…ちょっと朝日奈央が鼻につくようになってきた←
「蕃所山古墳(ばんしょやまこふん)」
「サンド山古墳」(赤い四角)から東南東方向に数分歩くと…住宅街に忽然と現れる「ラウンドアバウト」(白い丸)。
それが「モッコ塚」こと「蕃所山古墳」。百舌鳥古市古墳群の一つ(世界遺産登録には含まれていない)。
直径22メートル、高さ3メートル。
撮影したのが真冬なのでアレだが、夏になるともっと木々が茂る。
※「畚(モッコ)」…縄や竹・ツタを編んで作った土砂の運搬道具。一説には「応神天皇陵」造成時の工具や道具を埋めたためこの異名が付いたとも。
なお発掘調査などは行われていないので詳細は不明。
近鉄南大阪線「藤井寺」駅から南東へ、あるいは近鉄南大阪線「土師ノ里」駅から南西へ徒歩20分ばかり。ほぼ等距離に在る。
北側から少し西側に移動。
地図の中央、赤い点がこの場所(小さすぎワロタ)。
南側の道から。
東側から。
奥に見えるのはポンプ場の鉄塔。トップ画像とこの2枚の画像は北側から撮ったモノ。
「サンド山古墳」(赤い四角)から東南東方向に数分歩くと…住宅街に忽然と現れる「ラウンドアバウト」(白い丸)。
それが「モッコ塚」こと「蕃所山古墳」。百舌鳥古市古墳群の一つ(世界遺産登録には含まれていない)。
直径22メートル、高さ3メートル。
撮影したのが真冬なのでアレだが、夏になるともっと木々が茂る。
※「畚(モッコ)」…縄や竹・ツタを編んで作った土砂の運搬道具。一説には「応神天皇陵」造成時の工具や道具を埋めたためこの異名が付いたとも。
なお発掘調査などは行われていないので詳細は不明。
近鉄南大阪線「藤井寺」駅から南東へ、あるいは近鉄南大阪線「土師ノ里」駅から南西へ徒歩20分ばかり。ほぼ等距離に在る。
北側から少し西側に移動。
地図の中央、赤い点がこの場所(小さすぎワロタ)。
南側の道から。
東側から。
奥に見えるのはポンプ場の鉄塔。トップ画像とこの2枚の画像は北側から撮ったモノ。
「アントニオ猪木」
オレが一番最初にテレビで見た試合は、1981年8月6日蔵前国技館での"アントニオ猪木vsマスクド・スーパースター"
最後に「会場で」試合を見たのは、1989年5月25日の大阪城ホールでの異種格闘技戦"アントニオ猪木vsショータ・チョチョシビリ"
vsウィリアム・ルスカに始まり、モハメド・アリからウィリー・ウイリアムスに至る「格闘技世界一決定戦」や、
1989年のソ連・モスクワ、湾岸戦争寸前の1990年のイラク・バグダッド、1995年の北朝鮮・平壌での興行は猪木以外の誰にも成し得なかった。
現在に至るまで他に類を見ない、次元の違うスケールの持ち主だった。
蛇足…1998年4月4日東京ドームでの引退試合以降、誰もが「きっと復帰する」と思っていたが2000年3月11日横浜アリーナでの滝沢秀明とのエキシビションマッチ以外は試合をしていない(はず)。
合掌。
以下引用
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「燃える闘魂」と呼ばれた元人気プロレスラーで、政治家として参院議員を計2期務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、死去した。
オレが一番最初にテレビで見た試合は、1981年8月6日蔵前国技館での"アントニオ猪木vsマスクド・スーパースター"
最後に「会場で」試合を見たのは、1989年5月25日の大阪城ホールでの異種格闘技戦"アントニオ猪木vsショータ・チョチョシビリ"
vsウィリアム・ルスカに始まり、モハメド・アリからウィリー・ウイリアムスに至る「格闘技世界一決定戦」や、
1989年のソ連・モスクワ、湾岸戦争寸前の1990年のイラク・バグダッド、1995年の北朝鮮・平壌での興行は猪木以外の誰にも成し得なかった。
現在に至るまで他に類を見ない、次元の違うスケールの持ち主だった。
蛇足…1998年4月4日東京ドームでの引退試合以降、誰もが「きっと復帰する」と思っていたが2000年3月11日横浜アリーナでの滝沢秀明とのエキシビションマッチ以外は試合をしていない(はず)。
合掌。
以下引用
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「燃える闘魂」と呼ばれた元人気プロレスラーで、政治家として参院議員を計2期務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、死去した。