1日目その1へ
2024年2月23日9:15
津和野城に登るための観光リフトに到着です。
前回最後の方で触れた遊歩道を使えば40分ほどかかるそうですが、時間と体力を節約します。
ちなみにこのリフト、2月までは土日祝日のみの運行となっておりまして、旅程を決める際に気付いて本当に良かった。
野ざらしのリフトなので雨だと死ぬなと思ってましたが、幸い今朝は今のところ降ってません。
リフトが停止していてちょっとドキッとしましたが、私が近づくとすぐ気付いて始動しました。
あ、あ、ちょっとお待ちを……!
すみません、建物の中を見学させて~~!!
てことで。
中はほどほどの広さというか。思ったより広いですね。ちなみにストーブ装備。
あいにくジオラマみたいなものはありませんでしたが、解説がいくつかありました。
ではいよいよリフト!
両サイドが林なので、あんまり怖くなさそうですね。地味に寒そうなので、念のためマフラーを装着しました。
……支柱を通過する際に割と上下動が強めな箇所があって、リフトのポールにしっかり腕を回していないと危険ですね。
とはいえスピードは控えめです。
一気にここまで押し上げてくれるのですから、楽です。
では、サクサク進みましょう。
道がかなり整備されていますね。
……こいつは死を感じるぜぇ
樹木で分かりにくいですが、ご覧の通りもう少し進むと右側も崖になりました。
風が強い日は無理ですね。この狭さでは、攻める側は大変です。
堀切跡
尾根がブツンと掘り下げられてます。
今は横に迂回する道がありますが、当然ながら当時はありません。城兵が狙ってくる中でこの堀を降りて、再びよじ登る必要があります。
さらに2分ほど進むと、ついに出丸の下まで来ました。
こんなところに石垣を築くのは大変だったでしょうに。
ちなみに出丸を通過してさらに進むと本丸があります
今さらですが、「津和野城」=「三本松城」です。
出丸の正面。
横幅がないので寄せ手に対しての火力投射量がどうしても控えめになってしまいますが、尾根に無理矢理郭を設けてあるので仕方ないですね。
しっかりと石垣が保全されてますね。
このクランクは攻撃する側への最後の嫌がらせですね。
(奥に見える山、頂上部分の平べったさがすごい)
クランク部分から見下ろした図。たかーい。
ちなみに右下に写っているのは、当時からある排水路です。
では、いよいよ出丸の中へ!
門扉の跡
土塀の控え柱解説
控え柱って結構奥行きを取りますね。
石垣よじ登り対策で直線じゃないのでしょう(横から監視・攻撃できる)
ちなみにこの下は、先ほど通っていた歩道です。
いやしかし、思ったより広いですね。
石垣の上に土手を築いて、さらにその上に土塀を設置。
津和野城では出丸のみとのことです。
津和野市街地(かつての侍町)
あ、電車だ!
(ちなみに左下は太皷谷稲荷神社)
……なんか神事が始まったのか、それ系の音楽が聞こえてきます。
祝日ですから、結婚式とかでしょうか。宝物殿見学を早い時間にして良かった。。。
二重櫓跡
出丸は、門のところに平櫓があって、奥にこの二重櫓があったようです。
てことは兵糧さえなんとかすれば、数十人くらいは籠れるかな?
ちなみに左側の尾根筋も、当然ながら随所にちょっとした郭や堀切がありました。
……そのベンチ、度胸試しがすぎません?
平櫓跡
こわ!
※左下に少し道が見えますが、往時の大手道(正面登城ルート)です。
大手道は出丸の先で尾根筋に合流します。
大手道側から見た出丸
往時は石垣の上に平櫓(1階建て)と門があったわけです。
ではいよいよ本丸へ向かいましょう。
改めて、左下は大手道です。
……ん?
道が2つに分かれてます。
どちらでも良いようですが……はてさて、もらってた地図にはこんな分岐は書かれてませんね。どうしたものか。
迷った末に、「旧登城路」とあった登りの道を選択しました。
……あ、こっちもすぐに下るのね。
せっかくなのでとって返して、今度はもう一方の道を進んでみます。
こちらはなだらかに下り坂って感じですね。
合流
さあ、さらにグッと下がります。
……この上が本丸なのですが、なんと通行止めです。
あれれ?
横を見ると、仮設通路が設けられてます。これは予想外ですね。
解説板がいくつかあるので、ついでに拝見。
祝、、、なんだ、何記念だ?
さて、実はここで困った事態に陥りました。
何の気なしに仮設通路へ向かおうとして工事中の札の前を横切った結果。
ずっぶずぶ!
