古都ぶらりさんぽ

京都・奈良など全国を散策し鑑賞した文化、建築など紹介し、咲く花の美しさや魅力を画像に収めたり想いを綴っています。

石塀小路

2008-11-18 17:52:03 | Weblog
石塀小路は下河原町通と通称「ねねの道」を結ぶ、約300mで観光客の散策スポットとして賑わっています。
両側に旅館・割烹や町家が並び、小路に敷き詰めた石畳をそぞろ歩くと、このうえない風情が味わえます。

高瀬川・三条木屋町あたり

2008-11-17 17:50:56 | Weblog
高瀬川はご存知のように、およそ370年ほど前に、京の豪商、角倉了以によって造られました。
鴨川の水を引いて木屋町通りから竹田を経て伏見までの約10キロに及びます。
森鴎外や水上勉などの文豪の小説に登場する、高瀬川。
特に、ここ木屋町あたりは、清流の中、落ち葉がさらさらと流れ、小鳥が水とたわむれる姿も見ることができ、たいそう風情があります。

誠心院④二十五菩薩

2008-11-16 08:49:36 | Weblog
写真の二十五菩薩は、阿弥陀如来を中心に勢至菩薩などが並んでいます。
西方極楽浄土・阿弥陀仏が念仏の行者を迎える時に、25菩薩を従えると言う十往生絵の教えによるもの。
豊臣秀吉により、宇治田原城主 山口塵芥が寄進しました。

誠心院②本堂

2008-11-14 17:42:32 | Weblog
誠心院の本堂は小御堂と言われ、本尊・阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部また時の関白で絶大な権勢を誇った藤原道長の像を安置しています。

誠心院①山門

2008-11-13 18:11:25 | Weblog
誠心院は、真言宗に属しています。
ここは、平安時代に才色兼備の女流歌人である和泉式部ゆかりのお寺として有名です。
寺伝によると,1025年に時の関白 藤原道長の娘 藤原彰子に仕えていた和泉式部のために法成寺の一庵を与えたのが始まりとか。
本堂の傍らには式部が生前愛したと言う梅の木「軒端の梅」が植えられています。

曲水の宴(城南宮にて)

2008-11-12 17:52:50 | Weblog
曲水の宴は、 城南宮・平安の庭で4月29日と11月3日に行われる行事です。
雅楽の音色が流れる中を、男は烏帽子に狩衣、女は小うちぎ姿の平安衣装に身を包んだ歌人が、水に浮かべた舟に収められた歌題が流れて来ると、見事に歌を披露するもの。
王朝文化を偲ばせる、いにしえの行事です。

貴船川(鞍馬寺から貴船神社へ)

2008-11-11 18:02:33 | Weblog
京都・三条から叡山電鉄に乗ること30分あたり、霊験あらたかな鞍馬山にさしかかります。
平安京の王城守護の道場であった歴史を持つ鞍馬寺、有名な火祭りの行われる由岐神社、さらに義経供養塔、本殿金堂、杉の大樹がそびえ立つ大杉権現、奥の院にある魔王殿を回りました。
ここはハイキングコースになっていて、山を下って貴船神社にたどり着きます。
勿論逆コースも可能です。
貴船川のせせらぎ、自然の宝庫とも言える地で、自然の素晴らしさを満喫しました。
特、5月から9月は川床が開催され、川の流れを見ながら、鮎や鯉料理に味わうことができます。
(写真は貴船川のせせらぎ)

清閑寺⑥要石

2008-11-10 17:38:59 | Weblog
庭前には大きな石が。
「願いあらば あゆみをはこべ清閑寺 庭に誓いの要石あり」と詠まれた要石で、ここから京都の町が扇を開いたように一望でき、石の位置が扇の要の位置になるところから、そう呼ばれたとか。
この石に願いをたてると叶うという信仰が生まれました。
その左には、聖武天皇の時代に土器を焼いた、清閑寺窯発祥の地との立て札。
江戸時代に寺の僧、宗伯が開いたとのこと。
ここは素晴らしい景色を望めるが、悲恋の場であっただけに、もの悲しい雰囲気が漂っていると感じたのは自分だけだろうか。


清閑寺⑤清輝「昔語り」下絵

2008-11-09 09:29:23 | Weblog
山門の左には1892年に、画家、黒田清輝が小督悲恋の物語を聞き、歌の中山道を背景に描いた下絵が掲示されています。
絵画界の巨匠も、悲恋の物語に感動したのでしょう。
原画は数年後に焼失してしまったので、この作品は貴重なものと言えます。