カツラノハイセイコに続き、またもや往年の名馬、メジロティターンが老衰のため繋養先のメジロ牧場で死亡した。 31歳。
同馬は名馬メジロマックイーンの父として有名だが 父メジロアサマ(70年天皇賞秋)、同馬(82年天皇賞・秋)、仔メジロマックイーン(91、92年天皇賞・春)と
なんと史上初の父子3代天皇賞制覇という快挙を成し遂げた。
毛色も芦毛で父のあのメジロアサマと同じで小生はデビュー当時から応援していた。
(アサマの同時期には名牝・ハクセツがいて芦毛馬に魅了された)
あのメジロアサマ。
忘れもしない同僚馬、メジロムサシとの宝塚記念でのデットヒート。
確か1番人気ながら僅差での2着。(ムサシとの親子丼は通算3回)
天皇賞では野平祐二騎手鞍上のフィニーやアカネテンリュウを押さえての快勝。
野平祐二騎手は直線ムチを落とし、素手で叩きレース後「掌がはれ上がっていた」という逸話つき。
あの時代は馬優先。
そして個性ある馬が多かった。
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