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「高桑氏族」 覚書(105)

2013-09-05 09:50:42 | 歴史

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東京都武蔵野市在住の高桑信雄と申します。「高桑氏族」を毎回興味深く読ませて頂いております。遂にほぼ間違いない我が先祖が登場しましたので関係する情報をお知らせします。

覚書(101)の「加賀藩・前田家の家臣で、後に信州・上田に転じた一人の高桑氏族が居た。初代を高桑六左衛門尉常義(ろくざえもんのじょうつねよし)と云い」が小生の先祖と思われます。

小生の祖父は信州上田の出で、菩提寺である上田市・本陽寺にある本家の墓誌に次の通り記されております。まず内容からして同じ人物と考えられます。

初代 體了院宗玄日?居士常義正徳五年十一月二十二日 ?桑六左衛門 加賀藩真家臣

小生は分家筋ですが、ご本家は前出の本陽寺すぐ横にお住まいで、かつては米穀店を営んでおられました。ご当主は高桑延雄(たかくわ・のぶお)さんでご高齢ですがお元気です。

また他の分家筋には作家の池波正太郎氏が愛したことで有名な「刀屋(かたなや)」という蕎麦屋があり上田の名所になっています。(安くて多くて美味しい)

ところで、上田の高桑は屋号を「刀屋」と称しているようでご本家の米穀店もかつて「刀屋」だったようです。

これと関係しているかどうかは解りませんが、小生の5代前、分家初代の高桑起之助南美常敬(おきのすけ・なんみ・つねたか/寛政9年・1797年~天保8年・1837年)という人物に少々興味深い伝えがあります。

本家の長男でありながら家督を次男に譲り、本人は刀の鍔(つば)の彫金を生業としました。その後、江戸浅草に出てちょっとしたブームを作ったようです。小生は、この話を数年前にご本家の延雄さんから初めて聞き、インターネットで「高桑南美」を検索したところ、ヤフーオークションにしばしば南美作の鍔が出品されているようで大変に驚きました。

「南美」というのがいわゆる号のようです。これが若しかすると何等か「刀屋」の所以かもしれません。戒名は「妙彫院真間齋南美日真居士」で、素人感覚にもイメージが湧くものです。高桑起之助は上田に戻ったようで、その後の当家は小生の祖父が東京に出るまで上田にありました。

もう一つのエピソードはこの祖父・高桑勝雄(たかくわ・かつお/明治16年・1883年~昭和30年・1955年)です。勝雄は日本アマチュア写真界の父と言われ、それまでプロの仕事であった写真を広く一般に広げた功労者とされています。

最初は六桜社(小西六を経て現コニカミノルタ)でアマチュア向け冊子の編集に携わり、その後北原鐵雄(きたはら・てつお/白秋の弟)が創設した「アルス」という出版社から日本初のアマチュア向け写真雑誌「カメラ」を創刊(1921年)、勝雄が永く編集長を務めました。詳しくはインターネット上にいろいろ情報が出ております。

そして勝雄の孫が小生でありますが、いろいろ際立ったところのある家系にありながら平々凡々のサラリーマンをやっております。

鎌倉時代まで遡った高桑の歴史は大変興味深く、今後もお体に気を付けられ、是非「高桑氏族」が完結されるよう期待しております

  覚書(106)へ続く