多分特攻隊シリーズは12~13書いて居るが、未だボケ老人では無いが久し振りなので?書きます。
真実を語りたいと思うが、しかしD痛の影響も在ると思うがSNSでは金権政党に不利な記事は消滅するです。
俺は国営放送は好きでは無いが、ドキュメンタリーは良く見る。然しだ昔放映された俺好みの重要な記事はオンデマンドでは視られず同様に消滅するのだ。先日書いた広島原爆の記事はDVDで販売されて居るが、真実は理解済みなので買いません。傍聴無線はテニアン島からでした。
話を戻します、正確な記事を書こうと思ったが上記似て資料はもう在りません。是は死を己で避けた偉い方の話で無く、多分特攻隊と同時に虐殺された隊長の事です。
本当は、尤前に書くべきだったがブログを遠ざかった時期似て、今頃反省して居ます。
茨城県がB29の空襲に合い、特攻練習基地が群馬県の高崎に移りました。群馬県にも空襲が在り、そう長い期間とは記憶に無いが、抑々特攻隊の時期が一年以内です。色々な書物によると虐殺者は二千人~六千人不思議な人数ですね。
本題に入るが、俺は涙しました。特攻隊が出撃に依り高崎から九州に飛んだのです、最短の飛行ルートは詳しく知らぬが多分遠まわりでしょう、隊長は最期の旅路に富士山上空を飛んだのです。スメラギ依り完全に格上です、肉親との別れ、友人との別れ実に悲しいが事実だし命を大事にする気持ち本心で偉い隊長と思いました。
屑の集まりお偉い軍人官僚政治家そして現在同様な金権政党、でもしかしだが真面な人間は居たのです、現世でもその意識を持って願います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます