地蔵院は、臨済宗に属し、衣笠山地蔵院と言います。元は藤原家良の別荘に、室町期(1367年)、細川頼之が宗鏡禅師が帰依して伽藍を建立したとか。開山は有名な夢窓国師。まもなく、台頭寺院が3院、末寺が23寺を数える一大禅刹となりましたが、惜しくも応仁の乱のより焼失しました。その後、1686年に古霊和尚により寺院が整えられました。現在の本堂は昭和の初めに再建。この院は、一休禅師が幼少の頃、修養した所でもあります。
ここは庭園も赴きがあります。
楓や竹が石や苔と調和して趣き深い。
また、ここには珍しい竹が多く植えられています。金色に輝く金明竹、形状所が三角形や四角形、黒色の黒竹、布袋竹などおよそ10種類。
さらに高台からの眺めは良く京都市内を一望でき、醍醐味があります。
楓や竹が石や苔と調和して趣き深い。
また、ここには珍しい竹が多く植えられています。金色に輝く金明竹、形状所が三角形や四角形、黒色の黒竹、布袋竹などおよそ10種類。
さらに高台からの眺めは良く京都市内を一望でき、醍醐味があります。
そして、山門を出たところに「幸福地蔵」がおられます。
右手に錫状、左手に宝珠を持っていて、日本の地蔵で唯一。わらじを履いた石地蔵。
何処にいても、京都の方に向き、お守りを両手ではさみ、一つだけ願い事を願うと、この地蔵が訪れてきて願いを聞き入れ、叶えてくれる。
特に若い女性に人気があり、毎日、行列が出来るほど賑わっています。
右手に錫状、左手に宝珠を持っていて、日本の地蔵で唯一。わらじを履いた石地蔵。
何処にいても、京都の方に向き、お守りを両手ではさみ、一つだけ願い事を願うと、この地蔵が訪れてきて願いを聞き入れ、叶えてくれる。
特に若い女性に人気があり、毎日、行列が出来るほど賑わっています。
続いて書院に入る。
中には約4000匹の鈴虫が飼育され、一年中鳴き声が絶えない。
60年前に先代住職が座禅を組んでいた時に、鈴虫の妙音により開眼したのがきっかけとか。
ここで参拝した人は、お茶とお菓子の接待を受け、住職の法話が聞ける。
「鈴虫説法」と呼ばれユーモアのある話はなかなかの人気。
中には約4000匹の鈴虫が飼育され、一年中鳴き声が絶えない。
60年前に先代住職が座禅を組んでいた時に、鈴虫の妙音により開眼したのがきっかけとか。
ここで参拝した人は、お茶とお菓子の接待を受け、住職の法話が聞ける。
「鈴虫説法」と呼ばれユーモアのある話はなかなかの人気。
華厳寺(鈴虫寺として有名)は臨済宗に属しているお寺です。
1723年、華厳宗の再興を図った鳳潭上人が開創しました。
本尊は大日如来。
華厳寺橋を渡ると、程なく「鈴虫の寺」と書かれた石碑から石段を上り、山門をくぐる。たいそう趣きのある石段です。
詳しくは上の寺名をリンクしてください。
1723年、華厳宗の再興を図った鳳潭上人が開創しました。
本尊は大日如来。
華厳寺橋を渡ると、程なく「鈴虫の寺」と書かれた石碑から石段を上り、山門をくぐる。たいそう趣きのある石段です。
詳しくは上の寺名をリンクしてください。
最後に通玄関から、開山堂を見る。
高欄の「くずし卍」はなかなかのデザインです。
ここ万福寺では、中国禅宗の概要が理解でき、明朝様式を取り入れた伽藍配置なので、実際に目で見ることができて良かった。
また、中国風精進料理(普茶料理、3名以上で予約とのこと)も味わいたい。
高欄の「くずし卍」はなかなかのデザインです。
ここ万福寺では、中国禅宗の概要が理解でき、明朝様式を取り入れた伽藍配置なので、実際に目で見ることができて良かった。
また、中国風精進料理(普茶料理、3名以上で予約とのこと)も味わいたい。
奥の法堂に入ると、ここは住職が須弥壇に上って衆僧に説法するところ。
ここも堂の名が書かれた額は、隠元禅師の筆によります。
その東西には、それぞれ方丈があり、歴代徳川将軍をお祀りしています。
さらに祖師堂には堂の中に達磨大師像が安置されています。静に禅を組む姿を見事に表現しています。
右端には歴代(1~60代)の禅師の名が記されていて、歴史を物語っています。
ここも堂の名が書かれた額は、隠元禅師の筆によります。
その東西には、それぞれ方丈があり、歴代徳川将軍をお祀りしています。
さらに祖師堂には堂の中に達磨大師像が安置されています。静に禅を組む姿を見事に表現しています。
右端には歴代(1~60代)の禅師の名が記されていて、歴史を物語っています。