初めての山歩き ∩(^∇^)∩やったね♪
大沢崩れまでの9㌔のウォーキングです.
御中道(おちゅうどう)とは、富士中腹の標高2300m~2800mを通って
一周する約25kmの小径です。
富士講の信者が巡拝し、富士山に3回以上登頂経験の
ある者のみ許された最上級の修練の道だと伝えられています。
いつ頃つくられたか明らかではありませんが、
19世紀の初めに「中道廻りの行者、一年に百人は下らず」と
隔掻録にあります。
御中道の中でも、大沢の越場は最大の難所とされ、
当初は標高2800m付近の「一ノ越」を渡っていましたが。
大沢崩れの崩壊が拡大して明治初期には「二ノ越」に変更され、
その後も崩壊は進み、昭和初期には「三ノ越」が設けられました。
昭和52年に転落事故が発生し、閉鎖され現在に至っています。
お中道自然探勝路から御庭までは、まだ歩きやすい道ヘ(ё_ё)ノ
御庭から、仏石流・・滑沢・・前沢を経て大沢崩れまでは
いよいよ険しい道に入って行く。花を愛でる余裕も、
写真を撮るのも精一杯だったY(>_<、)Y ヒェェ!
断崖、霧で前が見えない"(/へ\*)"))ウゥ、ヒック
降りれるかなぁ~。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。こんな急な所
一歩一歩、踏みしめて(T.T )( T.T)
富士山に生えている木々
大沢崩れまでの9㌔のウォーキングです.
御中道(おちゅうどう)とは、富士中腹の標高2300m~2800mを通って
一周する約25kmの小径です。
富士講の信者が巡拝し、富士山に3回以上登頂経験の
ある者のみ許された最上級の修練の道だと伝えられています。
いつ頃つくられたか明らかではありませんが、
19世紀の初めに「中道廻りの行者、一年に百人は下らず」と
隔掻録にあります。
御中道の中でも、大沢の越場は最大の難所とされ、
当初は標高2800m付近の「一ノ越」を渡っていましたが。
大沢崩れの崩壊が拡大して明治初期には「二ノ越」に変更され、
その後も崩壊は進み、昭和初期には「三ノ越」が設けられました。
昭和52年に転落事故が発生し、閉鎖され現在に至っています。
お中道自然探勝路から御庭までは、まだ歩きやすい道ヘ(ё_ё)ノ
御庭から、仏石流・・滑沢・・前沢を経て大沢崩れまでは
いよいよ険しい道に入って行く。花を愛でる余裕も、
写真を撮るのも精一杯だったY(>_<、)Y ヒェェ!
断崖、霧で前が見えない"(/へ\*)"))ウゥ、ヒック
降りれるかなぁ~。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。こんな急な所
一歩一歩、踏みしめて(T.T )( T.T)
富士山に生えている木々