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ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

082. エスピシェル岬に恐竜がいた!

2019-01-09 | エッセイ

5月以来、久しぶりにカーボ・エスピシェルに行った。
あれだけ暑かった夏もどうやら終り、少し気温も低くなったので、エスピシェル岬を歩き回っても熱中症になる心配はなさそうだ。

なにしろエスピシェル岬には木陰をつくる背の高い木が一本もないので、7月、8月に行けば真夏の強烈な太陽に全身をさらされ、たちまち真っ黒焦げになってしまう。

大西洋にそそり立つ断崖絶壁、その上の広大な台地には、様々な低潅木や草花が生い茂っているのだが、植物たちも夏の強烈な太陽光線と冬の強風から身を守るため、低く身を縮め、葉は鋭い棘になり、全身を武装している。
うっかり触ると、ひどい目に遭いそうだ。

岬の入り口あたりに立て看板があり、以前から気になっていた。
「恐竜の足あと→」

たぶん断崖絶壁のぎりぎりにあるのだろう~強風に吹き飛ばされたら大変だと思って、今まであまり行く気がしなかったのだが、今日は風もなく、おだやかな天気だし、恐竜の足あとを見るには絶好だ。

クルマを空き地に停めて歩き始めた。
これが日本だったら、このあたりに「恐竜まんじゅう」などを売る店が立ち並んでいるだろうに、
何もない!

たぶんすぐ近くなのだろうと思いながら歩いていた。
ところが、歩き始めてすぐに、乗用車が一台やってきて、私たちをチラッと見ながら追い越していった。
もうもうと土ぼこりを巻きたてて、みるみる見えなくなった。

そういえば、さっきの空き地には一台のクルマも停まっていなかった。
恐竜の足あとまでだいぶ遠いのかもしれない。
引き返して、クルマで行くことにした。

曲がりくねった急な坂を下り、道は岬へ向う。
しばらく行くと対向車が現れた。
さっき土ぼこりをあげて走り去った車がもう引き返してきたのだ。
すれ違うのは無理なほど道は狭く、しかも路肩はところどころ崩れかけている。
相手が手前で待ってくれたので、なんとか進めた。

道はすぐに行き止まり、その先は大西洋。
青々と澄み切った入り江を挟んで、左側にノッサ・セニョーラ・デ・カボ・エスピシェル教会が見える。

ところで恐竜の足あとはどこ?

 




案内板が立っている。
それによると、教会が建っている場所の崖のずっと下のほうの岩肌に、いくつもの恐竜の足跡があるらしい。
教会側からは崖下に下りて行けないので、こうして対岸の岬から見ることになる。
でもデジカメの望遠をいっぱいにしても、はっきりしない。
案内板の説明図を見ながら、なんとなく納得。
崖の岩肌は斜めに海に向って突き刺さっていて、そこに恐竜があちこちと歩いた足跡が残っているらしい。
大昔は平らな地面だった所を恐竜が歩いたのだろうけれど、その後の地殻変動などで、地面が隆起した結果、今では急な崖の斜面になっている。

恐竜の足あとに自分の足を乗せてみたいと思っていたが、あんな遠くではとても届かない。
残念!

 



斜面に点々と続いているのが、かって恐竜が歩き回った足あとらしい。

MUZ
2010/09/23

 

©2010,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。
一切の無断転載はご遠慮下さい
Copyright Editions Ilyfunet,All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

 


(この文は2010年10月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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081. 広場の番犬

2019-01-09 | エッセイ

アキリーノ広場は周りの住民の駐車場になっている。
その横の歩道を通っていると、いつのまにか私の後ろを黒い犬がついて来る。
赤い首輪をした黒い中型の犬だ。

私と目が会うと、目を伏せてなんとなくもじもじとした様子。
吠えられたことは一度もないから、私も安心して歩く。
首輪をしているのでどこかの飼い犬だろうけど、それにしてはいつも広場をうろついている。
昼時になると、東側の端にあるマンションの玄関の前にお座りをして、ドアが開くのを待っている。
そこの住民の誰かが黒い犬の飼い主なのだろう。

下の町から長い急坂を上って来るとアキリーノ広場にぶつかる。
道はまっすぐ広場に入って来るか、または左に折れて進むしかない。
左折するクルマがヒーヒー音を立てながら坂道を上って姿を現わすと、突然けたたましい声で吠えながら、黒い塊が飛び出して車の前に立ちはだかり、すごい形相で噛みつかんばかり。
それはあの気弱そうな黒犬だった。
不思議なことに、左折するクルマにだけ吠えかかり、広場に入ってくるクルマには何もしない。

8月の初め、クルマのバックライトというのかテールランプというのだろうか、とにかく後部のライトを盗まれた。
うかつなことだが、出掛けようとして初めて気が付いて、あっけに取られた。

クルマはマンションの玄関前の駐車場にいつも停めてあるし、1階の住民の窓の下で、しかも夜はこうこうと街灯に照らされているので、人目に付きやすい。
それなのに犯人はいったいいつ取り外して盗んだのだろうか。

片方がひとつだけ、すっぽりと取り出され、その跡は傷ひとつ付いていなかった。
片方だけが盗まれたということは、犯人は我が家の車と同じシトロエンSAXOに乗っているか、それとも自分の仲間の注文で、路上駐車の同じ型の車から部品を調達した~ということか?

数年前にもこの界隈でシトロエンだけが狙われる犯行が数回あった。
我が家のクルマも4回ほどドアを開けて車内を物色した跡があったが、金目のものは何も置いていないので4回とも被害はまったくなかった。
隣の人もシトロエンSAXOで、車内に置いてあったチャイルドシートを盗まれたそうだ。
その時はアキリーノ広場の駐車場でも数台のクルマが被害にあった。
我が家の場合は4回ともドアは開けられていたが、こじ開けた形跡はないし、ガラスも割れていないし、被害は全然なかったが、薄気味悪さが後に残った。
犯人はシトロエンSAXOのマスターキーを持っているはずだ。

ここ2年ほどはドアを開けられる事件はなかったから、犯人はどこかに移住していたのだろうか。
ひょっとして刑務所?
最近めでたく出所して、さっそく犯行?
今回も室内はなんとなく物色された気配。
以前と同じ犯人のようだ。
でも今度は外部のランプを盗まれてしまった。

あっけにとられ、途方にくれていると、同じマンションの住人が帰ってきて、「2日前からこの状態だったよ。てっきり壊れていると思ってた~」
なるほど完璧にぽっかりと取り外してあるから、そう見えるかもしれない。

「警察に通告しようか~」
日本でなら迷わず警察に連絡するところだが、
「だ~め駄目、何にもしてくれないよ~」と、笑われた。
他の人に尋ねても、「手続きの時間ばかりかかって、無駄だね」という答え。

車両保険は対人、対物だけで、車両保険には入っていないので、保険も出ない。
しかたなく、修理工場に行って新たに取り付けてもらった。
2時間ほどで元の姿に戻ったけれど、100ユーロも支払った。

この事件の後、アキリーノ広場に犬小屋ができた。
小屋のヌシは赤い首輪をしたあの黒犬。
次にあの泥棒がきた時は、思いっきり吠えて追っ払ってくれるだろうか。
ちょっとたよりないな~。

MUZ
2010/08/23

©2010,Mutsuko Takemoto
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(この文は2010年9月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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080. 物価の違いと消費税

2019-01-08 | エッセイ

ポルトガルでは2010年7月1日から消費税が1%上がった。
ポルトガルの消費税は三段階に分かれていて、野菜やパン、肉や魚などの生鮮食料品が6%、
ハムやソーセージなどの加工食品やワインとかコーヒーなどが13%、シャンプー、洗剤、化粧品、衣類、電球などが21%となっている。

昨日、サルディーニャ(イワシ)とサパテイラ(カニ)を買ったのだが、どちらも生鮮食品なのにイワシは6%、カニは21%、?
いままで当然カニは生鮮食品だと信じていたのに…。
だってカニは我が家の目の前に広がるサド湾やトロイア沖で獲れる立派な生鮮食料品。
鍋に入れるまでは手足をばたつかせていたのですよ。
輸入品でもないのに、いつのまに21%の枠にはいっていたのか?

