読売新聞が連載を組んでいた「ケアラーの風景」。
大人の引き籠りに大して「肯定しましょう」という姿勢だった。
「引きこもりを否定するな」というのだ。
十数年以上も引き籠ってきたひとに対して、引き籠りを否定することは、彼の存在を,彼女の人生を否定することになるのだから、否定するなと。
そして、引き籠って過ごした彼らに普通を押し付けずに、彼らの人生を肯定しましょうと。
アタマおかしいだろ。
不登校児に「学校に無理に行かなくて良いよ」と認めてあげましょう。「学校に行かない人生を認めてあげましょう」と言い出してから数十年が経った。その結果、中学校時代から引き籠り続けて50代になってしまった。そして、いま「引きこもった人生を肯定してあげましょう」と。
お前らが無責任に「否定せずに肯定してあげましょう」と言った結果なんだよ。
どこかの貴族様か華族様なら、引き籠っても不労所得で生きていけるだろう。
血縁,地縁,人脈で人権団体やNPOに押し込めれば、税金が振り込まれる通帳持ちで生きていけるだろう。
そんな恵まれた家庭ばかりじゃあないんだよ。
「無理に学校に行かせない」
「無理に就職させない」
「彼らの人生を肯定しましょう」
それでどうなった?これからどうなるんだ?
無責任なことばっかり言ってるんじゃないよ!
「学校に行かないと碌な人生にならないぞ」
「学歴は大事だ」
「大学に行かないなら就職して稼げ、いつまでもお前を食わせておく余裕なんかないぞ」
「働かずに引き籠ってるなんて人生の落伍者じゃないか」
そういう叱咤激励が重要なんだよ。
「認めましょう」「肯定しましょう」じゃ、目覚める機会を奪うことになるんだぞ!
更生する機会を奪うんじゃない!
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