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「高桑氏族」 覚書(111)

2013-09-13 17:10:49 | 歴史

高桑の社(やしろ)(1)

高桑水天神社(1)

高桑水天神社の由緒

初め、「水天宮」・「水神様」と呼ばれたが、明治6年に、現社名となった。この社(やしろ)で、注目すべきは、創建が古く、且つ年代が確認出来る事である。

「応仁の乱」勃発の翌年、即ち応仁2年(1468年)創建であるから、500年余に渡って、高桑の地の、波瀾に満ちた歩みを見守り続けて来たのだ。

そして祭神が水神、延いては「治水の神」として、この洪水地帯にあって、高桑村民の切なる願いが、この宮に込められていたであろう。

どの民族でも、そうであるが、我が国では、特に農耕民族として、水は最重要の一つであるのは、言を俟(ま)たない。それで水神は、田の神と結び付いている。

一方、水源地の水神は、「水分神(みくまりのかみ)」と称され、山の神と結び付いている。他に「分水嶺の水神」・「井戸の水神」等もある。

ここで注意すべきは、高桑で旧名「水天宮」を深く尊崇して来たのは、洪水地帯・輪中地帯にあって、治水・防水の神としてであったろう。片や全国他地区では、潤沢な農耕水・飲用水への切なる願いであったろう。

水神としては、古来何ん柱もの神の名が、挙げられるが、高桑水天神社の祭神は、「彌都波能賣神(みつはのめのかみ)」とされている。

「彌都(みつ)」は、「水」の古語である処から、「彌都波(みつは)」は、「水際(みずぎわ)」であるという説が唱えられている。

「賣(め)」は、「姫(ひめ)」の古語であるから、「みつはのめのかみ」は、「水際の女神(みずぎわのめがみ)」となる。

研究者によると、上述の通り、多くの水神の名が、挙げられる中、「古事記」では、この「彌都波能賣神」を、水神の代表としているそうである。

写真は、「久留米水天宮」
全国の水天宮の総本宮

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