ところで、日本では突然消費税を5%も上げると言い出して、民主党が選挙で大敗した。
大敗した原因はもちろんそれだけではないと思うが、一因にはなった。

ポルトガルでは、不況のための倒産とか、より人件費の安い国へ企業が移転したりで、全国の工場が次々と閉鎖され、失業率が11%近くなっている。
職業安定所ではドアの外まで仕事を探す人々があふれている。
それなのに、消費税が1%上がってもぜんぜん騒ぎにならない。

例のギリシャ経済危機騒ぎで、次はスペインやポルトガルが危ない~ということで、ポルトガル政府は首相や国会議員の給料を5%引き下げる、そのかわりに消費税を1%上げることを国民に発表した。
1%ぐらい~いいか~と思ってしまう心理をついた、うまいやり方だ。

実は、わたしもあまり気にならない。

なぜかというと、ポルトガルは今、スーパーやイーパーなど大型店が値下げ競争をしているのだ。
たとえばニンジン1キロが日本円にすると約54円、セレージャ(さくらんぼ)が1キロ450円、米1キロ95円など。
ニンジンは安いからまるで馬のように毎日食べているし、セレージャは6月~7月しか出回っていないので毎週2キロも買う。
しかもセレージャの種で枕を作ると、頭の熱を取り安眠できるというので、枕作りのためにも必死で食べている。

買い物は1週間に一回か二回出かける。
食料、雑貨まとめて一週間で消費税込み6000円ほどの出費。

日本ではニンジン3本で150円、サクランボ(ブラックチェリー)250グラムで500円、米は一番安いのでも1キロ400円。

日本はポルトガルに比べて物価が高い!
それなのに
「ヨーロッパは消費税が20%以上するから、日本の消費税は10%に上げてもまだ安い!」という。
とんでもない!
不況で失業し、低所得者層が急激に増えている日本は、ポルトガルの低所得者と所得は大差がないと思う。
しかも日本は米などの物価がポルトガルの4倍もする。
そんな状態で、消費税を5%上げて10%にし、いずれは20%台にしたい~?
消費税は福祉関係にしか使わない?

でも介護保険は別に取る。
介護保険料を払っているのに、利用する時は有料。

日本は多重税金の国だ。
しかも国民に対する見返りは少ない。
しかし日本国籍を持たない在日外国人には、本国に残した子供たちにまでも日本人の血税で子供手当てを出すという。
理解できないし、納得できない!

日本人は老後が不安だから、せっせと貯金にはげむ。
ポルトガル人は夏や冬の休暇のために貯金をし、人生を楽しんでいる。
MUZ
2010/07/29

 

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097. カンポマヨールの二人のじいさん 

2019-01-08 | エッセイ

カンポマヨールはアレンテージョ地方の内陸に位置する、スペイン国境に近い町。
私の住む町、セトゥーバルからクルマで片道3時間以上もかかる。
そこで「紙の祭」をやっている。

「紙の祭」といえば、同じアレンテージョで、陶器の町ルドンドが有名だが、
残念なことに今年はロンドンオリンピックと時期が重なってしまったために、行けなかった。
カンポマヨールの祭はオリンピックが終わった一週間後に始まったので、
ちょっと遠いが、運転の練習をかねて、出かけた。

お昼前に到着。
さすがに焼け付くような暑さだ。
町の入り口にある広い公園が祭の会場になっていて、
紙で作ったディスプレイで公園は埋め尽くされている。
やはりセトゥーバルから来ると、日差しが強烈だが、紙の花のアーチは程よい日陰を作り、風に吹かれてしゃらしゃらと涼しげな音を立てている。

 

青で縁取られたアレンテージョの家がメインゲート

 

紙細工で作られたポルトガルのシンボル「ガロ」

 

紙細工のアーチが石畳に涼しい影をつくっている

 

 

 

夜にはこの舞台で歌手やバンドが演奏する。

 

公園の常設の舞台も紙細工で飾られている

 

噴水の縁に紙の生け花


ルドンドに比べて、ずっと規模が小さいので、すぐに見終わった。
さて、お昼はどうしよう。
期待していた屋台は数軒出ているが、カフェばかりで、食堂は一軒しか見当たらず、しかも夕方からしか開かないようだ。

しかたなく、バルに入って軽食でも…と入りかけたとき、そのバルから出てきたじいさんが、声を掛けてきた。
「食事をするのだったら、俺が知ってるレストランに案内するよ。どこから来たんだい?シネース(中国人)かい?」
日本人だと言うと、
「ああ、おれは元船乗りで、香港も行ったし、インドもチモールも行ったことがあるよ」

これまでも、元船乗りという爺さん達にはあちこちで何人も出会った。
彼らは口をそろえて、「神戸、横浜~」
そしてその土地で出会った日本人女性の名前を懐かしそうに言ったものだが、そんな時、私はなんと言ったらよいのか困るのだ。
でもこのじいさんはそんなことは全然言わない。

じいさんは公園の端に露店を広げているジプシーたちと親しそうに挨拶を交わしながら、路地の奥まった小さなレストランのドアを開けた。
私達だけだったら、営業しているかどうか分からなかったと思う。
じいさんは店の女将に私たちのことを話してから、「それじゃ」と言って出て行った。

テーブル席が10数席あり、すでに2組の家族が座っている。
店は年配の女将が、注文聞きや料理を運ぶのや何もかも一人でやっているから大忙しだ。
もう一人、ぬぽーっと背が高い12歳ほどの男の子がゲームを片手にぶらぶらとしている。
たぶん孫だろうけど、見たところ手伝う気はなさそうだ。
メニューぐらい持ってきたらいいのに~と男の子に声をかけようとしたら、ふっと目をそらされてしまった。
だいぶ待たされて、女将がやっとメニューを持ってきた。
他では見かけない料理がある。
「地鶏のトマトスープ煮込み」と「豚肉のグリル?ソース味」

 

地鶏のトマトスープ煮込み

 

豚肉のグリル照り焼きふうソース味

 

地鶏のむね肉を細かく裂いたものにトマト味スープがたっぷりかけてあり、半熟目玉焼き乗せ。
豚肉は甘辛焼肉のたれふうの味で、ポルトガルのレストランでは初めてお目にかかった。
このごろ大型スーパーの棚にはアジアの食品がかなり並んでいる。
日本食も味噌や醤油、昆布、ワカメ、それに切り干し大根や羊羹やアンコの缶詰まである。
たぶん中国人がスーパーに納入しているのだろう。
レストランで照り焼きソースのステーキが出てきても不思議ではないかもしれない。

店の外に出ると、燃え上がるような熱風にあおられた。
気温はますます上がり、お城に向う上り坂の路地を影の部分を見つけながら逃げるように歩く。
教会の駐車場の前を通りかかった時、かなり離れた車の間から、老人が声をかけてきた。
周りを見たところ、話しかける相手は私達しかいないので、立ち止まると、老人は近づいてきて、どこに行くのか、と尋ねた。
お城に行くと言うと、
「お城は行かないほうがいい、ジプシーがいて、カメラや財布をひったくられるから危ない。この教会のあたりも時々観光客がやられるよ」と、真顔で真剣に注意してくれる。
それでも行く!というのは、せっかく忠告してくれた老人に悪いから、止めることにした。

10数年前にカンポマヨールに来たときに、お城に行ったことがあるが、そのときも廃墟の城の一部にジプシーたちが住み着いていた。
ふつうに暮らしている彼らに特別何も感じずに、挨拶したことを思い出す。
今回も、別に恐れることもないだろうけど、このごろポルトガルも治安が悪くなっているから、気を付けたほうが良いかもしれない。

車を止めた場所まで帰る途中、大型のバンが駐車しようとして、道の真ん中に立ち往生していた。
その運転手に声をかけながら、誘導している老人。
さっき私達をレストランに連れていってくれたじいさんだ。
挨拶を交わしてすれ違ったのだが、大型のバンを運転しているのは、露店市の業者で、ジプシーだ。
じいさんはこの町のあちこちで、人助けをしているのだ。
「さっきの店は美味かっただろう?」
「シンシーン、ムイトボン」(ええ、とっても良かったよ)
と言うと、じいさんは満足そうにうなずいた。

「オブリガーダ、アデオス~」
「チャオ~」

二人のじいさんに出会った、カンポマヨールに別れを告げた。

MUZ
2012/08/28

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030. カラスが来た日

2019-01-08 | エッセイ

ベランダの近くに張り出している松の木の枝に山鳩の巣が架かっている。
山鳩のつがいがせっせと巣を作っているのをみかけたのはもう何年前だろうか。
そこに卵を産み、母鳥が卵を抱いている間、父鳥が餌をとってきて母鳥に与えていた。
やがてひながかえると、母鳥と父鳥が交代でひなを抱き、餌をとりに出かける。

