古都ぶらりさんぽ

京都・奈良など全国を散策し鑑賞した文化、建築など紹介し、咲く花の美しさや魅力を画像に収めたり想いを綴っています。

詩仙堂②嘯月楼(しょうげつろう)

2008-02-29 17:58:50 | Weblog
玄関の老梅関をくぐると、目の前に嘯月楼があります。
この写真では二階建てですが、表から見ると三階建てに見えます。
そして詩仙の間に入ります。
国・詩家36人の肖像を狩野探幽が描き、丈山自らがその詩人の詩を書いた額が、四方の壁に掲げられています。有名な李白・杜甫・白居易などの名があり、さすが名画がずらりと並び、素晴らしいの一言につきます。
これが詩仙堂と言われる由縁です。

詩仙堂①中門

2008-02-28 18:05:28 | Weblog
詩仙堂は正しくは凹凸架(おうとつか)です。詩仙堂はその一室のこと。
1641年、江戸時代の文人、石川丈山が隠棲のために建立した山荘です。
丈山は徳川家康に仕えていましたが、その禄を辞し、詩作に励み、また林羅山らの文化人らと交わり、茶道においても奥義を極めた人。
入口の小有洞から石段を上り、竹垣の間を歩くと聞こえるのは、さらさらと風に揺れる葉の音のみで静寂そのもの。
爽やかな雰囲気に包まれ、さすが丈山の隠棲の地にふさわしい。
建物は、詩仙堂、嘯月楼など10の区画からなります。
春のサツキ、秋の紅葉の美しさは有名です。

源氏物語と平安王朝の世界①宮中料理

2008-02-24 09:46:55 | Weblog
今年はちょうど、源氏物語が書かれて1000年と言われ、ここを含め「源氏物語千年の行事」が組まれたり、ゆかりの寺社をめぐるツアー「うるわしコース」があり参加しました。
前回まで紹介した廬山寺、下鴨神社、城南宮を鑑賞する内容です。
その昼食は、今日料理、六盛の特製「宮中料理」(写真)です。
雅な料理に平安貴族の味を楽しみました。

廬山寺④紫式部の歌碑

2008-02-23 15:25:22 | Weblog
本堂の手前には、「源氏物語」の作者、紫式部の歌碑「めぐりあいてみしや それともわかぬまに くもがくれにし 夜半の月影」が有ります。
紫式部は,ここで育ち「源氏物語」や「紫式部日記」を執筆したとのこと。
前回、ご紹介しましたように庭園には「紫式部邸宅址」の顕彰碑が立っています。今年はちょうど、源氏物語が書かれて1000年と言われ、ここを含め「源氏物語千年の行事」が組まれたり、ゆかりの寺社をめぐるツアーが大人気です。
世界に名高い文学が,この地で書かれたと思うと身震いしてきますね。

廬山寺③源氏の庭

2008-02-22 17:47:16 | Weblog
この寺の地は紫式部の曽祖父の中納言 藤原兼輔から伯父の為頼、父の為時へと伝えられた広い邸宅であったとか。
それゆえか庭園は趣きのあるものとなっています。
源氏庭と呼ばれ、白砂と苔の庭で、紫の鮮やかな桔梗が花を咲かせます。


廬山寺②太子堂

2008-02-21 18:05:06 | Weblog
山門をくぐると正面に太子堂があり、重文・如意輪菩薩が祀られています。
堂の中に入ると多くの展示があり境内から出土した瓦,湯桶などの歴代皇后が使用した生活用品、国宝・源氏物語絵巻(原色原寸巻・複製)や室町から江戸時代の貝合わせなどが並べられ、まさに文化財の宝庫のようです。
御内佛殿には,本尊・阿弥陀三尊を安置してあり、この三尊は平安時代に定朝作で均整の取れた装飾性豊かな像で、平安時代から鎌倉時代の作と考えられます。

廬山寺(ろざんじ)①山門

2008-02-20 16:33:55 | Weblog
廬山寺は古くは天台宗でしたが、今は円浄宗に属しています。
938年、慈恵大師良原(元三大師)の創建で、初めは興願金剛院と称していました。
さらに1245年、法然上人に帰依して、船岡山に再建され、その後、応仁の乱で消失しましたが、16世紀に現在地に移っています。
寺宝として、慈恵大師自筆の遺告状、重文・如意輪観音、法然上人選択集などを有し、また、鬼の法楽と呼ばれる節分会の悪疫退散の行事には多くの人で賑わいます。

南禅寺⑤南禅院

2008-02-19 17:21:30 | Weblog
さらに、少し離れた南禅院を訪れました。
南禅寺発祥の地で、庭園は離宮当時の面影を残した地泉回遊式庭園で素晴らしいの一言です。
流れる水の音も爽やかに、池に流れこんでいます。
周りに足を進めると虫や鳥の声のみで静寂に包まれます。
この庭は、夢窓国師の作と言われ、天竜寺・苔寺とともに三名勝史蹟の一つになっていて心静かに鑑賞することができます。
また現存の建物は1703年、桂昌院の寄進により再建されたものです。
この他十二ある台頭寺院も名園が多く、見どころが多いです。