台」と「おねり」 (たまご酒) 2008-10-25 21:40:02 これは、知りませんでした。さすが「あおい君」というところですね。最近、静岡まつりを見ていません。「おねり」という言葉が、静岡人のなかで生きているのか心配になります。 返信する 山車と屋台 (あおい君) 2008-10-22 05:37:19 静岡では今でも、山車を「先台」、後続の屋台を「本台」という言い方が残っていますね。江戸期には「山車+屋台」というのが関東を中心とした地域では一般的で、その伝統が静岡では細々と受け継がれているということでしょうか。「本台」というからには、その昔には静岡でも立派な屋台があったのかもしれないと勝手に想像しています。(江戸期の静岡の祭りについて、具体的に書いた書物に出会ったことがないのですが) 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
さすが「あおい君」というところですね。
最近、静岡まつりを見ていません。
「おねり」という言葉が、静岡人のなかで
生きているのか心配になります。
江戸期には「山車+屋台」というのが関東を中心とした地域では一般的で、その伝統が静岡では細々と受け継がれているということでしょうか。
「本台」というからには、その昔には静岡でも立派な屋台があったのかもしれないと勝手に想像しています。(江戸期の静岡の祭りについて、具体的に書いた書物に出会ったことがないのですが)