餌をくわえて帰ってきた山鳩はすごく用心深い。
巣からかなり離れた枝にとまり、周りの様子をうかがって三度ほど枝をかえてやっとひなと相方の待っている巣にたどりつく。

松林は丘の斜面にあるので、下から吹き上げてくる風がまともに当る。
松林のあるおかげで我が家への風当たりはかなりゆるくなっているのだが、松の木の高い場所にある山鳩の巣はまともに風があたり、強風の時などゆっさゆっさと激しく前後左右に揺さぶられている。

よく落ちないものだ…といつも思うのだが、今まで落ちたことは一度もないから不思議。
鳥の巣作りというのは誰に教えられたわけでもないのに、頑丈に機能的に作ってしまうものだ…と感心してしまう。

はっきりは分からないが、たしか3週間ほど経つころに、巣の中のひなが外に出て行こうとする。
ひなはたいてい2羽だ。
巣の近くの枝によちよちと危なっかしく伝い歩き、バサバサと羽ばたく真似をする。
それからいつのまにか巣立っていく。

どこに行ったか判らない。
我が家の屋根の隙間にいるのかもしれない。
「クエーッ、クエーッ」と喉を絞るような声をあげながら、キッチンの上の屋根に飛び上がっていく。
でもそれが親鳥なのか、ひなの成長した姿なのか、区別がつかない。

電線に止まっている山鳩が一時期10羽ほどに増えたことがある。
そんな時、青い家の後ろあたりから鉄砲担いだ悪がきや悪親父がにやにやしながらやって来たもんだ。
空気銃らしいが、山鳩を狙って銃を向けパンパンと乾いた音を出して撃つ。
当ったのを見たことがないので、命中率はかなり低いようだ。
でも外れた弾がどこに飛んで来るのかがよけい心配になる。
このごろは悪がきがどこかへ引っ越してしまったのか、そういうことはなくなったけど。

山鳩の巣は風雨にさらされ、そのまま朽果てていくのかと思っていたが、ある日せっせと巣を修復している山鳩の姿があった。
また卵を産んで一日中抱いている。

そんなことが何回も繰り返されながら数年経った。
でも最初のつがいがその巣を使っているのかどうか判らない。
案外、成長したひなが卵を産んで抱いているのかもしれない。
それにしても巣は古いまま少し手直ししただけでずっと使っているようだ。
使用年数がそうとう経って、今では立派な中古住宅といえる。

今もまた卵を抱いている姿が見える。
ある朝、突然「ガーッ、ガ~」という耳慣れない鳴き声が聞こえた。
といっても、ポルトガルでは耳慣れないが日本ではよく知っている鳴き声だ。
「まさか!」
急いで松の木のあちこちを見ると、「いた、いた!」
「カラスだ~」
松の木の一番てっぺんの枝先にとまってガ~、ガ~とあたりを威嚇するように鳴いている。
日本のカラスに比べてひと回り身体が小さいし、口ばしも短いようだ。

二年ほど前になるだろうか、
セトゥーバルからサド湾を対岸のトロイアに渡り、一時間ほど走った松林のあたりでカラスを数羽見かけた。
それまでポルトガルのあちこちを旅して一度もカラスなど見たことがなかったから驚いた。

「ああ、とうとうカラスがやってきた!」
サド湾を越えてセトゥーバルまで来るのは時間の問題だ。

カラスが住み始めると我が家の周りの野鳥たちには脅威になるだろう。
今まで小鳥たちにとっての天敵はカモメぐらいしかいなかった。
カモメはよほど海が荒れたときしか近づいてこないので、そんなに恐怖でもないだろう。

カラスが増えたら大変だと、私は密かに心配していた。
ところが去年の初め、郊外を走っていたら畑の中に黒い鳥が数羽いた。
カラスがサド湾を渡ってこちら側に住み着いたのだ!
それから数ヶ月後、今度はセトゥーバルにもっと近い所にある馬の放牧場で数羽見かけた。

そして今年、とうとう我が家の前の松の木に姿を現した。
山鳩の巣では子育て中。
カラスはひなをねらっているにちがいない。

カラスはそれ以来決まったように毎朝8時過ぎに同じ枝の先にやって来て、ガ~ガ~と鳴くようになった。
不思議なことに、カラスは朝だけ姿を現す。
そしてひとしきりうるさく鳴くといつのまにか何処かへ飛んで行く。
山鳩にとって落ち着かない朝が毎日続いている。

ある朝、バサバサと異様な音が松林の中から聞こえてきた。
なんだか激しい羽ばたきの音だ。
驚いてベランダに出てみると、枝や幹の隙間をカラスが逃げまわっている。
追いかけているのは山鳩の夫婦だった。
子供を持った親は猛然と敵に向って攻撃していた。
カラスは驚き、戸惑って一目散にどこかへ飛び去った。

でも次の朝、同じ時刻にカラスは素知らぬ振りで枝にとまり、耳ざわりな鳴き声をあげていた。
MUZ
2005/03/01

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(この文は2005年3月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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079. 空き地の住人たち

2019-01-07 | エッセイ

我が家の窓の下には巨大な水道タンクがあり、その回りはかなり広い空き地になっています。
つい最近までケンタウレアの紫や白や黄色のクリサンテムンの花が咲き乱れ、毎日見下ろすのが楽しみでした。

でも雨の降る日がだんだん少なくなり、気温が高くなるに従って、ススキのようなカヤのような草がどんどん成長して、その反対に花々は種を付けて役目を終え、空き地はすっかり枯れ野原のようになってしまいました。
ポルトガルでは日本の様な青々とした夏草は茂りません。
夏の終りまで咲き続けるバーバスクムやキバナアザミのような刺々しい黄色い花は、まだ頑張って咲いているのですが…。
ほとんどの花々が枯れてしまった空き地では、動き回るものがよく見えるようになりました。

空き地にはだいぶ前から猫が数匹住み着いています。
水道タンクの敷地は空き地も含めて、周りを高い金網で囲まれているので犬は入ってこられません。
ニューヨークの9.11事件発生後、外部の者が入れないように周りを金網ですっかり囲ってしまったのです。
それ以前は近所の子供たちの遊び場で、犬たちの散歩場所でしたが…今では子供も犬も誰も入れなくなりました。
フェンスの中は猫の住家としてはとても安全な場所になっているのです。

大きな八つ手の葉の様な植物が数本かたまって密生している場所があります。
たしか、日本でも道端や空き地でよく見かける、茎が赤く背の高い草、トウゴマです。
この種からはひまし油が採れ、下剤とかに使われるそうですが…。
ネコが数匹、その下から出入りするのをときどき見かけます。
どうやらそこが猫たちの住家らしいのです。

去年の末ごろ黒猫が子供を4匹産んだようです。
子猫たちは黒が2匹、黒白二色が一匹、縞々が一匹。
天気の良い日は母猫と子猫たちは草陰から出てきて、日当たりの良い小山の上でくつろいでいます。
長々と身体を横にした母猫の上によじ登ったり、子猫同士でじゃれあったり、その様子はキッチンの窓からときどき見ている私も、けっこう楽しめます。

子猫に乳を与える母猫は栄養を子猫たちに吸い取られてヒョロ~リと長く痩せています。
食べ物はどうしているのだろう?
ある日、黒のラヴラドール犬を散歩させているアナさんが自分たちの残り物を入れた皿を木陰にそっと置いていき、別の日はマグダおばさんが残り物と水の入った容器を持ってきました。

マグダおばさんは自分の飼い猫が死んだ後、近所をさまよっていた子猫を拾って飼っています。
痩せこけていた子猫は見る間に大きくなり、今ではでっぷり太って貫禄じゅうぶん。
そのネコはときどき外に出ていますが、ほとんど玄関を出たあたりにいて、あまり遠くには行く気がないようです。
ある日、空き地からフェンスの外に出てきて残り物を食べていた黒猫に、マグダおばさんの飼い猫が近づきました。
自分と同じ姿かたちをしているので、興味をもったのでしょう。でも…とたんに黒猫から猛攻撃を受けてビックリ仰天、一目散に逃げ帰りました。
どうもそれ以来、玄関からあまり離れたくないのかもしれません。