靴の裏(と側面)がとんでもないことになりました。
泥を洗い落としたい……。
ちょうど入れ違いで仮設通路を小さい子(小学生?)を連れたご家族が降りてきて、お互い苦笑いです。
さて、まだ登城中ではありますが、この後も写真の量が多いのでいったんここで区切ります。
ちなみに今は9:52です。
2024年2月23日9:15
津和野城に登るための観光リフトに到着です。
前回最後の方で触れた遊歩道を使えば40分ほどかかるそうですが、時間と体力を節約します。
ちなみにこのリフト、2月までは土日祝日のみの運行となっておりまして、旅程を決める際に気付いて本当に良かった。
野ざらしのリフトなので雨だと死ぬなと思ってましたが、幸い今朝は今のところ降ってません。
リフトが停止していてちょっとドキッとしましたが、私が近づくとすぐ気付いて始動しました。
あ、あ、ちょっとお待ちを……!
すみません、建物の中を見学させて~~!!
てことで。
中はほどほどの広さというか。思ったより広いですね。ちなみにストーブ装備。
あいにくジオラマみたいなものはありませんでしたが、解説がいくつかありました。
ではいよいよリフト!
両サイドが林なので、あんまり怖くなさそうですね。地味に寒そうなので、念のためマフラーを装着しました。
……支柱を通過する際に割と上下動が強めな箇所があって、リフトのポールにしっかり腕を回していないと危険ですね。
とはいえスピードは控えめです。
一気にここまで押し上げてくれるのですから、楽です。
では、サクサク進みましょう。
道がかなり整備されていますね。
……こいつは死を感じるぜぇ
樹木で分かりにくいですが、ご覧の通りもう少し進むと右側も崖になりました。
風が強い日は無理ですね。この狭さでは、攻める側は大変です。
堀切跡
尾根がブツンと掘り下げられてます。
今は横に迂回する道がありますが、当然ながら当時はありません。城兵が狙ってくる中でこの堀を降りて、再びよじ登る必要があります。
さらに2分ほど進むと、ついに出丸の下まで来ました。
こんなところに石垣を築くのは大変だったでしょうに。
ちなみに出丸を通過してさらに進むと本丸があります
今さらですが、「津和野城」=「三本松城」です。
出丸の正面。
横幅がないので寄せ手に対しての火力投射量がどうしても控えめになってしまいますが、尾根に無理矢理郭を設けてあるので仕方ないですね。
しっかりと石垣が保全されてますね。
このクランクは攻撃する側への最後の嫌がらせですね。
(奥に見える山、頂上部分の平べったさがすごい)
クランク部分から見下ろした図。たかーい。
ちなみに右下に写っているのは、当時からある排水路です。
では、いよいよ出丸の中へ!
門扉の跡
土塀の控え柱解説
控え柱って結構奥行きを取りますね。
石垣よじ登り対策で直線じゃないのでしょう(横から監視・攻撃できる)
ちなみにこの下は、先ほど通っていた歩道です。
いやしかし、思ったより広いですね。
石垣の上に土手を築いて、さらにその上に土塀を設置。
津和野城では出丸のみとのことです。
津和野市街地(かつての侍町)
あ、電車だ!
(ちなみに左下は太皷谷稲荷神社)
……なんか神事が始まったのか、それ系の音楽が聞こえてきます。
祝日ですから、結婚式とかでしょうか。宝物殿見学を早い時間にして良かった。。。
二重櫓跡
出丸は、門のところに平櫓があって、奥にこの二重櫓があったようです。
てことは兵糧さえなんとかすれば、数十人くらいは籠れるかな?
ちなみに左側の尾根筋も、当然ながら随所にちょっとした郭や堀切がありました。
……そのベンチ、度胸試しがすぎません?
平櫓跡
こわ!
※左下に少し道が見えますが、往時の大手道(正面登城ルート)です。
大手道は出丸の先で尾根筋に合流します。
大手道側から見た出丸
往時は石垣の上に平櫓(1階建て)と門があったわけです。
ではいよいよ本丸へ向かいましょう。
改めて、左下は大手道です。
……ん?
道が2つに分かれてます。
どちらでも良いようですが……はてさて、もらってた地図にはこんな分岐は書かれてませんね。どうしたものか。
迷った末に、「旧登城路」とあった登りの道を選択しました。
……あ、こっちもすぐに下るのね。
せっかくなのでとって返して、今度はもう一方の道を進んでみます。
こちらはなだらかに下り坂って感じですね。
合流
さあ、さらにグッと下がります。
……この上が本丸なのですが、なんと通行止めです。
あれれ?
横を見ると、仮設通路が設けられてます。これは予想外ですね。
解説板がいくつかあるので、ついでに拝見。
祝、、、なんだ、何記念だ?
さて、実はここで困った事態に陥りました。
何の気なしに仮設通路へ向かおうとして工事中の札の前を横切った結果。
ずっぶずぶ!
靴の裏(と側面)がとんでもないことになりました。
泥を洗い落としたい……。
ちょうど入れ違いで仮設通路を小さい子(小学生?)を連れたご家族が降りてきて、お互い苦笑いです。
さて、まだ登城中ではありますが、この後も写真の量が多いのでいったんここで区切ります。
ちなみに今は9:52です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます