Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

私の読書生活(2005年4月26日)

2005-04-26 11:34:43 | 読書
今年3月、私は日本橋丸善の仮店舗で溝口雄三著『中国の衝撃』(東京大学出版会、2004年5月21日発行、ISBN 4-13-013022-6)を購入し、それ以来、ゆっくりしたペースで繰り返し読み続けていた。繰り返して読まなければならないほどの難解な内容の書物ではないし、文章が難渋なわけでもないのだが、抽象的に理解できても、具体的にはなかなか腑に落ちる気持に達しないので、どうしても文脈を繰り返し繰り返し追っていくことになってしまうのであった。

そうこうしているうちに4月になった。4月に入ると急に中国から反日運動のニュースが飛び込んでくるようになった。中国における反日感情が突沸したかのように大きくふくれあがっていったのであった。初めに表面に出てきたのは長春での日本品不買運動だったが、それが成都での反日デモに飛び火し、それからは瞬く間に中国各地の都市へと広がっていった。

私は中国社会における具体的な問題点がなかなか掴めない溝口雄三著『中国の衝撃』の読解作業から離れて、毎日飛び込んでくるニュースを理解するため、さまざまな資料を漁るようになった。そこで偶然ぶつかって愕然とさせられたのは、中国共産党中央委員会が1994年8月に公布したという「愛国主義教育実施綱要」であった。反日デモの参加者たちが口々に叫んでいた「中華振興・愛国無罪」の「愛国」とはどんな具体的意味が込められているのだろうか?と調べていくうち、ぶつかったのがこの「愛国主義教育実施綱要」だった。

「愛国主義教育実施綱要」を一読して私は衝撃を受けた。両国の国民がそれぞれの歴史認識の違いを埋めさえすれば、現在両国間にみられる深刻な対立が解消されるという考えを木っ端微塵に打ち砕いてしまうような、共産党独自のドグマと世界戦略が支配しているどす黒い世界を感じた。

私は文字通り愕然とし、それから何ともいえないやり切れない思いに落ち込んていった。そして、溝口雄三著『中国の衝撃』の冒頭に書かれていたことを改めて思い返したのであった。その箇所をここに抜き出しておく。


私たち(溝口雄三氏を含む)はこの数年間、「日中・知の共同体」注)という活動を続けてきて、知が国境を越えることの難しさを十分に認識してきた。にもかかわらず、2001年1月の北京の会議のテーマとしてわれわれ日本側が提案した「日中間の歴史認識問題」に対して、彼らが内陸部の農村問題を国際的にさし迫った問題として逆提案してきたときには、会談を踏みちがえたような意外感に襲われずにはいられなかった。過去の問題よりも現在から未来の問題をという趣旨として、われわれは彼らの提案に同意したが、割り切れなさは残った。日中問題を真面目に考えている日本の知識人にとって、「日中間の歴史認識問題」は両国間の懸案事項の一つとして、避けて通れない課題と自覚されてきたのに対し、中国の知識界では、「謝罪しない日本人」にわだかまる中国の国民一般の感情とは違って、「歴史認識問題」は必ずしも重要課題とはなっていないのだった。察するにそれは彼らにとって、相互に議論する問題というよりはおそらく「あなた方日本人」の道義の問題でしかないと見なされている。他方、農業問題は地球人口、難民流出、アジアにおける南北問題など、彼らにとってグローバルな問題の一つと位置づけられており、その位置づけからすれば確かに日中間の歴史認識問題は局地的であり、課題としてプライオリティも高くない。韓国の知識人が日韓間の歴史認識問題に示す日本との等身大に関心の高さは、中国には見られないのである。
日中間の知の間には、明らかに日韓間には見られない断層がある。私にとってその断層の存在は意表外のことであったが、もっと清国なのは、日本人の大多数がこの断層に付与されている意味に気づいていない、ということである。(溝口雄三著『中国の衝撃』1~2頁)
注)「日中・知の共同体」という活動; 国際交流基金の援助のもと、1997年から2003年までの6年間にわたって続けられた日中両国の知識人の間での知的な交流運動。溝口雄三「『日中・知の共同体』の功績」(アジアセンターニュース 22(2002)国際交流基金アジアセンター)参照

溝口雄三氏(1932年生まれ。東京大学名誉教授、中国社会科学院(大学院)名誉教授)は、主たる著書が「中国前近代思想の屈折と展開」であるところから見ても、中国現代史の専門家というわけではないであろう。であるから、氏が「日中間の歴史認識問題」とおっしゃっておられるのは、中国共産党が中国大陸から国民党を駆逐して政権を確立した1949年以前、儒教成立のいにしえから営々と築かれてきた中国全史に基づいた歴史認識という意味であろう。もちろん、これに対置させる日本側の歴史認識もいにしえに起点を持つものである。

けれども、中国共産党中央委員会の「愛国主義教育実施綱要」にがんじがらめに縛られている中国人歴史家にとっては、この綱要の規定方針から離れて自由に歴史認識問題を論ずるなど、絶対にできないクビキにあるのではなかろうか。なまじ「日中間の歴史認識問題」などというテーマを採り上げても、万一日本側に論じ負かされたりしたときは学者生命を喪うことにさえなりかねない。そういう危険を背負ってまで彼らが歴史認識問題を論じ合う気持にはなれないのは、むしろ当然のことかもしれない。

【補足】
溝口雄三著『中国の衝撃』(東京大学出版会、2004年5月21日発行、ISBN 4-13-013022-6)については、日本経済新聞紙上に仏文学者の野崎歓氏が次の書評を載せているらしい。以下は出版元の東京大学出版会のサイトから一部分のみ。

『中国の衝撃』(2004年05月東京大学出版会刊行)が「日経新聞」2004年8月18日夕刊で野崎歓氏に紹介されました。
野崎歓氏; 「(前略)一部の日本人は,根強い反日感情の表れに頑迷のみを見て、中国蔑視をあらわにする。それがいっそう中国の民衆を刺激する。そんな悪循環を断つ冷静な議論が必要ではないか。そのための視野を与えてくれる快著が溝口雄三氏の『中国の衝撃』だ」

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2005-04-30 03:06:09
もしかしてあなたは



日本人は朝鮮半島を無理矢理植民地にして



朝鮮人を強制連行したり、従軍慰安婦にさせたり



して朝鮮人にヒドイ事をした。



日本人は朝鮮人に謝罪と賠償をしなければならない!



なんて思ってはいませんか?



以前は私もそう信じていました



しかし歴史を調べるにつれ、これがうそばかりだと知りました。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Euro/1878/
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