長年「高桑氏族」関連資料に当たってきて、かなりのページの覚書になったが、浅学菲才の身、誤謬を恐れ、諸賢の批判を仰ぐ為、今後このブログ更新を重ねながら、敢えて公開を続けていきたいと思っている。
高桑氏族は、歴史家が確実な資料として利用している諸書に、鎌倉時代初期から登場するが、時代を逆にして、先ず室町・戦国期に於ける高桑氏の動きから記してみたい。
「高桑城」周辺の地図
墨俣城:岐阜県大垣市
川手城(革手城):岐阜市川手(美濃国守護・土岐氏の本城)
高桑城:岐阜市柳津町字高桑(川手城の支城、城主・高桑氏)
(高桑氏:土岐氏 の重臣 )
高桑氏族発祥の地とされる岐阜県柳津町字高桑の「高桑城」は、上記地図の通り、木曽川・長良川の大河、更に境川・荒田川と二重に囲まれた要害の地に在った。高桑城は、境川の河畔に位置していた。境川は、旧木曽川本流の河道であった。