『露草協会』(一緒に晴らしませんか高瀬露の濡れ衣)

宮澤賢治がとても世話になった高瀬露。ところが現実は、露は〈悪女〉にされている。その濡れ衣を晴らさんとするブログである。

虚構だった森の「下根子桜訪問」

2018-10-23 08:11:45 | 高瀬露関連論考等
《『賢治の真実と露の濡れ衣』の表紙》

 では今回は、「第二章 「賢治伝記」の看過できぬ瑕疵」の中の「虚構だった森の「下根子桜訪問」」をご覧いただきたい。

 森荘已池は当時「脚氣衝心を起こしてあやふく死に瀕し」ていたということなどを知った私は、それらが「一九二七年」と書けなかった理由だと閃いた。延いては、森の「下根子桜訪問」自体が虚構だったということを明らかにできた。おのずから、その訪問の際に森が高瀬露とすれ違ったということも嘘だったということになる。

〈26p〉

〈27p〉


   虚構だった森の「下根子桜訪問」
 そんな時に偶々私が目にしたのが、平成26年2月16日付『岩手日報』の連載「文學の國いわて」(道又力氏著)であり、そこには、
 東京外国語学校へ入学した森荘已池は、トルストイも愛用した民族衣装ルバシカにおかっぱ頭という最先端のスタイルで、東京の街を闊歩していた。…(筆者略)…ところが気ままなボヘミアン暮らしがたったのか、心臓脚気と結核性肋膜炎を患ってしまう。仕方なく学校を中退して、盛岡で長い療養生活に入る。
ということが述べられていた。
 これによって、当時森は病を得て帰郷、その後盛岡病院に入院等をしていたということを私は初めて知って、そういうことだったのかと頷き、これこそが先の「理由」だと覚った。心臓脚気と結核性肋膜炎で長期療養中だった当時の森が「一九二七年」の秋に「下根子桜」を訪問することはどだい無理だったから、「一九二七年」とは書けなかったのだ、と。
 念のため、『森荘已池年譜』(浦田敬三編、熊谷印刷出版部)も参照してみると、
・大正15年11月25日頃、心臓脚気と結核性肋膜炎を患って帰郷し、長い療養生活。
・昭和2年3月 盛岡病院に入院。
・昭和3年6月 病気快癒、岩手日報入社。
と要約できる。やはり、昭和2年(一九二七年)当時の森は確かに重病で盛岡で長期療養中だった。したがって、そのような重病の森が、盛岡から花巻駅までわざわざやって来てなおかつ歩いて「下根子桜」へ訪ねて行き、しかもそこに泊まれたということは常識的にはあり得ない。畢竟、森の「一九二七年」の「下根子桜訪問」は実際上も困難だったのだと言える。
 次に当時の『岩手日報』を調べてみたところ、昭和2年6月5日付同紙には「四重苦の放浪歌人」とも言われた下山清の「『牧草』讀後感」が載っていて、その中に、
 森さんが病氣のため歸省したこと脚氣衝心を起こしてあやふく死に瀕し、盛岡病院に入院したことは私もよく知つてゐる。
という記述があった。確かに『広辞苑』によれば、「脚氣衝心」とは「呼吸促迫を来し、多くは苦悶して死に至る」重病だというではないか。また他にも、石川鶺鴒等の同様な記述が『岩手日報』にいくつか見つかった。
 これで、今まで謎だった「頑なに「一九二七年」としなかった」その「理由」が私には完全に納得できた。「一九二七年」当時の森は重篤であることがこうして新聞で広く伝えられていたので、森が「一九二七年」の秋に「下根子桜」を訪問したと書いたならば、世間からそれは嘘だろうと直ぐ見破られるであろうことを森はわきまえていたからだ、と。そして同時に、先に湧いた疑問、森が「一九二七年」と嘯けなかった理由もこれだったのだと私は納得した。とうとうこれで「詰み」だろう。
 最後に、「仮説検証型研究」に翻訳して万全を期す。まずはここまでの考察によって、
〈仮説〉森荘已池が一九二七年の秋に「下根子桜」を訪問したということも、その時に露とすれ違ったということも、いずれも事実だったとは言えない。
が定立できる。そして、これを裏付ける証言や資料は幾つもあったが、その反例は現時点では何一つ見つかっていないのでこの仮説の検証ができたことになる。よって、この〈仮説〉は今後その反例が突きつけられない限りという限定付きの「真実」だ。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『露草協会』入会申込み (『露草協会』会長 高橋征穂様)
2018-10-23 08:37:23
会長 高橋征穂 様
 この度、貴会へ入会いたしたく、ここに申込みをしますのでよろしくお願いいたします。
  田村 秀夫  盛岡市
返信する
ご入会ありがとうございます (田村 秀夫 様)
2018-10-23 08:43:06
田村 秀夫 様
 この度は高瀬露の濡れ衣を晴らすための会、『露草協会』にご入会たまわりありがとうございます。
 それでは、
  登録番号147  田村 秀夫 様
として、登録させて頂きます。

 平成30年10月23日     『露草協会』会長 高橋征穂
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