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ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

080. 物価の違いと消費税

2019-01-08 | エッセイ

ポルトガルでは2010年7月1日から消費税が1%上がった。
ポルトガルの消費税は三段階に分かれていて、野菜やパン、肉や魚などの生鮮食料品が6%、
ハムやソーセージなどの加工食品やワインとかコーヒーなどが13%、シャンプー、洗剤、化粧品、衣類、電球などが21%となっている。

昨日、サルディーニャ(イワシ)とサパテイラ(カニ)を買ったのだが、どちらも生鮮食品なのにイワシは6%、カニは21%、?
いままで当然カニは生鮮食品だと信じていたのに…。
だってカニは我が家の目の前に広がるサド湾やトロイア沖で獲れる立派な生鮮食料品。
鍋に入れるまでは手足をばたつかせていたのですよ。
輸入品でもないのに、いつのまに21%の枠にはいっていたのか?

ところで、日本では突然消費税を5%も上げると言い出して、民主党が選挙で大敗した。
大敗した原因はもちろんそれだけではないと思うが、一因にはなった。

ポルトガルでは、不況のための倒産とか、より人件費の安い国へ企業が移転したりで、全国の工場が次々と閉鎖され、失業率が11%近くなっている。
職業安定所ではドアの外まで仕事を探す人々があふれている。
それなのに、消費税が1%上がってもぜんぜん騒ぎにならない。

例のギリシャ経済危機騒ぎで、次はスペインやポルトガルが危ない~ということで、ポルトガル政府は首相や国会議員の給料を5%引き下げる、そのかわりに消費税を1%上げることを国民に発表した。
1%ぐらい~いいか~と思ってしまう心理をついた、うまいやり方だ。

実は、わたしもあまり気にならない。

なぜかというと、ポルトガルは今、スーパーやイーパーなど大型店が値下げ競争をしているのだ。
たとえばニンジン1キロが日本円にすると約54円、セレージャ(さくらんぼ)が1キロ450円、米1キロ95円など。
ニンジンは安いからまるで馬のように毎日食べているし、セレージャは6月~7月しか出回っていないので毎週2キロも買う。
しかもセレージャの種で枕を作ると、頭の熱を取り安眠できるというので、枕作りのためにも必死で食べている。

買い物は1週間に一回か二回出かける。
食料、雑貨まとめて一週間で消費税込み6000円ほどの出費。

日本ではニンジン3本で150円、サクランボ(ブラックチェリー)250グラムで500円、米は一番安いのでも1キロ400円。

日本はポルトガルに比べて物価が高い!
それなのに
「ヨーロッパは消費税が20%以上するから、日本の消費税は10%に上げてもまだ安い!」という。
とんでもない!
不況で失業し、低所得者層が急激に増えている日本は、ポルトガルの低所得者と所得は大差がないと思う。
しかも日本は米などの物価がポルトガルの4倍もする。
そんな状態で、消費税を5%上げて10%にし、いずれは20%台にしたい~?
消費税は福祉関係にしか使わない?

でも介護保険は別に取る。
介護保険料を払っているのに、利用する時は有料。

日本は多重税金の国だ。
しかも国民に対する見返りは少ない。
しかし日本国籍を持たない在日外国人には、本国に残した子供たちにまでも日本人の血税で子供手当てを出すという。
理解できないし、納得できない!

日本人は老後が不安だから、せっせと貯金にはげむ。
ポルトガル人は夏や冬の休暇のために貯金をし、人生を楽しんでいる。
MUZ
2010/07/29

 

©2010,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。
一切の無断転載はご遠慮下さい
Copyright Editions Ilyfunet,All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

(この文は2010年8月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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097. カンポマヨールの二人のじいさん 

2019-01-08 | エッセイ

カンポマヨールはアレンテージョ地方の内陸に位置する、スペイン国境に近い町。
私の住む町、セトゥーバルからクルマで片道3時間以上もかかる。
そこで「紙の祭」をやっている。

「紙の祭」といえば、同じアレンテージョで、陶器の町ルドンドが有名だが、
残念なことに今年はロンドンオリンピックと時期が重なってしまったために、行けなかった。
カンポマヨールの祭はオリンピックが終わった一週間後に始まったので、
ちょっと遠いが、運転の練習をかねて、出かけた。

お昼前に到着。
さすがに焼け付くような暑さだ。
町の入り口にある広い公園が祭の会場になっていて、
紙で作ったディスプレイで公園は埋め尽くされている。
やはりセトゥーバルから来ると、日差しが強烈だが、紙の花のアーチは程よい日陰を作り、風に吹かれてしゃらしゃらと涼しげな音を立てている。

 

青で縁取られたアレンテージョの家がメインゲート

 

紙細工で作られたポルトガルのシンボル「ガロ」

 

紙細工のアーチが石畳に涼しい影をつくっている

 

 

 

夜にはこの舞台で歌手やバンドが演奏する。

 

公園の常設の舞台も紙細工で飾られている

 

