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◆昭和期
昭和に入り大不況になり,市では失業者が増え、農村も疲弊し、政党政治が難局を乗り切れず、軍部の台頭を許すことになり、満州事変(昭和6年1931)に始まる15年戦争の道を歩むことになる。
▲昭和13年 庭球部練習
▲昭和13年 弓道大会
■ 軍事教育への動き
戦時体制化において、教育は正常さを失い、女学校においても軍事教育が行われた。
・昭和10年5月 賀陽宮親閲のため姫路城北錬兵場におもむく
・昭和12~13年 軍人家族への勤労奉仕や出征家族の慰問
・昭和17年 河東村の炭焼作業
・昭和19~20年 芝浦電気工場・三菱化成工場などの学徒動員
・昭和19年8月 学徒疎開児(40人)を女学校東校舎に分宿
・昭和17年11月 天皇親閲に大阪城東錬兵場におもむく
※1年は授業、2年は防空壕堀、3年・4年1組は海軍衣糧学校出勤、4年2
組三菱化成学徒工場に勤務
▲ 昭和14年 武運長久祈願(山崎八幡神社)
▲皇軍慰問の後、水害慰問依頼
▲ 昭和14年 戦地に通う乙女の心・・・
▲昭和15年 麦まきの勤労奉仕・ぞうり製作作業
▲昭和13年~20年
写真「山高70周年記念誌 70年のあゆみ」より
参考「山崎町史」より
⇒つづく 山崎高等学校③ 昭和期(戦後)
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