空き地には黒猫一家の他に、白地に黒模様のネコも見かけます。
このネコは時々玄関のあたりをのっそりと歩いています。
もうかなりの年寄りネコで、身体もぶよぶよと大きく、毛並みも悪いし、鼻もつぶれています。
誰からも拾われず、野良猫人生をひたすら生きてきた様子です。
この爺さんネコがひょっとしたらあの子猫たちの父親かもしれません。
毎日のようにフェンスの中をゆっくりと歩き、一本だけあるオリーヴの古木によじ登ります。
その木にはメルローが巣をかけていて、その卵かヒナをねらっているようなのです。

メルローは意外と低い場所に巣をかけています。
地面から1メートルもないような、しかも人家の垣根とか玄関先の朝顔の茂みとか、ネコなどにすぐ見つかりそうなところから出入りしているのですから、無用心というか…。
飛んでいる姿を見ると、木から木へ短い距離を一直線に必死で羽根をばたつかせています。
あまり飛ぶのは得意でなさそう。

でもメルローはじつにいい声で鳴きます。
それも夜明けとともに我が家のベランダに来てさえずり始めるので、私たちは「早起き鳥」と呼んでいます。
初めてその鳴き声を耳にしたときは、だれか口笛を吹きながら散歩しているのだろうと思ったほど。
それほどメロディも変化に富んで、とても小鳥のさえずりとは思えませんでした。
小鳥といってもヒヨドリぐらいの大きさでしょうか。
全身真っ黒で、くちばしだけ鮮やかな黄色。
オスもメスも同じなので見分けがつきません。

鳥といえば毎朝9時近くになると、フェンスの中にある電線に鳩が次々とやってきてずらりと止っています。
鳩たちから少し間を空けて山鳩たちも遠慮がちに並びます。
彼らはじっと待っているのです。

やがて4階の窓がそろりと開いて、そこのおかみさんが手に持った包みをフェンスの中めがけてどたんと投げます。
まっすぐ正面に投げると、一階の庭に落ちるので、右横斜めに投げないといけません。
高度な技術が必要なのですが、おかみさんは年季が入っているので、一度も失敗したことがありません。
鳩たちは気が小さく用心深いので、最初は偵察の2~3羽が降りていきます。
危険がないと分かったら、電線に止って様子を見ていた他の鳩たちも次々に舞い降りて、おかみさんが投げたパンくずを必死でつつき始めます。

その背後の草むらにうごめく黒いかたまり。
子猫が二匹、潜んでいるのが、私の窓からすっかり見通せるのです。
なにしろ黄色い枯れ草の中の黒猫はくっきりと目立ちますから…。

子猫たちはじりじりと攻撃態勢を整えて、鳩の群れに近づいていきます。
ダーッと飛びついた瞬間、鳩はパーッと飛び上がり、子猫たちをからかうように、ほんの少し離れた場所に舞い戻ってきました。

マグダおばさんのベランダにはでっぷり太った猫が手すりの隙間から下界を見下ろしています。
もと野良猫だった記憶はもうすっかり消えてしまったのでしょうか?
今の生活は食べ物には不自由はないけれど、そのかわり行動の自由がなくなってしまいました。

一方、空き地の猫たちは自由気ままに行動していますが、いつもお腹をすかしているようです。
このごろマグダおばさんもアナさんもネコのために食べ物を置かなくなりました。
いつも車庫の角に餌を置いていたのですが、車庫を持つ人からたぶん苦情がでたのでしょう。
空き地のネコたちは鳩の食べ残したわずかなパンくずを食べたり、
草むらのネズミや昆虫などを取ろうと必死になっていました。

でも捨てる神あれば拾う神あり!
北側の屋敷の門から出入りするネコたちをこのごろ見かけるようになりました。
この家の犬がいなくなり、かわりにネコたちが御飯にありついたようです。

やせてガリガリだった母ネコはひとまわり大きくなり、お腹がぷっくらとふくれています。
近いうちに、又、子猫たちの弟や妹が生れるのかも知れません。
MUZ
2010/06/28

 

©2006,Mutsuko Takemoto
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(この文は2010年7月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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078. アレンテージョは花盛り

2019-01-06 | エッセイ

ポルトガルの4月、5月は素晴らしい!
一歩外に出ると、道端には色とりどりの小さな花や、たくましい花が次々と咲いている。
ポルトガルに帰ってから山積みの用事を急いで片付けて、そそくさと郊外に出掛けた。
我が家のクルマは買って8年を過ぎたので、このごろ毎年車検を受けなければいけない。
車検は一発でOKだったが、3箇所ほど指摘されたところの修理を済ませた。
これで安心して田舎道を走れる。
今年は急に暑くなったり、翌日は一転して肌寒くなったりして、おかしな天気が続いたので、ひょっとしたら野の花畑はまだかもしれない…。

でも嬉しいことに、心配はみごとにひっくり返った。
アレンテージョの田舎道はどこを走っても、野の花が咲き乱れ、牧場や丘は錦の絨毯で覆われて、そのみごとさにおもわず息を呑む連続だった。

 




5月の風はさわやか、太陽の光もまだ柔らかい。
ルリカケスやヤツガシラが牧場の杭を飛び交い、どこからかウグイスに良く似たさえずりも聞こえた。

 




時折風が吹きぬけシャゼンムラサキの花穂をざわざわと揺さぶる。
花の中にはミツバチが潜り込み、周りには小さなしじみチョウ達が飛び交っている。
足元に目をやるとピンクや黄色の小さなヒメキンギョソウや可愛いブルーのリネンの花などもひっそりと花を付けている。

 




コルク樫の森も花畑。
この木の下に折りたたみの椅子テーブルを広げコーヒーを飲んだら格別に美味いことだろう。

 




花畑には何十種類の草花があるのだろう。
その中にはかなりの割合で、薬草やハーヴが生えているはずだが、
残念なことに私にはまだわずかの知識しかない。

 




上空にはコウノトリが旋回し、湖のほとりには牛たち、
その周りはシャゼンムラサキとカモミールの花が咲き誇っている

 




シャゼンムラサキがどこまでも続く丘。
田舎道は路肩がほとんどないから、素晴らしい花畑を見かけても、車を停める場所に苦労する。
めったに車を見かけない道でも、猛スピードで走る車が突然姿を現わすので、びっくりする。
ここにアップした写真も広い路肩のある場所で写したものばかり。

 




タデも真っ赤な新芽を伸ばし、シャゼンムラサキの紫色とカモミールの白色と混ざって、まるでペルシャ絨毯のよう。

 





春から初夏へ移り変わる時期は見逃せない。野の花はいっせいに開花し、種を付ける。
そして7月から8月には40度を越える熱風にさらされて、この美しい花畑は一面の枯野原になってしまう。
翌年の春が来るまで、野の花の子孫たちは種の形でじっと潜んでいるのだ!


少しずつ撮りためてきた「ポルトガルの野の花」もついに100種類100ページに達しました。
でもまだ名前の同定できていない野草や待機している写真もたくさんあります。
引き続きぼちぼちアップしていくつもりです。
以前からのページにも新たな写真を加えています。
muz
2010/05/27

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077. つ、疲れる~

2019-01-05 | エッセイ

4月15日、ポルトガルに戻ってきた。
いつもなら成田発なのだが、今回は関空発で、パリで乗り換えてリスボンに到着したのが、夜の10時。
それからタクシーで「ガレオリエンテ」に行き、セトゥーバル行きのバスを待つ。
夜11時発のバスなのに、若い女性もけっこう多い。
広いバスターミナルはたくさんの照明で明るく照らされ、怪しい人影も見当たらない。
バスに乗って、またタクシーに乗り換えてやっと自宅にたどり着いた。
郵便ポストにはたくさんのチラシと郵便物があふれ返っていた。

翌日は朝から行動開始。
つ、疲れる!
疲れていても行かないといけない。
まず滞在許可ビザを受け取りに、そしてクルマの税金と家の税金を払わなくちゃ!

ヨットハーバーの近くにクルマを停めて、「ドッカ・ド・コメルシオ」の前にある外国人登録事務所まで、
歩いて行った。
空は鉛色、2人の頭は旅の疲れと寝不足でボ~ッ!
空からポツポツ、事務所にあと数歩というとこで、突然ドバーッと降ってきた。
滝のようなすごい雨。
1月にこの事務所に申し込みにきた時も、突然豪雨に見舞われた。
この場所はなぜか、狭い範囲の集中豪雨地帯ではないだろうか?

