「アントニオ猪木」
オレが一番最初にテレビで見た試合は、1981年8月6日蔵前国技館での"アントニオ猪木vsマスクド・スーパースター"
最後に「会場で」試合を見たのは、1989年5月25日の大阪城ホールでの異種格闘技戦"アントニオ猪木vsショータ・チョチョシビリ"
vsウィリアム・ルスカに始まり、モハメド・アリからウィリー・ウイリアムスに至る「格闘技世界一決定戦」や、
1989年のソ連・モスクワ、湾岸戦争寸前の1990年のイラク・バグダッド、1995年の北朝鮮・平壌での興行は猪木以外の誰にも成し得なかった。
現在に至るまで他に類を見ない、次元の違うスケールの持ち主だった。
蛇足…1998年4月4日東京ドームでの引退試合以降、誰もが「きっと復帰する」と思っていたが2000年3月11日横浜アリーナでの滝沢秀明とのエキシビションマッチ以外は試合をしていない(はず)。
合掌。
以下引用
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「燃える闘魂」と呼ばれた元人気プロレスラーで、政治家として参院議員を計2期務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、死去した。
オレが一番最初にテレビで見た試合は、1981年8月6日蔵前国技館での"アントニオ猪木vsマスクド・スーパースター"
最後に「会場で」試合を見たのは、1989年5月25日の大阪城ホールでの異種格闘技戦"アントニオ猪木vsショータ・チョチョシビリ"
vsウィリアム・ルスカに始まり、モハメド・アリからウィリー・ウイリアムスに至る「格闘技世界一決定戦」や、
1989年のソ連・モスクワ、湾岸戦争寸前の1990年のイラク・バグダッド、1995年の北朝鮮・平壌での興行は猪木以外の誰にも成し得なかった。
現在に至るまで他に類を見ない、次元の違うスケールの持ち主だった。
蛇足…1998年4月4日東京ドームでの引退試合以降、誰もが「きっと復帰する」と思っていたが2000年3月11日横浜アリーナでの滝沢秀明とのエキシビションマッチ以外は試合をしていない(はず)。
合掌。
以下引用
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「燃える闘魂」と呼ばれた元人気プロレスラーで、政治家として参院議員を計2期務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、死去した。
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