噴水の縁に紙の生け花


ルドンドに比べて、ずっと規模が小さいので、すぐに見終わった。
さて、お昼はどうしよう。
期待していた屋台は数軒出ているが、カフェばかりで、食堂は一軒しか見当たらず、しかも夕方からしか開かないようだ。

しかたなく、バルに入って軽食でも…と入りかけたとき、そのバルから出てきたじいさんが、声を掛けてきた。
「食事をするのだったら、俺が知ってるレストランに案内するよ。どこから来たんだい?シネース(中国人)かい?」
日本人だと言うと、
「ああ、おれは元船乗りで、香港も行ったし、インドもチモールも行ったことがあるよ」

これまでも、元船乗りという爺さん達にはあちこちで何人も出会った。
彼らは口をそろえて、「神戸、横浜~」
そしてその土地で出会った日本人女性の名前を懐かしそうに言ったものだが、そんな時、私はなんと言ったらよいのか困るのだ。
でもこのじいさんはそんなことは全然言わない。

じいさんは公園の端に露店を広げているジプシーたちと親しそうに挨拶を交わしながら、路地の奥まった小さなレストランのドアを開けた。
私達だけだったら、営業しているかどうか分からなかったと思う。
じいさんは店の女将に私たちのことを話してから、「それじゃ」と言って出て行った。

テーブル席が10数席あり、すでに2組の家族が座っている。
店は年配の女将が、注文聞きや料理を運ぶのや何もかも一人でやっているから大忙しだ。
もう一人、ぬぽーっと背が高い12歳ほどの男の子がゲームを片手にぶらぶらとしている。
たぶん孫だろうけど、見たところ手伝う気はなさそうだ。
メニューぐらい持ってきたらいいのに~と男の子に声をかけようとしたら、ふっと目をそらされてしまった。
だいぶ待たされて、女将がやっとメニューを持ってきた。
他では見かけない料理がある。
「地鶏のトマトスープ煮込み」と「豚肉のグリル?ソース味」

 

地鶏のトマトスープ煮込み

 

豚肉のグリル照り焼きふうソース味

 

地鶏のむね肉を細かく裂いたものにトマト味スープがたっぷりかけてあり、半熟目玉焼き乗せ。
豚肉は甘辛焼肉のたれふうの味で、ポルトガルのレストランでは初めてお目にかかった。
このごろ大型スーパーの棚にはアジアの食品がかなり並んでいる。
日本食も味噌や醤油、昆布、ワカメ、それに切り干し大根や羊羹やアンコの缶詰まである。
たぶん中国人がスーパーに納入しているのだろう。
レストランで照り焼きソースのステーキが出てきても不思議ではないかもしれない。

店の外に出ると、燃え上がるような熱風にあおられた。
気温はますます上がり、お城に向う上り坂の路地を影の部分を見つけながら逃げるように歩く。
教会の駐車場の前を通りかかった時、かなり離れた車の間から、老人が声をかけてきた。
周りを見たところ、話しかける相手は私達しかいないので、立ち止まると、老人は近づいてきて、どこに行くのか、と尋ねた。
お城に行くと言うと、
「お城は行かないほうがいい、ジプシーがいて、カメラや財布をひったくられるから危ない。この教会のあたりも時々観光客がやられるよ」と、真顔で真剣に注意してくれる。
それでも行く!というのは、せっかく忠告してくれた老人に悪いから、止めることにした。

10数年前にカンポマヨールに来たときに、お城に行ったことがあるが、そのときも廃墟の城の一部にジプシーたちが住み着いていた。
ふつうに暮らしている彼らに特別何も感じずに、挨拶したことを思い出す。
今回も、別に恐れることもないだろうけど、このごろポルトガルも治安が悪くなっているから、気を付けたほうが良いかもしれない。

車を止めた場所まで帰る途中、大型のバンが駐車しようとして、道の真ん中に立ち往生していた。
その運転手に声をかけながら、誘導している老人。
さっき私達をレストランに連れていってくれたじいさんだ。
挨拶を交わしてすれ違ったのだが、大型のバンを運転しているのは、露店市の業者で、ジプシーだ。
じいさんはこの町のあちこちで、人助けをしているのだ。
「さっきの店は美味かっただろう?」
「シンシーン、ムイトボン」(ええ、とっても良かったよ)
と言うと、じいさんは満足そうにうなずいた。

「オブリガーダ、アデオス~」
「チャオ~」

二人のじいさんに出会った、カンポマヨールに別れを告げた。

MUZ
2012/08/28

©2012,Mutsuko Takemoto
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一切の無断転載はご遠慮下さい
Copyright Editions Ilyfunet,All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

 

(この文は2012年9月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

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030. カラスが来た日

2019-01-08 | エッセイ

ベランダの近くに張り出している松の木の枝に山鳩の巣が架かっている。
山鳩のつがいがせっせと巣を作っているのをみかけたのはもう何年前だろうか。
そこに卵を産み、母鳥が卵を抱いている間、父鳥が餌をとってきて母鳥に与えていた。
やがてひながかえると、母鳥と父鳥が交代でひなを抱き、餌をとりに出かける。

