完全フィクション

実在する人物・団体とは一切かかわりがありません。

「天から悲しみが降ってくる」「今死んでも構わない」壮絶な更年期を“幸年期”に変えるには?

2019-12-08 15:34:01 | 日記
【更年期は老害期】
更年期は、「心身の枯れはじめ」という認識をしっかり持った方が良い。
「誰にでも訪れる」などという楽観的な見方よりも、しっかり備えるべきことという意識が必要だ。
「クスリがある」
「ホルモンが減るのが原因だからホルモンを補充したら良い」
「長寿社会,生涯現役社会なのだから、更年期に対して社会は寛容に対応するべきだ」
そういった甘い認識は、何も解決しない。
パートナーに理解を求めることと、同僚や社会に対して甘えることを混同させては、「更年期=厄介者」と思われるだけだろう。

更年期は、解決するものではなく、soft-landingを目指すものという認識が必要だ。

「母親やめたくなる人も増えちゃうかも」…厚労省が示した体罰の指針案に親たちは「線引き難し…

2019-12-06 13:04:04 | 日記
【子育てに線引きとか指導っておかしくない?】
そりゃ、子育てにも模範解答だとか、禁忌だとかの指針はあると思うよ。
でも、体罰に関して「これは体罰にあたります」って事例をあげるのは方向が違うと思うんだよね。
そんなことしてたら、「罵声も体罰」「怒鳴りつけるのも体罰」とか言い出すことになっちゃう。

「そんな悪い子はお母さんの子供じゃありません」
「そんな悪い子は捨ててくるよ!」
このままだと、「こういった恐怖心を与える行為も広義の体罰です」とか言い出しかねないし、親は何も言えなくなっちゃう。
いや、親が困るだけならともかく、「こんなの誰も本気にしてない」「こんなの形骸化した大義名分で、みんな無視してる」ってなったら、体罰も平気でするようになるかもしれない。

子育てに「1対1の回答」~「体罰はOK?→Yes or No」「罵声は体罰に含まれる?→Yes or No」~で対応するから無理がある。

「子供の過ちを糾すこと」っていうのが目的で、その目的を達成するルートを複数示すなり、ルートを考えてもらうようにしなくちゃダメだよね。
体罰は、場合によってはその目的を糾すかもしれないけれど、多くは「怒られた」「叩かれた」「体罰を受けた」っていう恐怖と屈辱だけが子供の心に刻まれて、過ちを糾すという目的を達することができない。
よく体罰を批判する若者が、「自分もよくわからないことで体罰を受けた」「そんなに大したことではないのに叩かれた」「覚えてないってことは大したことじゃなかったんだと思うけど、殴られた」みたいなことをツイッターで呟く。それって、「起こった出来事」「やってしまった過ち」を、体罰の記憶が
上書きしちゃってるんだ。叩かれた恐怖は当然だけど、子供にも自尊心はあるから、体罰をうけた屈辱っていうのが、その出来事を覆い隠すことだってある。
だから、体罰っていうのは効果に限界があるし、乱用するべきじゃない。

そして、体罰っていうのは振るう側(加害者)を正義と思い込ませるから、他人の眼が無いと暴走しやすい。「自分たちが正義だ」って思い込んだポリコレや左派左翼が暴走しやすいようにね。
体罰をするなら、他人の眼があるところでやるべきで、他人の眼があると出来ないなら、やってはいけない体罰なんだよ。