東京新聞杯~想いでの馬
東京競馬場しか勝てなかったトレンタム号
今回は第21回東京新聞杯の勝ち馬 トレンタム号 を紹介します。
トレンタムは1969~73年まで故二本柳俊夫厩舎(中山)所属馬として43戦7勝。
黒鹿毛のオープン馬で主な勝ち星はカブトヤマ記念、東京新聞杯です。
父はテューダーメロディ、母はヴァーヴ(母の父はあの名馬ネアルコ)という良血の持ち込み馬でした。
当時の関東所属厩舎は東京競馬場、中山競馬場、白井分場(現競馬学校)の3ヶ所に分かれていました。
トレンタムは中山・故二本柳俊夫厩舎(大野騎手の師匠・杉浦調教師が所属騎手でした)に所属し、主戦ジョッキーは現調教師の大和田騎手でした。
このトレンタムはなんと7勝の全てが東京競馬場のみの勝ち星で左まわり専門のサウスポーでした。
当時のエピソードとして、厩舎陣営は地元・中山競馬場での勝利をあげたくいくつかの作戦を考えました。
考えたあげく「東京競馬場への輸送」が1つにあがりました。
要するに輸送をすればトレンタムが走る気になるのだろうと。
そしてなんとレース当日に中山競馬場の周りを東京競馬場に輸送する時間と同じ位の時間をぐるぐると回ったそうです。
結果はやはり駄目でした。
出た結論は「トレンタムはサウスポーだった」でした。
トレンタムの脚質は典型的な逃げ馬で1970年の日本ダービーも4コーナーまで先頭を走り、まんまと逃げ粘りタニノムーティエの4着という大健闘でした。
この年のメンバーはあのアローエックスプレスやメジロムサシ、ダテテンリュウ、クリシバなどがいました。
引退間際は800万下の条件馬(今のような賞金加算式でなかったため重賞を勝っても降級してしまう)で終わってしまいましたが、とても印象に残った大好きな馬の1頭でした。
昭和の古き良き競馬は風流で憧れます。
トレンタムには他にも幾つかドラマがあるようですね。GateJにある古い優駿を読んで勉強しました。
ありがとうございます。