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「高桑氏族」 覚書(2)

2012-03-11 11:29:30 | 歴史

覚書(1)の地図 参照

長良川を挟んで、高桑城と向き合って、墨俣城が在る。墨俣城というと「墨俣一夜城」物語が人口に膾炙している。写真は墨俣一夜城跡

Sunomataatob198

永禄3年(1560)~9年にも及ぶ尾張の織田信長と美濃の斉藤道三との攻防戦(後記)の時、秀吉(当時、木下藤吉郎)は、美濃攻略には、墨俣に攻略基地を設けるのが必須であると進言し、信長が秀吉に任せたところ、何んと僅か3日にして城を築いたという。若しこれが真実であったなら、高桑城とは目と鼻の先であるから、一夜にして忽然と長良川の対岸に姿を現した城に、高桑城中の者は、呆気にとられると同時に、さぞ脅威を感じたであろう。現に後に高桑城は、織田軍に攻撃され、落城の悲運の中で、多くの悲劇が生まれた。(この戦いの経過とその悲劇に付いては、後に詳記)