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「高桑氏族」 覚書(5)

2012-03-16 10:02:53 | 歴史

写真は「無念の地」の板碑

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板碑の碑文

無念の地 信長公天下平定せんとする頃、即ち永禄年間、美濃の残党狩りの際、高桑城支配・高桑党類等、不意討ちを受け、防戦するも、衆寡敵せず、此の地に討出て自害すと、故に御無念の地と称す。」

これは永禄10年(1567年)の事で、織田信長の命を受けた嫡男・信忠率いる織田軍が高桑城を急襲して落城させた。

因みに明智光秀は、「本能寺の変」で、信長を襲った後、信忠を攻めた。信忠軍は明智軍と奮戦したが、敗れて自刃して果てている。