神戸から無事帰京いたしました。秋バラ香る庭園で、暮れなずむ港で、山の中腹にあるハーブガーデンで、計600枚の写真をまた撮ってきてしまった...整理が追いつきません(^_^;
さて、入れ替えていたフォトフレームの紹介がすっかり遅れました。6月末に「世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館」を訪れ、「2014年度第1期展『向井潤吉 民家十二カ月』」を観たときに求めた絵ハガキです。
600円のミニギャラリー ~失われゆく風景を留めて ―向井潤吉の民家の水彩画―~
以下がオリジナル画像です(★クリックすると大きくなります。★マウスオンすると作品名・場所・制作年が出ますが、ブラウザによっては表示されない場合がありますm(__)m)。
アトリエ館の外観や庭の様子を画像に収めてありました(2014年6月27日撮影)。
すっかり季節外れの画像で、申し訳ありませんね(^_^;
かつては向井氏のアトリエとして、現在は展示室として使われている土蔵(どの角度からもうまく写せなかったので、画像がありません)に、興味深いエピソードがあります。本人が『藝術新潮』の1971年8月号に載せた文章から要約して紹介します。
1969年秋、東北の一ノ関駅前のある旅館に泊まったとき、老女主人からこう聞かされた。国体のために立ち退きを迫られており、先祖から受け継いだ土蔵を壊されるのが惜しくて悲しいと。その土蔵、洪水に見舞われて泥水に浸かったことがあり、鉄扉は錆び、床板がそり返るなどあちこち荒廃していたが、2本の欅の梁と松の棟木がたくましく、惚れぼれするようだった。どうしても取り壊さなければならないようなら譲ってもらってもいいと言葉を濁して帰宅したが、結局その土蔵を買うことになった。
解体され、12トントラック2台に棟梁も乗り込んで送られてきた。画室兼物置として再生することに決めた。
建てる位置が道路に沿った崖の上なので、雑木を刈らねばならなかったが、それを生かすために、筑波から呼んだ職人に間地石(けんちいし)を積み上げてもらい、頑丈な擁壁を造った。
材料をよく調べると、木材、扉、土台石など残骸同然で、東北製の瓦は型も葺き方も違うことがわかった。結局、2本の梁と1本の棟木と瓦の一部が生かされただけで、他の材料は新品に取り替えるという始末だった。3ヶ月の予定のところ、6ヶ月余りを費やしてできあがった。
訪ねてきた友人が「いよいよ蔵が建ちましたね」と言ったので、「正真正銘のオクラ入りです」と答えた。そして、コローの境地に近づきたいために、この画室蔵を「胡老軒」と名づけることにした。
また、この「胡老軒」の入口にかけられている「コローを模して」という彼の作品についての解説がおもしろいので、ここに載せておきます(最大に拡大してご覧ください)。
ここからはおまけ...この日のランチはフランス小料理屋でいただきました。
レタスとサフランのクリームスープ・スズキのフリット レモン風味・オレンジとアプリコットのロールケーキ with コーヒー