《ヤマルリトラノオ》(平成30年7月19日撮影)
私たちは今、客観的な根拠が何一つないというのに、現実には理不尽にも〈悪女〉にされている高瀬露の濡れ衣を晴らさんとして、『露草協会』を組織し、「巷間流布している〈悪女 高瀬露〉の再検証を求める請願」の署名活動を展開している。幸い、お陰様でご協力をたまわり、少しずつではあるが、着実にその運動は前進し拡がりを見せている。
ところで、この運動の展開に . . . 本文を読む
《1 セツブンソウ》(平成30年1月9日撮影)
《2 》(平成30年1月9日撮影)
《3 》(平成30年1月9日撮影)
《4 》(平成30年1月9日撮影)
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
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《節分草》(平成31年1月1日))
(佐藤竜一氏も主張するように、昭和3年6月の賢治の上京は「逃避行」であったと見ることができるから、そう捉えるとあくまでも理屈の上での話ではあるが、前述した事柄に対する次のような解釈がそれぞれ可能となる。←再掲)
例えば、そのような心身の状態にあった賢治と大島で再会したちゑは賢治の「今」を見抜いてしまい、自分の価値観とは相容れない人であると受け止めたと。ちなみ . . . 本文を読む
《節分草》(平成31年1月1日))
ところで、昭和3年6月の大島訪問以前に花巻で賢治とちゑの「見合い」があったわけだが、実はこのことについて後にちゑは、『私ヘ××コ詩人と見合いしたのよ』というような直截な表現を用いて深沢紅子に話していたという。このちゑのきつい一言をたまたま知ることができた私は当初、ちゑは「新しい女」だったと仄聞していただけに流石大胆な女性だなと面喰らったものだが、それは前述した . . . 本文を読む
《節分草》(平成31年1月1日))
当時、四谷鮫河橋には野口幽香と森島美根が設立した『二葉保育園』が、新宿旭町には徳永恕が活躍した『同分園』がそれぞれあり、同園は寄附金を募ったりしながらそれらを基にしてスラム街の貧しい子女のために慈善の保育活動、セツルメントをしていた。ところが大正12年、あの関東大震災によって旭町の『分園』は焼失、鮫河橋の『本園』は火災を免れたものの大破損の被害を蒙ったという。 . . . 本文を読む
《1 》(平成30年1月5日撮影)
《2 》(平成30年1月5日撮影)
《3 》(平成30年1月5日撮影)
《4 》(平成30年1月5日撮影)
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
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《節分草》(平成31年1月1日))
森荘已池が『宮澤賢治と三人の女性』の巻頭で、
宮沢賢治と結婚したかった女性、宮沢賢治が結婚したかった女性と書いているせいであろうか、巷間、
賢治と結婚したかった〈悪女〉露
賢治が結婚したかった〈聖女〉ちゑ
とも云われている。しかし、前者についてはどうも危ういということは、今までの私の一連の投稿を通じてある程度ご理解いただけたものと、私は確信している。しか . . . 本文を読む
《「一緒に晴らしませんか露の濡れ衣」の栞(『本統の賢治と本当の露』用)》
吉田 それは、あの石井洋二郎氏があの式辞で警鐘を鳴らしたことが、賢治研究の分野でも例外なく起こっているということかも知れんな。
鈴木 私はここまで十年程賢治研究の分野で実証的に検証してきたのだが、その結果最も驚いたことは、賢治研究の分野でもそれは例外ではなく、石井氏が嘆いているように、
・「本来作動しなければならないはずの批 . . . 本文を読む
《「一緒に晴らしませんか露の濡れ衣」の栞(『本統の賢治と本当の露』用)》
鈴木 さて、そろそろそ「Wikipediaの高瀬露」の検証もそろそろ終わりにしたいのだがいいだろうか。
そもそも今回は何がことの始まりだったのかというと、『ウィキペディア(Wikipedia)』の中の「高瀬露」の項目に対して、Wikipedia側から、
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 . . . 本文を読む
《ヤマルリトラノオ》(平成30年7月19日撮影)
鈴木 さて、以上で背景を塗りつぶした部分の考察は全て終わったのだが、次の部分がやっぱり気になるんだよな。
また、賢治の詩「最も親しき友らにさへこれを秘して」における
あらゆる詐術の成らざりしより
我を呪ひて殺さんとするか
然らば記せよ
女と思ひて今日までは許しても来つれ
今や生くるも死するも
なんぢが曲意非 . . . 本文を読む
遅ればせながら
*************************************** まだ本協会にお入りになっておられない方々にご案内します。********************************** ご承知のように、生前、賢治が血縁以外の女性の中で一番世話になった女性として高瀬露がいるわけですが、巷間、露はとんでもない〈悪女〉にされているという現実があります。しかし少しく調 . . . 本文を読む
《ヤマルリトラノオ》(平成30年7月19日撮影)
「押しかけ女房」としての露の行動は、賢治の死後、1939年11月発行の機関誌「イーハトーヴォ」創刊号に掲載された高橋慶吾「賢治先生」や、1943年9月20日刊行の関登久也「宮沢賢治素描」(協栄出版社)における羅須地人協会員の座談会を通じて広く知られるようになった。これに対し、露は「事実でないことが語り継がれている」と発言したほかは何も弁解しなかっ . . . 本文を読む
《ヤマルリトラノオ》(平成30年7月19日撮影)
鈴木 では今度はこれだ。
「押しかけ女房」としての露の行動は、賢治の死後、1939年11月発行の機関誌「イーハトーヴォ」創刊号に掲載された高橋慶吾「賢治先生」や、1943年9月20日刊行の関登久也「宮沢賢治素描」(協栄出版社)における羅須地人協会員の座談会を通じて広く知られるようになった。これに対し、露は「事実でないことが語り継がれている」と発 . . . 本文を読む
《ヤマルリトラノオ》(平成30年7月19日撮影)
荒木 そうか、「聖女のさまして近づけるもの」とは実は限りなく伊藤ちゑだったのか。でもさ、待てよ。ならばこの〈悪女〉はちゑとされてしまうのか。
鈴木 いやいや、もちろんそうはならない。たしかに、賢治自身は、「たくらみすべてならずとて」とか「われに土をば送るとも」などと書いてちゑに当て付けたかったということはほぼ間違いないが、拙著でも、
なお、最後に . . . 本文を読む
《ヤマルリトラノオ》(平成30年7月19日撮影)
鈴木 では今度は、
の後半、
この露の行動に賢治は怒り、
聖女のさましてちかづけるもの
たくらみすべてならずとて
いまわが像に釘うつとも
云々という詩を「雨ニモマケズ手帳」に記している[15:p.158-159]。 についてだ。
吉田 それではまず[15:p.158-159]について、例のリストの中の該当項目 . . . 本文を読む