京都・一休寺を訪ねて③方丈 2009-06-30 17:16:14 | Weblog 方丈は、加賀城主 前田利常公が大阪の陣の時、木津川に陣をしき一休寺に参詣した折、寺の荒廃を嘆き、再建したものです。 内部襖絵は江戸初期の画家 狩野探幽の筆によります。 また、方丈も重要文化財に指定されています。
京都・一休寺を訪ねて②本堂 2009-06-29 17:56:42 | Weblog 本堂は重要文化財に指定されています。 永亨年間(1429~40年)、足利六代将軍 義教の帰依により建立されたもので、入母屋造り桧皮葺で、内部には釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩を祀り、山城・大和の唐様仏殿としては一番古い遺構の建造物です。
京都・一休寺を訪ねて①総門 2009-06-27 08:11:53 | Weblog とんちでお馴染みの一休禅師で有名な、一休寺(正しくは酬恩庵一休寺・京都府京田辺市薪里ノ町)は、JR大阪から環状線・京橋から学研都市線で京田辺駅で下車、バス停「一休寺道下車」、西に500mに在ります。 鎌倉時代に臨済宗の高僧 大應国師が中国の虚堂(きどう)和尚に禅を学び、帰国して禅の道場、妙勝寺をここに建てたのが始まりです。 その後、戦火にかかりましたが、室町期になって、一休禅師が堂宇を再興しました。 禅師はここで後半の生涯を送り、大徳寺住職として、ここから通われました。 写真の総門を入ると、重要文化財の本堂・方丈もさることながら、素晴らしい庭園が広がります。
滋賀・幻住庵 2009-06-16 17:54:10 | Weblog 大津を愛した俳諧の巨匠、松尾芭蕉は、1680年に幻住庵に住み「奥の細道」「幻住庵記」を著したといわれています。 その「先ず たのむ椎の木もあり 夏木立」と詠んだ句は有名です。 この庵は昭和の始めに再築されました。
滋賀・芭蕉像 2009-06-15 17:55:42 | Weblog JR石山駅前に、俳諧の巨匠・芭蕉像が建てられています。 芭蕉は多くの地を訪れていますが、ここ滋賀には永眠した義仲寺など、縁が深いものがあります。 その芭蕉を偲んでのものと推測します。
滋賀・瀬田の唐橋 2009-06-14 08:46:16 | Weblog 近江八景の一つとして有名な瀬田(せた)の唐橋は、京阪電鉄唐橋前駅の東約100mにあります。 この橋は多くの文学作品に登場し、古くから有名な長橋です。 歴史的にも日本書紀に登場しているとか。 昔から、京都への交通・軍事の要衝であり、何度も戦乱の舞台となってきました。現在のように大橋・小橋の形になったのは、織田信長(1534-82)が架け替えてからといわれています。 現在の橋は昭和54年(1979)に架け替えられたものです。
滋賀・石山寺⑩瀬田川を望む 2009-06-13 07:52:22 | Weblog 石山寺の境内東測から瀬田港と流れる瀬田川を望むことが出来ます。 川の流れ、ボートなどを見ていると気分が落ち着いてきました。
滋賀・石山寺⑨鐘楼 2009-06-11 17:53:20 | Weblog 石山寺の鐘楼は、源頼朝の寄進と考えられていましたが、様式から鎌倉後期もものと判明しました。 前回の宝筐印塔の関係から、頼朝説が出たのではないでしょうか。 いずれにしても、その価値から重要文化財に指定されています。
滋賀・石山寺⑧方筐印塔 2009-06-10 17:44:58 | Weblog 石山寺の方筐印塔は、源頼朝と亀ヶ谷禅尼の供養塔と言われています。 高さ1m28cmで南北朝時代のものと推定されています。
滋賀・石山寺⑦多宝塔 2009-06-09 20:22:39 | Weblog 多宝塔は、下が方形、上が円形に表面に宝形造りの屋根を乗せた塔です。 この党派1194年の鎌倉時代に建立されたもので、均整のある優れた建築物として、国宝に指定されています。 内部の柱や天井の仏像や草花が極彩色で描かれています。