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「高桑氏族」 覚書(27)

2012-05-09 09:33:32 | 歴史

「承久の乱」 (13)

「高桑大将軍」の戦死(2)

「承久記」の略記(「高桑氏族」覚書26からの続き)

馬上の高桑大将軍を中心に、高桑武士団の一族郎党が、木曽川・大井戸渡の右岸に陣を構え、幕府軍の渡河を待受けていたが、未だその気配はなかった。しかし左岸の敵陣から、達者な水練を見込まれて、瀬踏み(渡河点偵察)を命じられた一人の剛(ごう)の者が、潜水を繰返しながら、密かに高桑陣の岸に近づいて来ていた。味方では不幸にも誰一人気付いた者はいなかった。

この勇士は19歳で、名は「荒三郎」と聞こえた。彼が対岸の端で、そっと少しだけ、水面から顔を出してみて驚いた。「高桑」の姓名を大書した幟旗の傍らに、馬上の武士がいた。“あっ、あれは「高桑殿」ではないか。恰好の敵を見付けた。何んとしても、この敵将を射抜いてくれよう。これに失敗ったら(しくじったら)、己(おのれ)が、此所(ここ)で死ぬまでだ。”荒三郎の闘志は、凄まじかった。

写真は、「大河・木曽川」

Kisokawa_2

昭和31年、写真の「濃尾大橋」が架けられるまでは、渡船であった。高桑の地から、南東7km地点の渡。荒三郎は、この様な大河を弓矢を背に、潜水して対岸に到ったのであるから、驚異的であった。


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