事務所は入り口のところまで人があふれている。
私たちの後から飛び込んでくる人たちはずぶ濡れ。

ようやく私たちの番が来たというのに、「これは5月13日だけしか受け取れませんので、出直してください」という。
5月13日までが受け取り期限だと思っていたのに…

気を取り直して、クルマの税金を払いに行くと、なんということ!
いつもの事務所が閉鎖されて、内部の工事をやっている。
工事人の一人が、「ここをぐるっと回ったところに仮の事務所があるよ」という。

プレハブの仮事務所に入ると人がいっぱい。
ところがここも5月になってからしか受け付けられない~という。
去年は6月に日本から戻って来て、すぐに払いに行ったら、延滞金を取られたので、今年は早めに払いに行ったのだが。

外に出ると、止んでいた雨がまた降り出した。
最初は小粒だったがだんだん強くなり、傘無しでは歩けない。

商店街の一軒の店先で傘をどっさり並べた台を出していた。
数人のお客が慌てて傘を選んでいる。
私たちも8ユーロの傘を買った。
店の奥にあるレジで支払いをしていると、店先で傘を売っていた店主が二階に上がり、傘をどっさり抱えて降りてきた。
さっき並べていた傘はほとんど売れたようだ。

雨の中を固定資産税を払いに行くと、ここも順番待ち。
でも支払いをするだけだと言うと、別の受付で、すぐ済んだのはラッキー。

外に出ると雨はすっかり上がっていた。

ヨットハーバーまで戻ると、どこからか炭火焼の匂いが漂ってきた。
たしかヨットハーバーの中に炭火焼のレストランがある。
初めての店だが、せっかくセトゥーバルに戻ってきたのだから、久しぶりに魚の炭火焼を食べることにした。

船着場の脇で大々的に魚を焼いている。
魚の種類も多いし、大量に焼いている。
でもなぜか薄切り?

店の中はすでにお客でいっぱい。
テーブルに着くと、ウェイターが飲物と前菜を持ってきた。
でもメニューはなかなか出てこない。忙しそう。

そのうち持って来るだろうと、つまみをあてに飲んでいると、焼きあがった魚の乗った大皿を抱えた男が歩き回りながら、あちこちのテーブルに取り分けて配っている。
そして私たちの皿にもぱっと乗せた。
小さなサルディーニャ(いわし)が三匹。
注文していないのにかってに置いていったのだ。
あっけにとられた。

食べ終えた頃を見計らって、次から次へ焼き魚が運ばれた。
黒太刀魚、サルゴ、しゃけ、カンタブリアなど。
どれも薄切りなわけがようやく判った。
たくさんの種類を少しずつ食べる方式なのだ。
ブラジルで肉やソーセージをお客が「もうたくさん」と断わるまで次々に持ってくる方式があるが、この店はその焼魚版なのだ。
そういえば店のスタッフもほとんどがブラジル人。
こんな店があるとは今まで知らなかった。
しかもすごく安い!
飲物をおかわりしても2人で26ユーロ!

「いい店が見つかったね」
と、喜んだのもつかの間、外に出ると落とし穴が待っていた。

クルマのエンジンがかからない!
日本に帰国した3ヶ月間、はずしておいたバッテリーを付け直したのだが、その時は一発でブルルンと勢い良くかかったので、すっかり安心してしまったのがいけなかった。

しかたがないのでACPに緊急電話。リスボンから来るので40分はかかるそう。
ACPとはオートモービルクラブポルトガルのこと。
毎年会費を払っているが、こういう緊急事態の時は助かる。
以前もアレンテージョのモンサラスで、車が突然動かなくなった時、来て貰った。
その時はセトゥーバルの家まで3時間の距離をタクシーで送ってくれて、車も修理工場まで運んでくれた。

クルマの側に立って待っていると、赤い小型トラックがやってきた。
ACPの車がようやく到着。
やはり故障の原因はバッテリーらしく、溶液を補充して充電を始めた。
すると、エンジンはブルルンと始動。それからあちこち点検したあと、
「これから20分以上走り回ってください」
と言って、係員は帰って行った。

一時はどうなることかとがっくりして、どっと疲れたが、これでほっとした。

夜のニュースで、アイスランドの火山爆発の影響で、パリのドゴール空港やロンドン、フランクフルトなどの空港が閉鎖されて、空港内でたくさんの乗客が足止めをくっているというので、驚いた。
昨日の夜、私たちがパリから到着したリスボン空港は閑散としていたのに、今日は乗客が立ち往生して満杯の様子。

成田空港などでは15日の午後から閉鎖されたそう。
私たちは15日の午前11時40分に関空を出発した。
間一髪で空港に閉じ込められなくてすんだのだ。
それから4日間も日本やヨーロッパ各地の空港は閉鎖されたままだった。

あれこれ疲れた一日だったが、空港に4日間も足止めをくった人たちに比べたら、なんてこともなかったのだ。

muz
2010/04/27

 

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076. 町を照らす街灯

2019-01-04 | エッセイ

毎年春に、日本へ帰国する。
リスボンの空港に出発の2時間前に着こうとすると、朝5時始発のバスに乗らなくてはいけない。
早春の朝5時前というとまだあたりは暗く、寝静まっている。
誰もいない、一台の車さえまだ通らない道を、大きなバッグをごろごろ引きながら二人で坂道を降りて行く。

空には満天の星、道は真っ暗…ではない!

私たちの住んでいる所は町の中心ではなく、周りの丘の上に建つ団地だが、広い道では高速道路にあるようなオレンジ色の強烈な街灯がずらりと並び、通りを隅々まで照らしている。
犬の糞が落ちていてもはっきり分かるほど明るい。
わき道も街灯で明るく照らしているから、怪しい人間が隠れる場所はなく、明け方の道を安心して歩ける。

引っ越してきたころは、我が家の窓から見下ろす下界には町の灯りはほとんどなく、真っ暗だった。

広告塔やネオンサインはぜんぜん見当たらず、街灯も少なかったから、夜の7時、8時にはもうほとんど真っ暗。

遠くに青い光が点いたのはそれから少し経ってからだった。
それは町に初めてできた大型ショッピングセンターの明かりだった。
それをきっかけに町にはぽちぽちと灯りが増えていった。

最初はボーッとした弱い灯りだったが、いつの間にかだんだん新しい街灯に取り替えられて、今では町全体が明るいオレンジ色の街灯で照らされている。

なぜ夜中の、誰も通らない道を明るく照らすのか?
それは犯罪防止のためだろうと思う。
税金は住民の安全を守るために使われているのだ。

ところが、日本に帰ると、住宅地はどこもここも道が暗いことに驚く。

申し訳程度についている街灯はひどい所になると、電柱に裸電球が一個あるだけ。
あるのかないのか分からないほどわびしい灯りだ。
大正、昭和時代の映画の場面で見かける、夜道の街灯…そのもの。

それが2007年になってもまだ付いていたのだが、このごろやっと裸電球から蛍光灯に付け替えられた。
でもやはり以前とほとんど変わらない、ボーッとした薄暗い灯りだ。
個人の家の門灯がなかったら、道はいまだに真っ暗。

大きな通りでも街灯はどこを照らしているのか分からない。
街路樹に埋もれているものさえあるのだから、驚く。
ところどころにあるコンビニの明るさが街灯の代りになっているが、コンビニの前を過ぎればまた真っ暗な道になる。

近ごろ日本も急激に凶悪犯罪が増えて、暗い夜道で若い女性が襲われる痛ましい事件が後を絶たない。
ニュースで見ると、事件現場は寂しい田舎道ではなく、住宅街の路地、しかも自宅のすぐ近くだったという事件がとても多い。
街灯が明るく照らす道だったら、犯罪は防げたのではないだろうか。

夜の交差点内も暗い。
信号の明りとクルマのヘッドライトに頼りきっている感じだ。
そんな交差点を徒歩や自転車で横断するのは命がけ。

夜道が明るかったら、交通事故も少なくなるだろうし、放火や強盗などもある程度防げる。
明るいところでは誰に見られるかも分からないから、犯罪も起こしにくいだろう。
実際に、東京のある住宅地で街灯を明るいものに取り替えたら、放火や空き巣狙いが激減したそうだ。

アフリカやモンゴルなどの遊牧民族は電気の全くない砂漠や草原で、小さなソーラーパネルをその場で組み立てて電源を作り、テントの中でテレビを見ているそうだ。

ポルトガルの高速道路の標識には場所によっては簡単なソーラーパネルがひとつずつあり、その電源で看板を照らしている。
緊急電話の場所にもソーラーパネルが付いている。

「ハイテク日本」というのなら、街灯の電柱に小さなソーラーパネルを一本ずつ取り付けてはどうだろう。

昼間の太陽のエネルギーを貯めて夜道を照らす街灯の電源にしようと思えば、すぐ実現できるのではないだろうか…といつも思っているのだが、

いつまでたってもボーッとしたわびしい街灯で、夜道は暗いのが日本の現状だ。
これひとつとっても、日本はほんとうに先進国といえるだろうか?…と首をかしげてしまう。

日本の夜道を照らす明るい街灯で、新年をパーッと明るく照らしてほしい!

