古都ぶらりさんぽ

京都・奈良など全国を散策し鑑賞した文化、建築など紹介し、咲く花の美しさや魅力を画像に収めたり想いを綴っています。

清閑寺④悲恋・小督の供養塔

2008-11-08 08:48:02 | Weblog
山門の右には、平安時代に生きた悲恋のヒロイン、小督の宝筐印塔がもの悲しく建っています。
小督局は高倉天皇のちょう愛を受けました。しかし妻の建礼門院が清盛の娘であったので、小督は嵯峨に身を隠したのは有名です。
しかし帝の気持ちは変わらず、1181年に亡くなり、この寺に埋葬されました。
帝の御陵と小督の墓は並んでいる。

清閑寺③密議の場・石碑

2008-11-07 18:02:44 | Weblog
本堂の左には、ここで西郷隆盛と清水寺成就院の住職、月照上人が1858年に水戸藩の都落ちを計画し、その謀議を行いましたが、その記念の石碑があります。
幕末の生々しさが伝わって来ました。

清閑寺②本堂

2008-11-06 18:37:20 | Weblog
清閑寺の本堂には、十一面千手観世音菩薩が祀られています。
菅原道真の作と伝えられ、学問の観音さまと人気があります。
この観音様が女性に化身して修行の僧を戒めた歌の故事から、別名「歌中山」と呼ばれています。

清閑寺①山門

2008-11-05 18:16:09 | Weblog
清閑寺は、歌の中山清閑寺と言われ、真言宗智山派のお寺です。
802年に紹継法師の創建で古典「平家物語」に書かれている古刹です。
小督局が平清盛により尼にさせられた所と言われています。
小督は高倉天皇のちょう愛を受けましたが、高倉天皇の宮、建礼門院が清盛の娘であったので、嵯峨に身を隠したのは有名。
これを元に作られたのが謡曲「小督」です。
しかし帝の気持ちは変わらず、1181年に亡くなり、この寺に埋葬されました。
帝の御陵と小督の墓は並んでいます。
山号の「歌の中山」は清水寺から清閑寺に至る山路を言います。
写真の参道から山門に入るまで天に昇る感じ。
中に入ると苔が美しい。
青々とした空、緑の木々や山々がナントも言えない風景を創りだしています。
風を受けながら佇んでいると胸が痛むほど、厳かな気になります。

安楽寿院⑧大師堂

2008-11-04 18:06:57 | Weblog
安楽寿院の最後は大師堂です。
大師堂は1596年の建立で、弘法大師が祀られていて、400年余りの歴史を刻んでいます。
その左には三宝荒神社。火難消除の神として厚い信仰を集めています。

安楽寿院⑦石造五重塔

2008-11-03 08:56:07 | Weblog
寿院の西側に離れて重文・石造五重塔があります。
如法経塚と呼ばれ1287年の年号が刻まれ、平安時代の歴史を今に伝えている。
高さ約3mの堂々としたものです。

安楽寿院⑥三如来石仏

2008-11-02 09:18:16 | Weblog
大師堂の奥に三如来石仏があります。
平安時代の作で釈迦如来三尊、阿弥陀如来三尊(京都国立博物館に寄託)、薬師三尊。
身近にこのような歴史を感じることが出来るのは素晴らしい事です。
凝灰岩で造られていますが、鑑賞していると胸が締まる思いがします。

安楽寿院⑤寿院南陵

2008-11-01 08:55:42 | Weblog
寿院南陵は、第1回で記しましたように、離宮の東殿として、1139年、五重塔が造られ、鳥羽上皇宸筆の法華経をその下に納めて、本御塔としました。
そして1156年、鳥羽上皇を葬りました。
その後、上皇の皇后、美福門院が新御堂を建てて、その下に、子の近衛天皇の骨を納めたのですが、境内の安楽寿院陵がそれです。
その後、多宝塔が1606年に豊臣秀頼により再建されました。