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「高桑氏族」 覚書(121)

2013-09-27 10:53:19 | 歴史

加賀騒動(3)

史実・加賀騒動(1)

加賀騒動本は、フィクションであるから、歴史家が、当時の多くの資料によって、厳格に検証した「史実」との乖離(かいり)が、甚だしいのは当然である。

大槻伝蔵による、藩主弑逆(しいぎゃく、主君殺害)を初めとする悪逆無道の諸事実は全くなく、近代史家の、大槻に対する評価は、「転換期に於ける、藩財政改革の大立者」・「藩内有数の能吏」・「藩政立て直しの功労者」である。つまり悪玉から善玉への、180度転換評価換えである。

大槻の家来筆頭である高桑政右衛門にとっても、「悪逆の主人」から「藩政功労者の主人」に替わり、名誉回復されたのであるから、こんなに喜ばしい事はない。

片や、大槻の悪行を暴(あば)き、正義の味方とされた前田土佐に対しての、近代史家の評価は、芳(かんば)しくない。藩主・前田吉徳と大槻による改革は、前田土佐を中心とする保守派にとっては、甚だ面白くなく、藩主・吉徳の死去と同時に、反撃を開始、大槻一派を掃討した。

そして大槻伝蔵の罪を数々捏造し、越中五箇山の流刑小屋に送って、自害させた。中には、こんな言い掛かりをつけた。流石(さすが)に、「加賀騒動本」の様に、主君吉徳を毒殺したとは、言わなかったが、御側用人なのに、主君の看護が行届かず、病死させた。これは大罪であると。御側用人は、藩政の補助役であり、現在の看護師の様な責務はないのに。

こうして、前田土佐に付いては、史家によって、善玉から悪玉色に変色させられた様子である。しかし前田土佐、個人に付いては、甚だ教養豊かで、優れた文化人として、高く評価されている。

金沢市に、立派な「前田土佐守家資料館」があり、貴重な遺品と共に、恐らく前田土佐の文化人としての面目を示す作品類も多く展示されているものと思われる。

前田土佐守家は、加賀100万石の家老職であるだけに、1万1千石であり、徳川幕府では、1万石で大名となるから、同家は正に大名並である。だから上記資料館は、9000点もの、貴重な資料を所蔵しているのであろう。

写真は、「前田土佐守家資料館」
金沢市片町2-10-17

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