Feliz Ano Novo!

新年 明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

muz
2010/01/01

 

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075. パリの市バスに乗って

2019-01-03 | エッセイ

ビトシの展覧会出品のため、今年もまたパリに行った。
パリは広い。パリ市内を移動するには、メトロ(地下鉄)かRER(パリ高速郊外鉄道)をもっぱら使っていた。
でも私はメトロはあまり好きじゃない。
メトロは暗いし、乗り換え通路は延々と歩かされるし、それに空気が悪い。
メトロに乗ろうと階段を降りると、電車が巻き起こす風圧にあおられて、ほこりやチリが舞い上がり、
生暖かい風が私の顔を撫で回し、息もできない。
できたらメトロに乗りたくない。
それに比べて、地上を走るバスは明るくて気持ちがいい。
このごろは市バスに乗るのが快適で楽しい。
バスに乗って市内観光!

バスの路線地図を見ながら、行きたいところをたどっていくと、何番のバスに乗ればよいか分かる。
全てのバスはパリ市内を端から端まで縦横に走っていて、料金はどこまで乗っても同じというのも嬉しい。
地下鉄の回数券カルネ一枚でバスに乗って、パリ市内をどこでも行けるのだ。
しかも一時間以内なら、別の路線に乗り換えもできるという。

バス停で待っていると、次から次へとバスがやってくるから、待つ時間は10分ほどですむ。
これはバスとタクシー専用路線がはっきりと決められているから、路線バスが渋滞に巻き込まれないおかげだ。

パリで定宿にしているホテルはサンミシェル大通りにあり、38番のバスで、北駅や東駅に乗り換え無しで行ける。
すぐ近くのリュクサンブール公園の前からはモンパルナス駅やサンラザール駅、エッフェル塔、近代美術館などに行ける。

土曜日の朝、リュクサンブール公園から82番に乗ってモンパルナス駅に出かけた。
公園の入り口のあたりが始発なので、バスは停まっているが運転手も誰もいない。
ドアは開いているのでかってに入ってカルネにパンチを入れ、座席に座った。
一人、2人とぼちぼち乗客が増えて、それからしばらく経って運転手が乗り込んで、バスは発車。
リュクサンブール公園の柵に沿ってバスは走る。
公園の柵の中ではジョギングをする人々が息をきらしながら走っている。その数は半端じゃない。
広大なリュクサンブール公園は周りの古いマンションに住んでいる人たちの共有の庭なのだ。
真ん中にある広い池の周りには一人掛けの椅子がずらりと置いてあり、人々がそこに腰掛け、太陽に向って日光浴をしたり、本やノートを広げたり、思い思いに過している。
マロニエの林では、黄色い落ち葉の上でテコンドウの稽古をするグループ。
もう日本の空手の時代ではないらしい。

私たちはモンパルナス駅前の道端で開かれる朝市を見てから、そのあとブールデル美術館に行く予定。
モンパルナス駅前には59階建て高層マンション「モンパルナスタワー」がそびえている。
その真下に行くと、そこだけ強風が渦巻き、うっかりすると吹き飛ばされそう。
以前にリスボンからパリ行きの飛行機で隣に座った女性が、モンパルナスタワーに住んでいると話していた。

朝市はエドガー・キネ通りで開かれ、「マルシェ・エドガー・キネ」と呼ばれている。
道の両脇に様々な店がずらりと並び、人々が買い物カゴ片手に真剣な目つきで品定め。
なんとなく老人が多い。それも男性が目立つ。
まとめて一週間の食料を買うとずしりと重くなるから、自宅まで持って帰るのはかなりの力仕事だ。
マルシェでの買い物は男性の役目なのかもしれない。
でもマルシェでの買い物は楽しい。その楽しみを夫に独り占めされるのはもったいない…と私は思うけど。

 

高級食材のセップ(まつたけに似たキノコ)


いきなり「セップ」が目に付いた。
もう11月半ばなのに、今年は立派なセップがドンと並んでいる。
しかも虫食いもほとんどなく、今が見ごろ食べごろという感じ。

 

生牡蠣とムール貝

 

紫うに


冬は生牡蠣の季節。
朝市にもたくさん並んでいる。
種類も多く、値段もいろいろ。
殻を開けて、レモンの絞り汁をたっぷりかけて食べると、美味い。
ブルターニュ地方が生牡蠣の産地で有名だが、牡蠣のシーズンにはどこの町でも生牡蠣を見かける。
フランスの牡蠣は日本の牡蠣とかなり違う。
日本の牡蠣は白い腹がぷっくりと膨らんでいるが、フランスの牡蠣はペッタンコである。
ほとんど食べるところがないから、カキフライなどはできそうにない。
そのかわり生臭さはぜんぜんなく、香り高い。

牡蠣といえば、
ずっと前からセトゥーバルで牡蠣養殖をして、フランスに出荷している…と地元の新聞で見たことがある。
でもいったいどこに養殖場があるのだろうか?

魚屋の店先には意外なものが並んでいた。
どう見ても日本のはんぺんテンプラ。隣のはパン粉付き。
売っているのが魚屋だから、魚が材料には違いないし、目をこらして見るとやっぱり魚の練り物を揚げたものに思える。
ためしに少し買って味見をしたいと思ったが、このあとブールデル美術館に行くつもりなので、諦めた。

 

まるで「はんぺんテンプラ」

美術館をあとにしたのは、ちょうどお昼時。モンパルナスあたりでお昼を…と思ったが、
ふと見るとバス停に96番のバスが止まっている。
ここが始発で、セーヌ川を越えて、ベルヴィル地区を通ってポルト・デ・リラまで行く。
ベルヴィルはシャンソン歌手エディット・ピアフと画家のルオーの生まれ育った所。
去年ピアフの生家を探して歩き回った場所だ。
昔からの庶民の町で、今は中国人やイスラム系の人々が多く住み着いている。
市内観光のつもりで、96番でベルヴィルに行って鴨ラーメンを食べることにした。
モンパルナスからオデオンを通り、サンミシェル大通りを横切り、セーヌ川を渡り、ノートルダム寺院の前をかすめ、市庁舎の前を通ってしばらく走ると、バスはしだいに雑然とした町に入って行く。
立ち並ぶ店も移民的。
トルコ人経営の羊の焼肉カバブ屋、中華の雑貨屋、などがどんどん目だってきた。

「あと三ッ目で降りるで~」とビトシが言う。
私は方向音痴なので、今どこを走っているのかさっぱり分からない。
降りたところもどこだか分からないし、はてどっちに歩けば良いのだろうか?
「ここは去年、朝市が出てた所や。あっちに行けばベルヴィルや」
そう言われても分からない。反対の方向へ行くべきだと確信していたのだ。
やっぱりそうとうの方向音痴だ。とても一人では歩けない。

朝市を見ながら歩くのと、何もないところを歩くのは、同じ距離なのにずいぶん違う。
今回は延々と歩いてようやく去年入った中華レストランにたどり着いた。

この店は北京ダックが窓にずらりとぶら下げてあり、外からすぐ分かる。
個性的な落語家だった枝雀にそっくりの親父さんが、北京ダックをぐいと降ろし、包丁でバンバンバン!と無造作にぶつ切りして、どさっと皿に投げ込む。
威勢のいい店だ。
お客は中国人よりもフランス人が多い。
それにラーメン類を箸を使って器用に食べている。
汁物の麺類も種類が多そうだ。
北京ダックラーメンを注文すると、麺がどこにあるかわからないほどダックがどっさり入ったどんぶりが出てくる。
これに揚げ春巻きとお茶、デザートを食べると、お腹がはち切れそう。
わざわざモンパルナスからバスに乗って来た価値がある。

