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「高桑氏族」 覚書(3)

2012-03-14 09:53:00 | 歴史

写真は、「高桑城趾」説明板

Sirosetumei 

高桑城跡・境川(覚書1の地図参照)堤防上に掲げられている。

説明文

高桑城趾 鎌倉時代初め(一一九〇年代)から一五六七年(永禄一〇年)まで、ここに高桑城がありました。 この城は土塁で築かれ、周囲は約四〇〇メートル、その北西には御館様と呼ばれる城主家高桑氏の住居がありました。 城は、一五二七年(大永七年)八月留守居役の武山氏に渡り、一五六七年(永禄一〇年)織田信長の手によって落城しました。 今は、堤外に土盛りが一部残っており、城石は慈恩寺の観音堂の石垣に使われています。 柳津町  柳津町文化財保護審議会

今も御館様(おやかたさま)の地名が残っている。

慈恩寺:後に由緒と写真

観音堂:後に写真

石垣:後に写真