先日、ポルトガルの南端ラゴスに行った時のこと。そこに住むKさんから「エンリケ王子が住んでいた村がこの近くにあるのよ」と伺った。
エンリケ王子は、ポルトガルでは「インファンテ・デ・エンリケ(Infante d, Henrrique)」と呼ばれて、現代でも人々に親しまれ、愛されている。日本では「エンリケ航海王子」と訳されているから、その方が馴染み深いかもしれない。
ラゴスの広場に建ち海を見つめるエンリケ航海王子像
エンリケ王子は1394年にアビス王朝初代国王ドン・ジョアオ1世の三男として生まれた。
成人してからは南端のアルガルベ地方、ラゴスの領主となり、1438年サグレス岬に航海学校を作り、そこを拠点として、モロッコ遠征などをし、大西洋に船出をして未知の国「インド」にまで思いをはせた王子だった。
エンリケ王子(1394年~1460年)が存命中は実現しなかったが、ポルトガルが世界へ乗り出す基礎を作った人物である。
航海学校ができて60年後、1498年にヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を発見し、その50年後、フランシスコ・ザビエルがインドのポルトガル領ゴアに滞在して、次にマラッカからジパング(日本)の鹿児島にたどり着いたのは1549年。
エンリケ皇子がサグレスに航海学校を設立してから111年後のことだった。
ところでエンリケ王子がサグレスで活躍していたのは、今から約570年前のことだから、夏の隠れ家があった村に行っても何も残っていないだろうけど、なんだかロマンを感じる。
その村はラポセイラという。サグレスから10キロほど中に入った所にある。
教会の前に車を停めて、村の道に入ったが、いったい何処に行けばよいのか判らない。
観光地のように案内板があるわけでもないし…。あちこち歩き回ったがぜんぜん分からない。
ちょうどお昼時、家の中にみんな引っ込んでいる時なので、外を歩いている人が見当たらない。
小さな静かな村だ。
その時、すぐそばの家から大きな声が聞こえてきた。そして入り口のドアが開き、70歳ぐらいのおじいさんが出てきた。
ちょうど良かった…と思って声をかけたのだが、よく見ると彼は片手に深鉢を持っている。中にはスープが入ってるようだ。スープをどこかに持っていくために家から出てきたらしかった。
ちょっとタイミングが悪いが、もう声をかけてしまったから仕方がない。
「あの~、エンリケ王子の家があると聞いたのですが~」
「えっ、インファンテ・デ・エンリケの家?ちょっと待って!おお~い」とおじいさんは今出てきた家の中に向かって声を上げた。
「何だって~」と、こんどは女性の大声が中から返ってきた。
すぐにドアが開いて、太った女性が出てきた。おじいさんの娘だろうと思う。彼女に同じことを尋ねると、「ああエンリケの家ね。この前の道をまっすぐ行って、右に曲がって~アーチの門があるからすぐわかるわよ」と、まるで親戚の家を教えるように簡単に言った。
ちょうどそこへ老人夫婦がゆっくりとやってきて、私たちがエンリケ王子の家を探していると聞くと、今にも案内してくれそうな様子だ。
道の向こうから小型トラックがやってきて、道路端にかたまっている私たちに声をかけてきた。
「お~いマリーア、何してんだ~?」。娘の名前はマリアらしい。
「この人たちがエンリケの家を探してると言うので、今教えてるとこよ」
「ああ、エンリケの家ね。すぐそこだよ。じゃあな~」と言いながら行ってしまった。
ラポセイラ村の「エンリケ王子の道」の表示
私たちもマリアさんたちにお礼を言って、教えてもらったエンリケの家を目指した。
右に曲がって、左に折れて少し行くと、ぼろぼろに崩れた廃墟の壁に大理石のプレートが埋まっていて、そこに「Rua Infante d, Henrrique」(エンリケ王子の道)と書いてある。
その小道を入って突き当たりを右に曲がると、そこも同じ名前の道になっている。
小道は10メートルほどの短さだが、その角の古い家にアーチがついている。その横の狭い庭に石組みが見えたので行ってみると、古井戸の跡だった。
「アーチがあるからすぐ判るよ」とさっきマリアさんが言ったのはこの家だろうか?
古井戸の跡
でもこの家は「エンリケ王子の夏の家」にしてはいくらなんでも小さすぎるし、それに570年前に住んでいた家が残っているだろうか…。
でも石造りだから、基礎や壁など部分的には残っているかもしれない。
よく見ると、アーチの横の壁にちょっとした出っ張りが付いている。Kさんが言っていた「馬つなぎ」とはこれかもしれない。
苔むしたその家の二階の窓にはカーテンが掛かっている。外から直接二階に上がる石の階段には雑草がいっぱい生えている。誰かが住んでいそうな、そうでなさそうな…。
とにかく「エンリケ王子の道」というのだから、この家の建っている場所がそうのなのだろう。
エンリケ航海王子の隠れ家。アーチの横壁に「馬つなぎ」らしき出っ張りがある。
エンリケ王子はラゴスの城からサグレスの航海学校までの道を、馬か馬車で通ったことだろう。現代は車で30分もかからない距離だが、エンリケの時代はいくら早くても一日はかかったと思う。
真夏の太陽光線の厳しさは今も昔も変らない。ラポセイラは小高い丘にある村なので、きっとその当時も涼しい風が吹いていただろう。
エンリケ王子は熱心なカソリック信者で、一生独身を通し、清貧な僧侶のような生活をしていたというから、案外この小さな村の粗末な家で夏のひとときをひっそりと過ごしたのかもしれない…。