 

ベルヴィル地区の北京ダックラーメン

 

帰りはまた朝市の出る通りを逆に歩いて行った。
中国人の姿はほとんど見かけなくなり、イスラム系の店やホテルが立ち並び、イスラム系の人ばっかりが歩いている。
一角で人だかりがして、十数人の若者が大きな国旗を振り回して大声で歌っている。
アルジェリア、アルジェリア!
サッカーの試合の応援団が、そうとう気合を入れて騒いでいるのだ。
どこが相手国かしらないが、国対抗の試合が今夜あるのだろう。

私たちはまた96番に乗って町の中心、ポンピドーセンターに行くことにした。
muz
2009/11/26

 

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(この文は2009年12月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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074. タパスで行こう

2019-01-03 | エッセイ

久しぶりにスペインを旅した。
旅といっても、今回はピレネー山脈を越えたフランス側のミディピレネー地方が目的地なので、
スペイン国内は猛スピードで駆け抜けた。
時速120キロ以上出して、しかもほとんどが高速道路なのに、そんなに急いでも、スペインを抜けるのに行きは一泊、帰りは2泊かかった。

スペインは広いのだ!
でも道路は素晴らしい。
なだらかな丘陵地帯にゆったりとした幅広の高速道路が続く。
しかも無料というのが嬉しい。
といっても全てが無料ではなく、海岸線沿いなどは観光道路として有料が多い。
地図を見ながら最短で行ける無料高速を選んだ結果、行きはバダホスからメリダを通ってマドリッド、サラゴサ経由でピレネー山脈を越えた。
すべて無料。7キロもあるピレネーのトンネルも無料だった。

無料の高速道路沿いには5キロか10キロごとにサービスエリアがある。
ポルトガルの高速道路はほとんどが有料で、サービスエリアは30キロおきぐらいにしかない。
それに比べてスペインはとても便利。
ひとつ見逃しても次々にあるから、コーヒーやトイレ休憩に不自由はない。
どの店もお菓子やサンドイッチなどの軽食、そしてレストランもある。
でも先を急ぐ旅なので、レストランで昼食をゆっくり取るひまはない。

そんな忙しい旅人の為に素敵な店が時々ある。
スペイン特有の「タパス」をやっている店だ。
レストランは時間にならないと食事はできないが、バルやカフェのカウンターではショーケースの中にタパスが並んでいて、いつでも食べられる。
まるで寿司屋のネタ入れのようなショーケースにパットに入った惣菜が並んでいる。

「タパス」というのはちょっとしたおつまみ、惣菜を小皿に取り分けて出す。
たとえばソーセージや揚げ物、野菜の煮物、イモサラダ、オムレツなどなど。
街なかにあるバルで、仕事が終わった男たちが家に帰る前に立ち寄り、ワインやビールを片手に一品、二品注文する…というのが本来の姿。

 





ところが高速道路のサービスエリアでもタパスの並んだショーケースを発見した時は嬉しかった。
ビールとサンドイッチでお昼を済まそうと立ち寄った店のカウンターにタパスがずらり。
店の奥にはレストランのテーブル席がきちんとセットされているが、まだ12時を過ぎたばかりで時間も早いせいか、お客はだれもいない。
反対にカウンター席はかなり賑わっている。

カウンターの椅子がふたつ空いたので、さっそく腰掛けた。
隣の若いカップルはジュースとキッシュなどを食べている。
ショーケースにはおいしそうなスペイン料理がいろいろと並んでいて、どれにしようかと悩んでしまう。
ソーセージの料理だけでも3種類、その他に野菜の煮込み、ショコ(モンゴイカ)のグリル、揚げ物など。
その中で、ソーセージの炒めたものと、玉ねぎやトマトと煮込んだもの、ショコのグリル、イモサラダ、
そして飲み物は生ビールとノンアルコールビールを注文した。

カウンターの中の小柄なおじさんはちょっと小粋でにこにこと愛想が良い。
いかにも自分の仕事を楽しんでいる様子。なんとなくチャップリンの感じもする。
目の前のビールサーバーから注いだビールをビトシの前に置いたので、「これは生ビールですか?」というと、「いや、ノンアルコールですよ。奥さんも同じものにしますか?」という。
「いいえ~、とんでもない。生ビールをください」と、私がけっそう変えて言ったのがおかしかったのか、
「運転しない女性はアルコールが飲めるからね~」と笑いながら、隣のコックをひねってグラスに注いだ。
生ビールとノンアルコールビールがどちらも樽から出てくるとは驚いた!
注文したショコは奥の調理室に持っていって、温めてから一口大に切ったのを出してくれた。
美味しいタパスとビールとコーヒーで、腹八部の適度な昼食、私たちにはとてもいいシステムだ。

ピレネー山脈を越えてフランスに入ると、景色も一変するが、食事も一変する。
タパスはどこにも見当たらない。
そのかわりフランスのサンドイッチは美味しい。
どこの町でもパン屋の店先にはフランスパンに具を挟んだ色んな種類のサンドイッチがずらりと並んでいて、どれもボリュームたっぷり。
お昼はサンドイッチ、夕食はレストランで…というのが私たちのフランスの旅の定番である。

モントーバン、アルビ、カストル、トゥールーズ、セレなどと美術館を堪能した後、帰りはバルセロナ方面をびゅんびゅん飛ばして、ひたすら走った。
地中海沿岸から内陸に入り、途中の小さな村のレストランで昼食を取るつもりで中に入った。
カウンターに寄りかかって近所の男たちが一杯飲みながらつまみを食べている。
ショーケースの中にはおいしそうなおかずが並んでいる。
店の奥がレストランになっているようだが、そこまで行かずにカウンターで足が止まってしまったのだ。
スペインでの昼食はタパスに限る!

まずジャガイモのマヨネーズ和え、ソーセージと豆の煮込み、コロッケのようなもの、を注文すると、小柄なおかみさんは小さな皿につぎ分ける。
それを食べ終わって、またショ-ケースをのぞく。
美味しそうなのに、それがいったい何なのか判らないおかずがある。
ポルトガル語に比べてスペイン語はすごく早口だと思っていたが、このおかみさんのスペイン語は超特急だ。ほとんど判らない。
でも彼女はおかまいなしに喋り、ゼスチャーたっぷりなので、そのうちなんとなく判ってきた。
正体不明の惣菜は変った形の茄子の煮込みだった。
それと小アジのフライを指差すと、おかみさんはまたぺらぺらと喋り始めた。
何度も聞くうちに、ようやくガッテン!
「小アジのフライはこのジャガイモサラダが付け合せになっているけど、いいの?」と言っていたのだ。
ジャガイモサラダは最初に食べたけど少量だったので、またもらうことにした。
するとおかみさんはパンとフォークとナイフを添えてだした。
タパスには小さなフォークしかつかない。
どうやらこれはタパスのメニューではなく、正式な食事のメニューのようだ。

背の高い北欧人風の旅行者が4人入ってきた。二組の老人夫婦だ。
彼らも奥のレストランには行かず、カウンターのショーケースを覗き込んで注文している。
旅行者にとってタパスは手っ取り早く食事ができる便利な食事方法なのだ。

今まで毎日晴天続きだったのが、今日になって西の空に黒雲が現れた。
少し風邪気味でもあるし、早めにどこかで宿に入ろう。
でも田舎の町では古びた宿しかないだろうな~と話していたら、突然大きなレストランが目の前に現れた。
町外れの広域農道の脇にある、新しい立派な建物で、しかもホテルの看板もかかっている。
「今夜はここに泊ろう」と、即座に決まった。
外見も立派だが、ホテルのレセプションも、部屋もシンプルだが本物の作りだ。
調度品は全て松材で、床はピンクの大理石、廊下も階段も大理石が敷き詰められている。
大理石はポルトガルでもふんだんに使われているし、我が家のマンションの階段も大理石なので、いまさらそんなに驚くことはないのだが、ここの建物はスケールが違う。
1階、2階、それぞれ20部屋ずつありそうだ。
なにしろ大きい、広い!
ついでにオーナーも大男。肩幅広く、背が高く、がっしりしている。
そして気が良さそうだ。
そのうえ部屋代はたったの40ユーロ。
前夜に泊った高速沿いのホテルは80ユーロもしたのに、車の走る低周音が耳について、ほとんど眠れなかった。
田舎はいいな~。周りは赤く紅葉したブドウ畑や牧場。
夕暮れの空に小鳥がのどかにさえずっている。

スペインのレストランは開くのが遅い。夕食は早くて8時、普通は9時から始まる。
階段を降りると、レセプションの隣は広いバル(バー)があり、長いカウンターには長いショーケースがあった。
その中にはタパスがずらりと並んでいる。
奥にあるレストランのドアはぴったりと閉じていて、まだ2時間以上は開かないだろう。
夕食もタパスでいこう!