餌をくわえて帰ってきた山鳩はすごく用心深い。
巣からかなり離れた枝にとまり、周りの様子をうかがって三度ほど枝をかえてやっとひなと相方の待っている巣にたどりつく。

松林は丘の斜面にあるので、下から吹き上げてくる風がまともに当る。
松林のあるおかげで我が家への風当たりはかなりゆるくなっているのだが、松の木の高い場所にある山鳩の巣はまともに風があたり、強風の時などゆっさゆっさと激しく前後左右に揺さぶられている。

よく落ちないものだ…といつも思うのだが、今まで落ちたことは一度もないから不思議。
鳥の巣作りというのは誰に教えられたわけでもないのに、頑丈に機能的に作ってしまうものだ…と感心してしまう。

はっきりは分からないが、たしか3週間ほど経つころに、巣の中のひなが外に出て行こうとする。
ひなはたいてい2羽だ。
巣の近くの枝によちよちと危なっかしく伝い歩き、バサバサと羽ばたく真似をする。
それからいつのまにか巣立っていく。

どこに行ったか判らない。
我が家の屋根の隙間にいるのかもしれない。
「クエーッ、クエーッ」と喉を絞るような声をあげながら、キッチンの上の屋根に飛び上がっていく。
でもそれが親鳥なのか、ひなの成長した姿なのか、区別がつかない。

電線に止まっている山鳩が一時期10羽ほどに増えたことがある。
そんな時、青い家の後ろあたりから鉄砲担いだ悪がきや悪親父がにやにやしながらやって来たもんだ。
空気銃らしいが、山鳩を狙って銃を向けパンパンと乾いた音を出して撃つ。
当ったのを見たことがないので、命中率はかなり低いようだ。
でも外れた弾がどこに飛んで来るのかがよけい心配になる。
このごろは悪がきがどこかへ引っ越してしまったのか、そういうことはなくなったけど。

山鳩の巣は風雨にさらされ、そのまま朽果てていくのかと思っていたが、ある日せっせと巣を修復している山鳩の姿があった。
また卵を産んで一日中抱いている。

そんなことが何回も繰り返されながら数年経った。
でも最初のつがいがその巣を使っているのかどうか判らない。
案外、成長したひなが卵を産んで抱いているのかもしれない。
それにしても巣は古いまま少し手直ししただけでずっと使っているようだ。
使用年数がそうとう経って、今では立派な中古住宅といえる。

今もまた卵を抱いている姿が見える。
ある朝、突然「ガーッ、ガ~」という耳慣れない鳴き声が聞こえた。
といっても、ポルトガルでは耳慣れないが日本ではよく知っている鳴き声だ。
「まさか!」
急いで松の木のあちこちを見ると、「いた、いた!」
「カラスだ~」
松の木の一番てっぺんの枝先にとまってガ~、ガ~とあたりを威嚇するように鳴いている。
日本のカラスに比べてひと回り身体が小さいし、口ばしも短いようだ。

二年ほど前になるだろうか、
セトゥーバルからサド湾を対岸のトロイアに渡り、一時間ほど走った松林のあたりでカラスを数羽見かけた。
それまでポルトガルのあちこちを旅して一度もカラスなど見たことがなかったから驚いた。

「ああ、とうとうカラスがやってきた!」
サド湾を越えてセトゥーバルまで来るのは時間の問題だ。

カラスが住み始めると我が家の周りの野鳥たちには脅威になるだろう。
今まで小鳥たちにとっての天敵はカモメぐらいしかいなかった。
カモメはよほど海が荒れたときしか近づいてこないので、そんなに恐怖でもないだろう。

カラスが増えたら大変だと、私は密かに心配していた。
ところが去年の初め、郊外を走っていたら畑の中に黒い鳥が数羽いた。
カラスがサド湾を渡ってこちら側に住み着いたのだ!
それから数ヶ月後、今度はセトゥーバルにもっと近い所にある馬の放牧場で数羽見かけた。

そして今年、とうとう我が家の前の松の木に姿を現した。
山鳩の巣では子育て中。
カラスはひなをねらっているにちがいない。

カラスはそれ以来決まったように毎朝8時過ぎに同じ枝の先にやって来て、ガ~ガ~と鳴くようになった。
不思議なことに、カラスは朝だけ姿を現す。
そしてひとしきりうるさく鳴くといつのまにか何処かへ飛んで行く。
山鳩にとって落ち着かない朝が毎日続いている。

ある朝、バサバサと異様な音が松林の中から聞こえてきた。
なんだか激しい羽ばたきの音だ。
驚いてベランダに出てみると、枝や幹の隙間をカラスが逃げまわっている。
追いかけているのは山鳩の夫婦だった。
子供を持った親は猛然と敵に向って攻撃していた。
カラスは驚き、戸惑って一目散にどこかへ飛び去った。

でも次の朝、同じ時刻にカラスは素知らぬ振りで枝にとまり、耳ざわりな鳴き声をあげていた。
MUZ
2005/03/01

©2005,Mutsuko Takemoto
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(この文は2005年3月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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