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郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

戦時中の一こま 配給制

2020-03-13 09:37:51 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
【閲覧】2149件(2011.5.31~2019.10.31)



昭和15年(1540)~19年(1945) 生活必需品の配給制



 日本では、日中戦争以後、昭和13年(1938)に交付された国家総動員法の制定を機に、多くの生活必需品が配給制になった。特に市民生活に大きな影響を与えた綿衣料品の切符配給制は昭和17年(1942年)2月に実施された。
 これにより衣料品の総合切符制が実施され衣料品はこの切符がないと購入することができなくなった。
 しかし戦争が長引き、繊維製品の不足はさらに深刻化し昭和19年(1944)には一人あたり30歳以上40点、30歳未満50点と制限され、さらにタオル、靴下、手拭、足袋、縫糸は制限小切符を必要とするようになった。


配給の開始と配給品目

 消費者用の配給が始まるのは6大都市を中心に昭和15年(1940)6月マッチと砂糖から始まり、地方によって時期・配給品目に違いがあったが全国で実施されるようになる。太平洋戦争が始まるとさらに強化され、昭和17年(1942)からは衣料配給切符制が実施され、塩・味噌・醤油でも採用された。

参考「戦後50年 あの日の私たち」発行龍野市歴史文化資料館より

戦時中の一こま 金属回収

2020-03-13 09:24:35 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
【閲覧】1,036件(2011.5.3jから2019.10.31)                                   


昭和17年(1542) 国民に呼びかけたチラシには





「大東亜戦争を勝ち抜く為めに 銅貨白銅貨・ニッケル貨を引換へませう
軍艦・大砲・戦車などの軍需資材確保の為め・・・貨幣を引換えてお国のお役に立てゝ下さい。引換え時期 昭和17年12月から」

資料:「戦後50年あの日の私たち 龍野市立歴史文化資料館」より


金属類の不足
 太平洋戦争が始まると国は、海外からの輸入に頼っていた物資の不足が目立ちはじめ、特に戦争に必要な金属類の不足は深刻なもので、国民の生活財の供出はもとより流通していた硬貨まで回収しようとしたものです。
 当時流通していた5厘~50銭の補助硬貨の引換えによりニッケル・銅・白銅・ニッケルを調達した。

戦時中の一こま 徴兵検査

2020-03-12 10:52:47 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
【閲覧】958件(2011.5.17~2019.10.31)



昭和10年代 徴兵検査 


男子は17歳から40歳まですべての者に兵役の義務が課せられていた。満20歳になると徴兵検査を受け、検査に適するものの中から出征しました。


写真:「戦後50年 あの日の私たち」発行龍野市歴史文化資料館より

戦時中の一こま 赤紙

2020-03-12 10:39:58 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
【閲覧】1977件(2012.5.17~2019.10.31)



昭和3年1(1928)  赤紙(臨時召集令状)  


臨時召集令状は、赤色をしていたため、通称赤紙と呼ばれ、陸軍大臣や師団長命令によって戦時に召集する令状であった。出征は名誉なこととされ、指定の日時、場所の変更は認められなかった。


写真:「戦後50年 あの日の私たち」発行龍野市歴史文化資料館より