カウンターの中では若い男が2人働いている。
2人とも背が高く、肩幅がっちり。
オーナーの家族だろうか。

カウンターには近所の人や常連らしいトラックの運転手など数人がタパスをつまみに飲んでいる。
タパスの種類も多い。
その中からソーセージとジャガイモのサラダ、ピーマンの炒め煮、
トルティーリャ・イスパニョーラというジャガイモの入ったスペイン独特ののオムレツ、インゲン豆の卵とじ、そして地元の白ワインを一本注文した。
このワインがきりりと冷えて、しかもフルーティ。
乾いた喉を潤してくれる。
この店のタパスはどれも美味い、そして気前良くどっさり盛ってある。
しかも小皿ではなく、普通の皿にである。
スペインの田舎はいいな~。

観光地には安くて美味いものはめったにないけれど、田舎には素朴で親切な人々と、安くて美味いものがあふれている。
このタパスの夕食もワイン一本を含めて全部でたったの17ユーロだった。

 

たっぷり盛られたポテトサラダ

 

スペインのソーセージの味は本物だ

 

トルティーリャ・イスパニョーラ

 

インゲン豆の卵とじ

muz
2009/10/28

 

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(この文は2009年11月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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073. サラダ・デ・ピメント

2019-01-02 | エッセイ

ピメントとはわかりやすくいえばピーマンのこと。
でもピメントとピーマンは同じものではない。
日本でピーマンといえば、小さくて肉が薄いものだが、日本のようなピーマンはポルトガルでは見たことがない。
ポルトガルで売っているのは15センチから20センチもある大きなもので、肉の厚さが8ミリほどもあり、とても瑞々しい。
これをピメントという。

ピメントは皮が硬いので、生ではほとんど食べず、焼いて皮をむく。

私の住んでいるセトゥーバルは港町なので、港の周りや大通りに魚の炭火焼レストランが数十件も並んでいる。
昼前になるとどの店も外にある特製の大型カマドでいっせいに炭火を起こし始める。
火のついた炭からは最初は大きな炎が燃え上がるのだが、その上に緑のピメントを並べて焼く。
どのレストランでも最初にピメントを焼いているのは、燃え上がる炎を利用してピメントの表面だけを焼くためと、
大きな炎を抑えて、本番の魚を焼くための炭火状態を作る、一石二鳥のやり方だ。

 



 真っ黒こげになったピメント

しばらくするとピメントの表面は真っ黒に焦げる。
それを水を流しながら皮をむくと、ほこほこの中身が現れる。
1センチほどの幅に縦に裂いて、オリーヴ油と塩コショウ、酢でマリネすると、サラダ・デ・ピメントのでき上がり。
オリーヴ油で炒めたニンニクスライスを加えると、もっと美味しい。

 


サラダ・デ・ピメント

ずいぶん前の話だが、田舎の村を歩き回っていた時、道路端で小さい鉄のコンロを見かけた。
コンロには炭火がおこり、その上に大きな緑色のピメントがごろりとひとつ乗っていた。
ピメントはじゅうじゅうと音を立て、かなり黒くこげている。
そのころの私たちは「サラダ・デ・ピメント」などは知らなかったし、日本のピーマンの意識しかなかったので、まるで魚を焼くように肉厚のピーマンを焼いているのがとても珍しかった。

そこに前の家からお婆さんが出てきたので、挨拶をすると、彼女は焼きあがったピーマンを皿に乗せ、「これからこのピメントで昼ごはんなのよ」と言いながら家に引っ込んだ。
肉厚のピーマンはピメントと言うらしかった。
一人暮らしの老人にはサラダ・デ・ピメントとパンとソッパ(スープ)があれば、それだけで充分なのだ。

それ以来、夏になるとピメントを買って自分でも作るようになった。
自宅では炭火焼は無理なので、ガスコンロにシャッパスという分厚い鉄板を乗せて、その上で焼く。
わりと簡単に手軽にできるサラダだ。

7月、8月はイワシの季節。
まるまると太り脂の乗ったイワシが魚屋の店先に並ぶ。
炭火焼のレストランではイワシを焼く煙があたりに漂い、こんがり焼けたイワシが一人前8匹、お客の前にどんと出てくる。
レタスとトマト、きゅうり、玉ねぎのスライスをミックスしたサラダの上には焼きピメントがパラパラと乗せてある。
イワシの炭火焼には焼ピメントが付いてくる。
理由はよく分からないが、昔からの定番らしい。
イワシの季節とピメントの季節が重なって、絶妙な組み合わせができるのだ。

 


イワシの炭火焼

9月も末になるとそろそろイワシの季節は終り、ピメントも赤く熟し始める。
イワシとピメントのコンビは解散、
また来年の夏までお預けである。

MUZ
2009/09/28

©2006,Mutsuko Takemoto
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(この文は2009年10月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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151. 鉄道の駅舎は・・・

2019-01-01 | エッセイ

鉄道の駅舎が様々な形で使われている。以前に行ったカステロ・デ・ヴィデの駅舎は「デスティーニョ」という名前の小さなホテルに改造されていた。鉄道は廃線になっていて、列車が来ることはない。

今は使われることがないプラットフォームに椅子テーブルを出して、コーヒーを飲みながら野鳥の囀る声を聞き、木々を渡る風を感じながらワインを飲むという貴重な体験をした。

 

アルガルベでは、ポルティマオンの対岸に「フェラグド・パーシャル」という駅がある。港町フェラグドと隣町パールシャルの二つの町をまとめてひとつの駅ができている。ラゴスからファロ行きの電車が片道7本、往復で14本走っている。現役バリバリの駅である。

 

駅の正面

 

レストランの名前は「オ・レメ」

 

 

 

プラットフォームのカフェテラス

 

ところが駅舎はレストランになっている。正面は完全にレストランの店構えで、後ろのプラットフォームもカフェテラスになっている。しかも経営者はポルトガル人ではなく、ネイティブ英語を話すイギリス人だ。

コーヒーを飲み終わるころに電車が到着した。急いでプラットフォームに駆け付けると、電車から降りてきたのは一見して外国人と判る人々。電車に積み込んだ自転車を降ろし、ヘルメットを被り始めた。止まっている電車のなかの乗客も殆どが外国人。

 

電車がやって来た

 

 

アルガルベ地方は海岸線に沿ってリゾートホテルや別荘がびっしりと立ち並ぶ場所。イギリス人やドイツ人がたくさん住んでいる。

彼らは祖国で定年まで勤めあげ、ポルトガルで別荘やマンションを買って暮らす。何といってもポルトガルは祖国に比べて物価が格段に安いし、気候も温暖で、とても暮らしやすい。しかもアルガルベの玄関口、ファロ空港からは格安飛行機がヨーロッパ各地に発着しているから、数時間で祖国に帰れる。リタイアした老人たちにとっては天国だ。

老人たちだけでなく、体力のある30代のファミリーたちも住み着いている。海岸から少し山に入った場所にある農家を買って、自家製ソーラー発電で電力をまかない、自給自足の生活をしているようだ。

先日、アレンテージョの山道を走っていて、道に迷ってドン詰まりまで行ってしまった。そこは農家で、空き地にはキャンピングカーが2台とテントが張ってあり、ちょっと変な感じだったが、とりあえず道を尋ねようとクルマから降りたら、がさがさと音がして、10歳くらいの男の子が物陰に隠れた。金髪の頭が見えたが、どうも、突然現れた東洋人を見て驚いた様子だった。怯えているようなので、声をかけるのもはばかられて、私たちはそのまま元来た道を引き返した。大人の姿は見かけなかったが、彼らも又、北の国からやってきたファミリーだろう。

ポルトガルは観光ブームで世界各地から続々と人々が押しかける。温暖な気候と物価の安さ、治安の良さ、それに加えて料理の美味しさと人々の親切が外国人を魅了する。MUZ

 

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